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毎昼毎夜夢心地

ポイズンウッド・バイブル

2007-06-08 | 読書系

ポイズンウッド・バイブル
(バーバラ・キングソルヴァー著、DHC)

 1960年代、大いなる使命を抱いてコンゴ(現ザイール)の奥地にある村落に赴任してきたアメリカ人牧師と、彼によってドラマチックに運命を変えさせられたその家族(妻、娘4人)の半生を描いた大河小説である。物語は、妻と娘4人、計5人の視点でかわるがわる進み、彼女たちの生き様だけでなく、彼女たちの視点から、西欧による強圧的なアフリカ支配のあり方や、その支配から抜け出した後にも続く泥沼の内戦状態が描かれる。

 テレビの報道や新聞でしか知らないアフリカのことを小説で読むのは初めてだったし、映画だと結局2時間でサラッと終わってしまうから、この長大重厚な小説を読むことはとてもチャレンジングで面白かった。物語の前半は、キリスト教的アメリカ的価値観を抱いていたこの家族が(父親を除いて)徐々に自分たちの価値観を変えざるをえないことに気づき、また、自分たちには理解しがたい、野蛮だと思っていた現地の言葉や生き方にも、とても筋の通った彼らの理由がある(そしてむしろ、それは美しい)のだと理解してゆく流れなのだけど、このあたりが実に説得力がある。一方で、自分の価値観をを人々に押し付けるばかりでアフリカという場所を理解しようともせず、徐々に家族からも孤立してゆき、自らも狂気におちいってゆく父親のありかたも並行して描かれるのだけども、このあたりの描写がまた容赦なく、無残極まりない。年ごろの娘たちの、彼にたいするひややかなまなざしは、作家が女性であるせいか、とてもリアルだ。
 4人の娘たちの別々の生き方もユニークだ。とくに、お世辞にも聡明とはいえないものの貪欲な生命力を存分に発揮してアフリカにおける「白人の勝ち組」的位置をつかみとる美しい長女と(最近映画にもなった「ブラッド・ダイヤモンド」の存在もさりげなく描かれる)、現地の民主運動家の若者と結ばれてアフリカの女として生きる道を選ぶ聡明な次女とを対照的に配置しており、彼女たちのものの見方の中から白人のアフリカでの身勝手な傍若無人ぶりを赤裸々に浮き立たせているところは興味深い。
 タイトルの「ポイズンウッド(うるし)・バイブル」は、物語を最後まで読んでいくと意味がわかってくる。私はおそらくこれは、真摯に相手を理解しようとせずにこちらの大義のみを振りかざすものの滑稽さを意図しているのだろうと思ったのだけど・・・たぶんそれはこの小説の父親だけではなく、西洋、とくにアメリカそのもののことも暗示しているんじゃないかな。

 訳者があとがきでオールコットの「若草物語」を引き合いに出していたけども、私もまた、若草物語を思い出しながらこの小説を読んだ。不在がちな牧師の父と、彼の留守宅を守る気丈な妻、そして個性豊かな4人姉妹。たぶん少女少年時代に若草物語を読んだ人はみんな思い出すんじゃないかなぁ。ただしこの「ポイズンウッド・バイブル」では、父親は心優しい存在ではなく、狂信的で家族をかえりみない暴君として物語の中心に存在し、妻や娘たちがいかに彼を嫌悪し、疎み、最終的に無視したのちも、心の中に居座り続けるんだけど。

 ただ少し違和感を感じたのは、娘たちが語る内容が、それぞれ姉妹や母親にたいして大変に冷淡なところ。いくら女同士とはいえ(笑)もう少し何かしらの優しさがこめられた部分があってもいいのではないかとも思えた。

 読み応えは十分。ちょっと変わった長い小説と格闘してみたい人にお勧め。私は英会話スクールのインストラクターに薦められて読みました。ただあまりの長さに洋書でのチャレンジは諦めて邦訳に方向転換。でもたぶん正解。この内容だと洋書では途中で挫折したろうなぁ。

Of Mice and Men (ハツカネズミと人間)

2007-06-01 | 読書系

ハツカネズミと人間

 おそらくは大恐慌時代のアメリカ。農場から農場へと流れて住み込みの農作業に従事しながら日銭をかせぐ男たちのわずか数日間を描いた、ジョン・スタインベックの短編小説である。
 主人公のジョージは小柄で目つき鋭く、頭の回転の速い少々短気な男。相棒のレニーは大男で気性は穏やか、心優しいが少し知恵遅れ気味。そのやさしさと子供のような単純さでトラブルに巻き込まれることが多く、常にジョージを苛立たせている。「お前さえいなかったら俺はもっと楽にやれるのに」とあからさまにこぼしながらも、彼はレニーを見捨てることはできない。レニーもまた自分が彼に迷惑をかけていることに気づいてすまないと思いながら、全幅の信頼をよせてなついている。故郷も、財産も、頼れる人間も、何も持たない彼らが持っているのはたったふたつだけ。お互いの存在と、「いつか二人で暮らす農場を持つ」という夢。

 物語は、この二人が、とある農場からトラブルで逃げ出し、次の農場へとたどり着き仕事を始め、そしてまたトラブルに巻き込まれて悲劇的な結末を迎えるまでのわずか4日間を描いている。物語の前半にさりげなく組み込まれた伏線や暗示的な描写が、後半で突然意味を持ち始める見事さなど、まさに読書の醍醐味。
 ジョン・スタインベックは(のちの大作「怒りの葡萄」と同じく)登場人物の外側と行動のみを、シンプルに、しかし手加減なく描きこむ。彼らがどう感じ、どう考えたか、そんな内面をわかりやすく直接的に描くことはしないのだ。だがそのシンプルな描写こそが、物語が集結へと進むにつれて激情に近い感情のほとばしりを読む者にうながすことになる。

 何も持たないジョージとレニーは将来の夢を思い描いて楽しむ。「俺とお前ならきっとできる」金を貯め、広い農場を買って畑を耕したくさんの野菜を植え、にわとりを飼って、レニーの好きなウサギを育てる。レニーにねだられてジョージが語り聞かせる夢の未来は、物語全編通してもっとも鮮やかで美しい。といっても、無邪気に信じ切っているレニーとは違って、シニカルな性格のジョージはそれが叶わぬ夢なのだとうすうす理解してもいる。だがしかし、可能性はゼロではないかもしれない。彼はその間で揺れ続け、そしてもしかしたら自分たちの夢を信じてもいいのだろうかと思い始めている。
 もう一人、物語のキーとなる人物が登場する。農場の若主人の新妻である。私にとって彼女の存在が主人公の二人よりも興味深かった。彼女が物語唯一の女性キャラクターであり、スタインベックが荒くれた男たちの中の彼女を燦然と美しく、魅力的に描いているからだ。名前すら与えられない彼女は若く美しく、その軽薄な振る舞いゆえに農場の男たちからはあばずれだと軽蔑されている。しかし、彼女は軽薄でわがままだが、男たちが思っているほど愚かではない。自分や夫や周囲の男たちの力関係や立場を冷静に見極めることができ、自分が彼らにどう思われているかもわかっている。だからこそ、どうしようもなく心に不満を抱いている。「あたしは女優になれたのに」彼女がぼやくのは、(それが事実かどうかは別にして)結婚前の自分にはいかに素晴らしい可能性があったか、だ。スカウトされていたのに。女優になっていたら、ラジオにも出られていたし、豪華なホテルにも泊まれていたのに。むろん今の生活が自分の選んだ道なのだと理解もしている、だが、自分のかつて抱いていた夢を誰かに聞いて欲しい、自分にはもっと価値があるのだという思いを誰かに話したい、と彼女は渇望している。ジョージとレニーが未来を夢見ているとすれば、彼女はつねに、「かくあるべきだった」、自分が選択しなかった過去と現在を夢みている。
 そして、ちょうどジョージが、自分たちの夢の将来を信じてもいいかもしれない、いやむしろそれは実現可能だと強く思い始めた矢先、この若妻が自分の物語を打ち明けられる相手としてレニーを選んでしまったことで、物語は突然、彼女にとって、そしてジョージとレニーにとって、悲劇的な結末へと転じる。「俺とお前なら、」最後にジョージが再びあの物語をレニーに聞かせるとき、すでに彼らの未来への夢は幻として消えてゆくさだめにある。

「怒りの葡萄」では悲劇的なことがらがあたかも叙事詩のように幾多にも描かれるのだが、むしろ印象的なのは、どうやっても生きていくしかない、そして実際、なんとか生き延びるものだ、という人間の(とくに女たちの)開き直りとたくましさ、生命力だ。一方でこの「ハツカネズミと人間」は「怒りの葡萄」に比べれば随分とささやかでつましい物語だが、やるせない哀しさが読む者の胸をえぐる。なぜ彼らはこんな結末を迎えなければならなかったのか。他にどうしようもなかったのか。しかしやはりこれが、最良の結末なのだろうか。確かな答えはおそらく、誰にもみつけられない。

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私が読んだのは原書(Of Mice and Men)。言葉のリズムや迫力を楽しむとすればやはり邦訳よりも英語で読むほうがよいように思われます。とくにラストシーンまでのシークエンスは日本語で読むと随分と印象が変わってしまうのではないかしら。(英語で読むと、ある台詞にきた瞬間それこそ感情があふれ出すように泣けてきます)
英語はたぶん中級レベル。大学受験英語をこなしたで、大学の教養課程でもそれなり英語をまじめにやっていた人であれば問題なく読めると思われます。(ただ発声通りに綴られた単語が多いので、推測しつつ読まなくてはなりません)

怒りの葡萄&読むメモ

2007-03-30 | 読書系
これから(いつになるかわからんけど)読むメモ。
 チャーリーとの旅(スタインベック)
 スタインベック短編集(同上)
 ポイズンウッド・バイブル(バーバラ・キングソルヴァー)
 平原の町(コーマック・マカーシー)
 カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)←実家においてきたのがまた読みたい
 藤沢周平の何か ←父親がなんか絶賛するので

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はずかしながらこの年で初めてスタインベックの怒りの葡萄を読みました(原書ではなく邦訳版)。英会話スクールで仲良くしている読書好きのインストラクターに「僕今これ読んでるから君も読みなよ」と勧められて、正直、面倒くさいなぁ、と思いつつ、考えてみたらこんな名作といわれてる作品を読んでないなんて恥ずかしい話だ、こりゃいい機会だと思って本を手に取ったのであります。そしたら、何なの!この本めちゃくちゃおもしろいじゃん!私はてっきり鬱々として救いのない大恐慌時代のアメリカの農民の悲劇が描かれているのだろうと思っていたのですが、むしろ、その悲劇のただ中ですら、「どんな大変なことがあったって、人間、なんとか生きてゆくものさ」と言ってしまえる人間のド根性と生命力を(怒りと、時としてユーモアと哀しさでもって)描いた作品でした…なーんて軽く括ってしまえるような小説ではありません。近代化されてゆく社会に取り残される人々、貧しさの中から自然発生的に生まれてくる共産主義的なものの見方、ひとつの家族の中で徐々にずれを生じてくる男女の、そして親子の価値観の違い、とにかくいろんな要素がてんこ盛り。何が良くて悪いという判断を見せずにただその「あり方」を生き生きと描き出すことに徹しつつ、「あなたはこれをどう思うか」と問いかけてくる作家の筆の運び。そのパワーに圧倒されました。うーん。すごい。というわけで私の中では今軽くスタインベックブームです。(ノーベル文学賞を受賞していたとはまったくしらんかった)

ほかの「ポイズンウッド・バイブル」「平原の町」もインストラクターのお勧めなのですが、どっちも日本ではハードカバーしかでとらんがな。そしてそういう本に限って古本もでないんだよねぇ…。とくに「平原の町」はあの「すべての美しい馬」の続編ということで本当に読みたいところなんだけど。洋書で探したほうがはるかに安い気がするんだけど、コーマック・マカーシーの英語はとても独特なのでできれば日本語で楽をしたいしなぁ。

罪と罰

2006-02-04 | 読書系
通勤途中に何故か突然「罪と罰」など読み始めて今さらのように打ちのめされています。(年末に実家に帰省した際、置いていたものを持ち帰ってきたのです)やっぱスゲーよなードストエフスキーって。「自分は選ばれた高等な人間だと称して、社会悪だと決め付けた高利貸しのばあさんを殺した学生の物語」というのはほんっとうに大まかなあらすじでしかなく、そこに登場するありとあらゆる猥雑な人間たちのありようとか彼らのセリフとか彼らが見る景色とか、全てに何らかの意味が負わされていて、読むたびに違った解釈ができる作品だと思うのです。同時に、何度読んでも自分はこの小説を理解していないとも感じさせられます。なお主人公ラスコーリニコフが殺害を決行するまでと、自首するまでの心の揺れ動きはそこらのミステリ小説よりも遥かにサスペンスフル。彼は「自分は正しい」と心に繰り返しながら、殺しが発覚する恐怖と、認めたくは無い罪悪感に苛まれて消耗してゆくわけなのですが、そのありようのが気持ち悪いくらいにリアル。この作者、もしかして人を殺したことあるのかしら、なんて思わされます。いやもちろん違うよ。でもきっと放蕩してたときにいろんな人と出会ったんだろうな…

で、最近では「人を殺す経験をしたかったら」とか言って殺人を犯したり、衝動的に人を刺したりしちゃう若者がいたりするんですが、彼らがこの「罪と罰」を読んだらどう思うだろうな、とか、ふと考えるのであります。ラスコーリニコフの無様な惑乱に何か感じたりはしないだろうか。でも、もしかしたら、そういう若者は、この本を読んで筋を理解したとしても、もっと心の深いところで揺さぶられたりはしない(揺さぶられるのを拒む)のかもしれないけど。

帰省あけ

2006-01-05 | 読書系
すっかり明けてしまいました。昨日から仕事ですが、いきなりの寒さで風邪気味です。皆さんいかがお過ごしですか。
12月29日~1月3日は実家に帰省しておりました。何せ不肖の娘ですから、わーいきっとまた怒られるぞ~。と戦々恐々としながら帰ったわけなのですが、何故だか穏やかな一週間でした。紅白もラグビーも箱根駅伝も家族全員で揃って鑑賞。たぶん一年にこの時くらいしか帰ってきませんから、その時くらい静かに過ごそうと親も決めたのだろうと思います。で、実は私の誕生日は正月三が日のうちの一日なのですが、そのためにわざわざバースデーケーキを注文していた母…ううむ…例年こんなことないのに何で?心を痛ませる戦法だったのか?たしかに痛みました。

今回の帰省では、片道(東京→福岡)は新幹線でした。飛行機より1万円くらい安いという理由だったのですが、なかなか快適。シートの幅とか飛行機より広いんじゃないかな?お弁当にお茶、本を持ち込んでのんびりと過ごすことが出来ました。お供は買っておいてずっと読んでいなかったリリー・フランキーの「東京タワー」(高村薫「新リア王」はその重さ故断念)、それから東京駅で見つけたMark Haddonという人が書いた「The Curious Incident of the Dog in the Night-Time」という児童文学ジャンルの洋書。
この「Curious Incident~」はまだ半分も読んでいないのですが、なかなか面白いです。アスペルガー症候群で対人関係にちょっと難のある15歳の男の子(でも理数系の能力は天才的)が、ご近所のペットの犬が殺されているのを発見してしまい、その犯人だと思われてしまう…というところからはじまって、彼が自分なりに犯人探しを行うミステリー仕立てになっています。物語は彼のモノローグで進むのですが、一般的な物事の考え方からちょとずれた(しかし本当には誰よりもロジカルで、だからこそへんてこな)彼の思考がユーモアを交えて語られていて、楽しく読むことが出来ます。今も通勤途中に読書中。はやく最後まで読まねば。
そして、帰省する折りだからこそ読もう!そして号泣させてもらおうやんけ!と思って読んだのがリリー・フランキーの「東京タワー」。ううむ。地方出身で老いゆく(母)親を地元に残している者が感情移入せざるを得なくできている本ですね、これは…。しかも彼の出身地は福岡。時折顔を出す固有名詞や方言の数々が、同郷の者はさらに胸にこたえるのでした。最初から中盤少しすぎまではむしろ淡々とした物語運びなのですが、後半になって怒濤のように泣けるポイントが押し寄せてきます。文章はどちらかといえば物書きの中では拙いほうだと思うのですが、それがまた味わい深く…。さすがに号泣とまではいきませんでしたが、久々に本で泣きました。でもなんか反則技で泣かされたって感じ。そりゃー泣くさこの題材だったら。チキショー。

そんなわけで、今年の抱負もないままですが、どうぞ宜しくお願い致します。
そろそろA/Wはどうにかしなきゃなぁ…とか思ってはいるんですが。