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毎昼毎夜夢心地

格闘中

2010-02-09 | 読書系
最近読んだ(読んでいる)本とか史料とか

終了
「伊達政宗の手紙」(佐藤憲一 著)
「松平家忠日記」(盛本昌広 著)
「芸術と民族に現れた性風俗」(江戸開花編)(王城の春編)(林美一 著)
「秀吉の接待 -毛利輝元上洛日記を読み解く」(二木謙一 著)
「雑兵たちの戦場-中世の傭兵と奴隷狩り」(藤木久志 著)

同時攻略中
「越後史集」(天,地巻)(黒川真道 編)近代デジタルライブラリー
「大日本古文書 家わけ第十二ノ二 上杉家文書」東大史料編纂所
「名将言行録」(岡谷繁実 著)近代デジタルライブラリー
「常山紀談」(湯浅常山 著)同上
「晴豊記」(勧修寺晴豊 著)同上


「芸術と民族に現れた性風俗」は二冊シリーズなんですけども河出文庫。
要するにエロです。河出文庫だから。
「王城の春編」では神世の昔から古事記の時代から安土桃山時代までの話で、
いかに性風俗が絵画や文章や詩歌中に描かれてきたか、を見ることによって
当時の風俗を概説し、「江戸開花編」は江戸時代の話を扱ってます。(おもに枕絵の話が中心)
実はこれ二冊とも絶版でして、その絶版本を手に入れる熱心ぶりには自分でもビックリなんですけども
手に入れた古本には熱心な前の持ち主の鉛筆でのチェックがびっしり
だったのにはさらにビックリした。
どんだけ熱心やねん君。

「雑兵たちの戦場-中世の傭兵と奴隷狩り」は年末に帰省した際、
母が持っていた本を斜め読みしたところ、こいつがベラボーに面白い。
ってんで、こっちに戻ってきて慌てて買って読みました。
どうも戦国時代とかってヒロイックに武将視点で眺めがちなんですけども
この本は、彼らだけでなく一般人(農民や町民)がいかに戦乱に関わったか
(戦のたびにどのように人や物の略奪や拉致が行われ、一方で、どのようにそれに
対抗していたか)を、赤裸々に描き出していて、色々と考えさせられます。
とくに朝鮮出兵での奴隷狩りの実態に関する記述などは、なかなかショッキング。
やっぱこういう側面もちゃんと知っとかんと…と思いながら読みました。
この藤木久志というかたは他にも同じテーマでいくつか著作があるのですが
実家で読んだもう一冊の本も面白かった…のだが…タイトルが思い出せん…

しかし母ちゃん私、やっぱり戦国オタクに育ちつつあるかもしれないヨー

気がつけば「晴豊記」(勧修寺晴豊:信長時代の武家伝奏:の日記)の明治32年出版本
(ばりばりのくずし字体)を読もうと格闘しているしまつ。
なんだコレ母ちゃんと同じ道をたどってるじゃねーかホントに。

寝るための本

2009-11-16 | 読書系
どうでもいい話なんですけども
寝る前に本読むかたってたぶん多いと思うんですよね。
私もなんですけど。
日中読む本と、寝る前に読む本は別 っていう人もきっと多いと思うんですよ。
寝る前専用の本 みたいな感じで。
で、それはおおむね 睡眠導入剤の役割をになっていたりする本じゃないでしょうか。

私にとってその本は数年前は高村薫の「新リア王」の上巻でして
これがもう見事によく出来た睡眠導入剤で、何度読んでも 始まって20ページまでしか読み進めない
(結局それ以降読まないままその本は高村ファンであるところの実家の母へと送られた)
という傑作でした。

最近ではコーマック・マカ―シーのペーパーバック、The Border Trilogy。
この人のは邦訳で読んでも眠いのに(「すべての美しい馬」「平原の町」「越境」)
原文だったらもうコレ寝るしかないよね
みたいな本です。いや本当はものすごくいい本です。美しい本です。
美しくて眠くなるのです。

で最近また新たな睡眠導入剤を入手しました。
これからは中国何千年かの歴史に頼ることにする。
ただし論語は読んでてムカッとくるのでやめました。




講談社学術文庫の青い背表紙はなにかこう、そそるものがあるよね。
カバーはずした岩波文庫の表紙と同じくらいに。
せっかくだから老子とかも読んじゃう?どうせ理解できんけど?
(まあ寝るためだからいいか)

殿といっしょ

2009-11-11 | 読書系
やっぱり続いていた上杉景勝祭、第4弾。ていうか番外編。



戦国武将をネタにしたギャグ4コママンガ。現時点で3巻まで出てるということはそこそこ人気なのかもしれん。
寝っ転がって読むくらいがちょうどいいくらいのユルさ。かいこ うっかり戦国漫画さん(ついに書籍化おめでとうございます)のほうがはるかにマニアックで面白いと思うのだけども、まあこういうのもいいんじゃないでしょうか。「何でも燃やしたがる信長」とか「義兄におびえすぎな浅井長政」とか、けっこう快調に楽しいです。朝倉義景なんて、私は名前しか知らなかったので、大変面白かった。

大河がらみなのか、とくに2~3巻では景勝&兼続の主従も登場して、無口な殿(と前田慶次)が無礼な兼続にひたすら虐げられるターンが続く。まあこれはパロディマンガなわけなのだけども…でも…兼続って、実際のご本人も案外これくらい性格悪かったんじゃあなかろうか。なんとなくなんだけど、そう思う。
後世の人による創作の可能性大とは言え、直江状でのあの口の悪さとか伊達政宗を人前で嘲った話二連発とか、苦情を言いやめない人をまとめて地獄に送っちまった(=殺した)話とか、痛快な逸話として語られることが多いエピソードも、どっちかというと性格の悪さを如実に物語っているよーな気がするのだ。無論、この人はそこがいいのだが。
この辺の有名どころのエピソードが大河ドラマで削られたのは、やっぱ「愛の人」って売り出し方に向かないヒドさだからだろうか。そもそも愛で売ろうとしたのが間違いだったと思うんだけどね…まあいいけど…

で全然関係ないけど最近楽しみな番組

偉人の来る部屋

なにげに毎回ゲスト(演じる人)が豪華。

花の君参る

2009-11-10 | 読書系
密かに続いていた上杉景勝祭・第三弾。(めんどくさくなってきたのでたぶんこれで終わり)



私と同世代の女性で、それなりにオタクなジャンルに長けた人(通称「大きいお姉さん」)の耳元で「上杉景虎」とささやいたら、大抵はすぐに「ミラージュ?」と真顔で返してくれるんじゃないかと思う。まちがっても天地人じゃねーな。近衛龍春の小説でもない(すいません私この人苦手なんで「上杉三郎景虎」読んでません)。

上杉三郎景虎。北条の血を引く貴公子で、北条家から上杉謙信に人質として差し出されそののち養子に。(ある一説には)正当な後継者であったのに、義理の弟・景勝との跡目争いに敗れて妻は自刃・幼い嫡男はその景勝により殺害(噂)・自分も最後は26歳(諸説有り)で自刃という悲劇的な生涯。三国一の美青年といわれ、その美貌の評判は京都にまで届いており(って何かで読んだ)、義父の謙信にはちょっと特別な意味で寵愛されてたとかいないとか(根拠ないけど)。しかもうまい具合に史料が残っておらず、その人生の余白を埋めようと思えば妄想し放題。と来た日にゃあアナタ、ある種の嗜好をもつ女性の心をとらえて離さない系統にキャラ立ちした人だといわざるを得まい。
…ということなのかどうかは知らないけども、さかのぼること…もう10年近く前になるんですかね?景虎と直江信綱を主人公にした「炎の蜃気楼(ミラージュ)」がヒットしたのは。輪廻転生をモチーフにしてオカルト風味だったこともあって、そのジャンルがアウトオブ関心な私は華麗にスルーしてしまったのですが、実際どうだったんでしょうか。面白かったんですかねアレ結局。最初の頃もそれとなく気配はあったけども、なんか途中からものすごいBLになったとかならないとか。

でもそのミラージュが(一部で)流行ってる…ってことをきっかけに(読んでもいないのに)その当時の私は上杉景虎にちょっとだけ興味をもち、歴史小説や解説本を読んでるうちに謙信の死後に景虎・景勝の間で「御館の乱」と呼ばれる家督争いがあったことを知ったのだった。最初、景虎って可哀相…的な感じで入っていったのだけども、色々読んでいると、義弟の景勝のほうににちゃんと筋がとおるふしがあるんじゃね?みたいに思えてきたりしたものだ。「景勝が景虎から跡目を簒奪した」という説も、それはそれで大変興味深いんだけど。(そうやってアグレッシブにのし上がってゆく武将、いいじゃないか)

現在でも御館の乱については「どういう経緯でことが起こったのか」という部分は諸説あって定かではないらしいし、もちろん「景虎がその当時何を思っていたか」なんて感情の部分は全くわからないのだけど(「景勝が義兄をどう思っていたか」もしかり)、でもやっぱり、妄想力たくましい人間としては、一体彼らは何考えてたんだろうなぁ…とか思いたくなるわけなのだ。で、この河村恵利という人のマンガ「花の君参る」に収められている短編「望楼」は、その三郎景虎の心の動きを繊細に描いてくれている。優柔不断でついついその場での感情に流されてしまい、深い覚悟のないまま反上田長尾・反景勝派に担ぎ上げられてにっちもさっちもいかなくなってゆく…というお坊ちゃま気質の景虎像は、わりと私には好感が持てたし、実際こんな感じだったかもよ、って気分にもなった。ページが足りないせいか全体的に消化不良気味で曖昧な部分も多いのだけど、かえってそれが物語の余白として味わいにもなっている。惜しむらくは、景勝との感情的な関わり合いの描写が薄い。この辺がもう少し掘り下げて(きっつい部分も)描かれていれば、全体的にさらに深くなっただろうと思う。

なお本編の「花の君参る」では、ほとんど史料の残ってない景勝とその正室・菊姫、側室・四辻の間柄が描かれているのだけども、これまた女性らしく繊細でやさしい物語になっている。「晩婚で子供もないまま側室も49になるまでもたなかったせいか性的嗜好をアレやらコレやら詮索されちゃってる景勝」「女嫌いの夫にないがしろにされて最後には自害した正室」みたいに口さがなく言われちゃったりする色々と気の毒な景勝夫妻に心を痛めている人は、救われた気分になること間違いなし。小説では微妙に悪役じみた扱いが多い上条政繁(景虎・景勝とは別の謙信の養子)がいい感じに登場するのも面白い。

人によっては絵柄で好みがわかれると思うけど、それでもなんだか 頑張ってくれてありがとう!って言いたくなるマンガだった。

群雲、関ヶ原へ

2009-10-26 | 読書系


 上杉景勝祭り第二弾。べらぼうに面白い戦国小説だった。

 どっしり構えた男のロマンを味わいたいなら司馬遼太郎の「関ヶ原」だし、雰囲気ある台詞回しや情緒に浸りたい人には藤沢周平「密謀」、ダイナミズムを求めるなら池波正太郎「真田太平記」のほうが向いているかもしれない。この「群雲、関ヶ原へ」は、そういう歴史小説の雰囲気とは少し趣が違う。出てくる登場人物は今の私たちのような口調で軽快に喋るし、地の文章も決して時代小説のような情感に充ち満ちているわけでもない。しっとりじっくり味わう歴史・時代小説とはちょっと違う。

 この小説、無類の武将キャラ小説といえるかもしれない。総勢で50名を越そうかという戦国大名・その家臣・そのまた家臣・その家族などなどが、戦乱の風に吹き散らされ、また集まり、形をかえて蠢きながら1600年の関ヶ原に流されてゆく、まさに群雲のように描かれているのだけども、その武将たちのひとりひとりが鮮やかに活写されている。

 物語は上杉家が越後から会津に移された1598年に始まり、その後秀吉の死を経て関ヶ原へと怒濤の勢いで進んでゆく。中心にいるのは石田三成と徳川家康である。頭はいいけども人望がカケラもない、という部分のみ酷似しているこの二人が策謀をめぐらせて関ヶ原で対峙するまでを描いているのだけども、そのふたりの趨勢を見極めて、どっちにつこうかと、これまた策略を巡らせる諸大名の様子が、短く100章近くにわかれたエピソードごとにテンポよく、いきいきと描き出されてゆく。
 登場する武将たちは、ことあるごとに頭を抱えたり、ブツブツ呟きながらぐるぐる歩き回ったり、ニヤッと笑ったり、ドキッとしたり、興奮して飯粒を飛ばしまくったり、ほとんど茫然としたり、柱に頭をガンガンぶつけて悩んだりする。歴史に名だたる名将たちが私たちと同じ高さまで降りてきて、私たちがおぼえのあるようなノリで悩んだり怒ったり笑ったりしてくれる。その様子は痛快ですらあるし、読む前まで戦国時代に全く興味がなかったとしても、読み終わった頃にはきっとお気に入りの武将(それまで名前も知らなかったような)が必ず、一人か二人生まれているに違いない。

 とにかく愉快な武将エピソードがてんこ盛りである。おそらく過去のさまざまな史料や文献に載っている伝説と作者の創造がミックスしているのだと思うけども、その筆致がユーモアたっぷりで面白い。なかでも面白いのはやはり、石田三成だろうか。からっきし戦下手で戦嫌い、口と性格の悪さで煙たがられつつ、「能吏」「文官」「さいづち頭」の別名であたふたと活躍する彼の様子は、シニカルながら愛嬌たっぷりに描かれている。「あまりに人望がない主人なのでそれが逆に家臣の庇護欲をかき立て、妙に忠実な家臣団が出来上がっていた」とかいう石田家臣団の描写なんてのも、そう他では読めたもんじゃあないと思う(笑)。
 たとえば、暗殺の危機から間一髪逃げ出してどうにかこうにか屋敷に戻った三成を描いたくだり。


 小柄な主人はやっとの思いで(駕籠から)よろぼい出て、薄い胸を反らせた。
 無事な帰還を喜ぶ声はどこからもかからなかった。三成は大いにあてがはずれた。じつをいえば能吏は同情され、慰められることを望んでいた。
 喜ぶどころか、重臣たちはみな怖い顔をしていた。(中略)悪戯をしでかし隣近所から追い回されたあげく、やっとの思いでわが家に逃げ込んできた腕白坊主を迎えた親もかくやと思われるような顔だった。
 不意に誰かが「クスッ」と笑った。それがきっかけになり、笑いはさざ波のように広がった。
 三成は叫んだ。
「おまえたちは主人の災難がおかしいか!」
 笑いは哄笑にかわった。無礼な話だった。
 三成は立ち往生し、溜め息をついた。小さな照れたような笑いがそれに続いた。
(上巻 418p)


 そんな三枚目で役人肌の三成が、関ヶ原で突如として戦いの恍惚を知り、ひとりの武将として目覚めてゆく下巻のくだりは、ちょっと感動的だ。その彼の様子を見届けて安心して散ってゆく忠臣たちの姿なんかも、なんともにくい書きっぷりなのである。
 もちろん上杉主従も登場する。謙信伝説を背負って颯爽と表舞台に登場し、その世慣れぬ真っ直ぐさを秀吉・三成・家康・その他大名に見込まれつけ込まれて、気がついたらなんかひどい目に遭っちゃった…みたいな景勝の不器用なさわやかさが家康の目線から描かれていたりして、なかなか新鮮で愉快。関ヶ原ののち、内外に精一杯やせ我慢しつつ徳川に下るようすも微笑ましい。しかも、作品中一番のモテっぷりで他の大名たちに愛されまくる。こんな景勝、他に見たことない…(作者はもしかしたら景勝びいきなのかもしれないなぁ)

 わっさわっさと関ヶ原に押し寄せた雲たちが、戦いののち、全国に吹き散らされてしばし静まってゆくエピローグは、それまでの勢いから一転して、「祭りの後」とでもいうような(←膨大な数の命が失われた話なのだから、不謹慎な表現かもしれないけども)、面白うてやがて哀しき、な、不思議なもの悲しさを感じさせてくれる。
 私は上下二巻のこの大作を読み終えて本を閉じたとき、しばらくの間、その千ページの中で賑やかに生き、死んでいった男たちのことを思い出してしまった。そこでふと感じたのは、人間て滑稽だなぁ、ということだった。この「群雲、関ヶ原へ」という小説は、関ヶ原の合戦をモチーフにしながら、壮大な人間の悲喜劇の集大成を描いていたもかもしれない。そんな気持ちになったのだった。

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作者はこの後、夏の陣をテーマにして作品を作っている、というような解説が載っているのだけど、本当だろうか。だとしたらぜひ、書いていただきたいものだ…。(なるべく早いうちに)