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毎昼毎夜夢心地

覇王への道

2013-01-12 | 読書系
<前回までのあらすじ>
人間の寿命の半分以上を生きたと悟ったみつせは、これまで自分が地球人としての教養を十分に身に着けていないことを痛感していた。
ならばこれから先、自分はできうる限りその教養を身に着けるべく努力するべきではないのか?
そこで彼女は、人類がこれまで生み出してきた文学作品を世界レベルで読み倒していくことを決意した。
しかし、決意したものの、あまりに壮大すぎる(というか茫洋とした)目標のためにまず何から始めるべきなのかがわからない。
人類最古の文学「イリアス」「オデュッセイア」は既に読んだ。次には何にとりかかるべきだろう?
それを決めるためにまず、世界文学史というべきものを解説した本を読んでみよう。
みつせは紀伊国屋新宿本店に向かった…。


というわけで紀伊国屋に行きましたよね
で歴史とか文化史とかのコーナーをうろついているうちに、
ふと、まずは世界の歴史を勉強しなおすべきかもしれない
と思い立つ。(あきらかな迷走の予感)

で購入。

  


山川出版社の鉄板クオリティを信頼。
(世界史総合図録ってたった780円なんですね。フルカラーなのに。
 吉川弘文館の世界史年表とかも780円。そのリーズナブルさに衝撃。
 教科書資料として採用されるからお安いんでしょうか)



しかし当初の目的からなにか遠いところに来てしまったような気がしないでもない。
私が世界文学の旅の三冊目に取り掛かることになるのはいつのことだろうか。謎。

三人の二代目

2011-08-04 | 読書系
堺屋太一作「三人の二代目」を読みました。図書館の予約長かったー
二代目というのは上杉景勝・宇喜多秀家・毛利輝元。
(TERUは正確に言えば三代目じゃね?という物悲しいツッコミ)
偉大な・・・というかアクの強すぎる先代から仕事を引き継ぎ、
ちょうど運悪く関ヶ原に関わってしまった、って三人です。

雰囲気としては、三人は
「家族経営の会社を創業者から引き継いだ二代目社長」
として描かれている という気がします。
生真面目だけど融通きかなくて役員になってる母親に怒られっぱなしな二代目(景勝)
母親作の完璧なレールにのったものの気性が素直過ぎて物事の裏が読めない二代目(秀家)
重役にめっちゃ優秀な叔父さん二人がいてなかなか自分の意見が通せない二代目(輝元)
が、バブル景気(秀吉時代)を経てついにはバブル崩壊(関ヶ原で三人とも西軍)に至るまで
ってあんばい。

この三人が関ヶ原の際にそれぞれどう立ち回ったのか、が描かれてるのかなあ、と思っていたのですが
比重が置かれているのは彼ら(とくに景勝と輝元)が必死に四方の敵と闘いながら自分の地位を
固めてゆく前半で、秀吉が死んだ後の話はページ数が少なすぎです。
そこはちょっと肩すかしだったかも。
しかしながら三人の生涯が同時進行的に描かれているので、三人がそれぞれ同時期に何をしていたのか
(秀家は年が離れているので、前半ではほとんど生母の於福の活躍しか目立ちませんが)
がよくわかる仕組みになっており、頭も整理できてなかなか面白いです。

最初は上杉景勝から始まるものの、上杉家のパートはわりとサラッとしてます。
直江は空気です。むしろずっと母・仙桃院のターンです。
宇喜多秀家のパートでの於福にも当てはまりますが多少女性がでばり過ぎです。
ま 小説だからいいですけど。
秀家は(才覚は別にして)さわやかな青年として描かれており哀しいくらいです。
実際にはこんなこと言わなかったと思いますが
関ヶ原で「負けるかもよ」と小西行長に言われて
「負けたらこれまで(秀吉のおかげで)二十年間いい夢を見させていただいたと思うさ」
なんてことをサラッと言っていて、
おばちゃんちょっとウルッと来ました。
印象としては、三人の中では毛利輝元に一番力がはいっている気がします。
あんまり冴えない(むしろ凡庸な)坊ちゃん気質の二代目お館様としてほぼ全編
登場するのですが
他国との戦争や駆け引きで領国を拡大する戦国大名としてはいまいちだったけど
関ヶ原以降、領国をガッチリ治める領主として、近世大名としての才覚を発揮し、
そこはかなり優秀であった という評価がされていて、
TERUが気になっている私としては嬉しくなりました。(どういう)

史実にこだわるかたには突っ込みどころも多いと思いますけど
この三人が並んでクローズアップされることなんて滅多にないじゃないですか~
景勝に至ってはどの本読んでも功績はほとんど「直江のおかげ」扱いだし…
アレか?火坂○志のせいか?いやむしろ福本日南のせいか?(たぶんこっち)
そういうストレスが長らくたまっていた私には何となく嬉しい一冊ではありました。
でもまあこの本では「母親のおかげ」なんでそれはそれでアレだけど。

ただしハードカバーを買うほどの「読み応え」があるかどうかといえば微妙です。
特に歴史好きな人には、図書館もしくは文庫待ち推奨。

北天蒼星

2011-05-08 | 読書系
「北天蒼星 上杉三郎景虎血戦録」
(伊東 潤 作)

タイトルはいかがなものかと思います。
戦歴が殆ど無い人物だからなあ。
ここまで雄々しいタイトルではなく、もうちょっとリリカルな感じがよかったと思う…
(出版社がつけたのかもしれませんが)

伊東潤氏のこれまでの著作の傾向からして
北条好き・武田贔屓・アンチ上杉(というかアンチ上田長尾)
というのはボンヤリ想像しておりましたけど、まあだいたいその通りでした。
物語がそれとなく「武田家滅亡」とリンクしているのでそっちも読んでいるといいかも。

少し前に共作で出版なさっている新書「関東戦国史と御館の乱」
と併せて読んでおくと、伊東氏の思い描く上杉景虎像がはっきりして面白いです。
反上田長尾の御輿に担ぎ上げられて、戸惑いながらその気にさせられてゆく若者の困惑というのでしょうか。
その気になってはみたものの、冷酷さや策略の部分には悲劇的に疎くて、
気がついたら周囲の思惑はさらに自分の思いより遙か彼方を(しかも別の方向へ)行っていて、
でももう自分も引っ込みはつかなくて…
というような状況が繊細に描かれた作品です。

もともとご自身が北条一族贔屓だということもあるのかもしれませんが、
この小説は徹底的に三郎景虎に寄り添って描かれているので
景勝をはじめとした上田長尾一門は ひたすら不気味で得体がしれない集団
として描かれている気がします。
それは明確でいいですけども そもそも伊東氏は上田長尾一門の事情には
あまり関心がないんだとも感じられます。
景勝側の心情もそれとなく書かれてはいますが
全体的に「あ どうでもいいんだね」という印象です。
花ヶ前氏の研究書に書かれる通りの景勝像 とでもいいましょうか。
直江兼続(樋口与六)の描かれ方も、
いつも通り、そんなに出来る賢しい子どもがいるかよ という感じですけど、
それも想定範囲内です。小説ですから。

でも本編はとても面白く読めます。
問題は、エピローグ的に「御館その後の上杉景勝(と樋口与六)」が2ページほどサラッと
説明されているところ。ここの部分が あんまりじゃないの… と言いたくなるような、
悪意って言ったら語弊がありますけど、いや実際悪意じゃないかと思うんですが、
とにかく身も蓋もない書きっぷりなもんですから
後味が断然悪くなりました。なんでこんな余計な書き方するかなこの御仁は。
いやたぶんほんと嫌いなんだろうね。上田長尾一門が。なんて思ってしまいました。

まあ私が景勝贔屓だからこういう印象を持っちゃったわけなんですけど
伊東氏も大概北条(と甲相越同盟)に夢見すぎと思うんですよね。
前述の「関東戦国史と御館の乱」では、「御館の乱で武田勝頼が景勝側につかずに
三郎景虎側について、三郎景虎が上杉家を継いでいれば、甲相越の間には強い同盟が
生まれていてそれ以降の日本の歴史が変わったかもしれないのに…」みたいなことを
お書きになってますが 基本、強大な北条ありきで、北条のもとにみんなが集まったら
きっとすごいことになってたよね というお考えの模様です。
不勉強な私ごときは
「三郎景虎が上杉家当主になってたら、越後は景勝の時以上に内乱だらけになって
周囲からの侵略にも晒されて、小国に分裂して消滅した可能性のほうが高くね?」
と思うんですけども。

そんなこんなで悪口になりました。好きな方ほんとにすいません。
私は不勉強なので色々突っ込まれてもご返答はできませんが、
三郎景虎について小説で読むなら(文体は好きじゃないですが)近衛龍春氏の「上杉三郎景虎」
研究書で読むなら今福匡氏の「上杉景虎―謙信後継を狙った反主流派の盟主」で良いんじゃないかと思います。

伊東氏は、短編集はとてもとても面白いんです。
色々書きましたが決して嫌いな作家さんではありません。一応。


白山羊さんから

2010-11-04 | 読書系
決して食い倒れただけではない米沢での旅の途中で見た
上杉博物館の特別展「上杉家家臣団」で、
一番面白かった手紙の一節。


追而、昨日預御書中候処二、
終二御返事不申由迷惑二候、
昨日者、御鷹野御供申、
留守之義ハ
更二不被存候、
某留守之
者二
相尋候へハ、彼御ふミ御使のかた
持被罷帰由、けさ申事二候、以上



とある人物に領地争いの仲裁を頼まれたはいいけども、
その人物に、はよ返事寄こせよ!と、せっつかれ続けた
上杉家の奉行・山吉豊守が、慌てて出したらしい返事の追伸の部分。
せっついてきているのは上杉謙信に深く信頼されていた中条藤資。
領地争いの経緯を見ると藤資の側の強引さが目立っていたようでもあり、
だけど謙信のお気に入りの重臣でもあり、
ということで、豊守は色々と面倒くさかっただろう と思われる。
(仲裁の結果がどうなったかは不明らしい)

内容は

昨日手紙もらってたところ
お返事できてなかったってことなので当惑してます。
私は昨日、鷹狩りのお供をしてて
留守にしてたんだけど、
そのことはもちろんご存じないよね。
留守番してた者に確認してみたら、
(あなたの手紙は)お使いの人が
そのまま持って帰っちゃった、
って今朝言ってたよ。以上。

と言い訳をしているところだと思う。おそらく。
後半についてはもしかすると、
「留守番の者はちゃんとお使いの人に留守って言ったって言ってるよ」
(持被罷帰由 が、何を持ち帰ったと解釈すべきなのか、よくわからない)
ってことなのかもしれない。その点は適当。
ただ言い訳はするけど、決して「ゴメンね」とは言わない。
つまり、あんたのお使いの人が自分が帰るまで待っとくか
手紙を置いて帰ってりゃよかったんじゃねーの
というような主張がそれとなく見え隠れするようなしないような感じ。
今だったらとりあえず謝っとけ ってなりそうだけど。
そこはさすがに安易でない。

なお「迷惑」というのは現在の迷惑という意味よりも、
「(自分のせいじゃないことで)こんなことになってはなはだ困ってます」
というニュアンスに近いような気がする。
この(自分のせいじゃないことで)って部分が強くなっていって
現在の迷惑っていう意味になったんだろうか。
今度図書館で調べてみよう。覚えてたら。

アラン・シリトー

2010-04-26 | 読書系
アラン・シリトーが亡くなったというニュースを読みました。
まだ生きてたのか・・・(すいません)

アラン・シリトーといえばこれしかないっていうような2作品
「長距離走者の孤独」
「土曜の夜と日曜の朝」
なわけですが
学生の頃、原書で繰り返し読んだものです。
ていうかこの二作品しか読んでないんだが私。
私はシリトーの時代をリアルタイムで知っていた訳ではなく、
すでに「イギリスの労働者階級の怒れる若者の物語」みたいな
「へこたれねえ悪ガキのピカレスクな物語」みたいな
そういうクラシックなカテゴリー(そこはかとなくオアシスなにおいのする)
に入っていた作品を ふふーん と思いながら読みました。
どちらもいわゆる不良少年の物語なんですが
とてもみずみずしくすがすがしい読後感にちょっとびっくりしたものです。

とくに「土曜の夜と日曜の朝」は
いやー私もこういうダメな男に生まれてみたかったわ
喧嘩とかしてボコボコにされてみたかったわ
そんで純朴な女を泣かせてみたかったわ(最後には尻に敷かれるけど)
という不思議な憧れを私の中に抱かせてくれました。

シリトーが何を思ってこういう小説を書いていたのか、
その時代にどのように受け止められていたか、の詳細は、
私は不勉強で知りませんが
時代がかわって私のように、そこそこ親や社会に管理され、そこそこ自由であることに慣れ、
破綻を求めることもなく面白味のない生き方をそれはそれとして楽しんできた者にとっては
なんというんでしょうか「思ってもみなかったような何か諸々から解放される喜び」というのでしょうか
同時に、感じたことのなかった「自由への渇望」というのでしょうか
(そんなに束縛された人生おくってきたわけじゃないと思いますが)
なんかこう、切ないような、そういうものを感じさせてくれる作品でした。

まさかシリトーはそんな読者が東洋に生まれようとは思ってもみなかったでしょうが。

どちらも映画化されていて、この映画がまたすごくよかった。
DVD化は・・・されてねえだろうなあ・・・(地味だし