成田空港に着きました。日本語が使える。携帯が使える。そば屋に入って生ビールで一人乾杯。その後、東京行きまで時間があるので、ふら~っと寄った本屋でエロ本を立ち読みしてる。アメリカと日本の。やっぱ俺ってこんな奴なんだな・・・。
11月5日の晩からショーンさんとコウくんと僕の三人で、車で二時間かかるリゾート地へ向かった。大きなホテルに到着。中には大きなプールがあってテーマパークのようだ。楽しいはずのプールだが、僕は高い所がからっきしダメ。ウォータースライダーなんてとんでもない。ショーンさんに「弱虫」とか、コウくんに「なさけないなぁ」と言われようが、ダメなものはダメ。連れていかれても途中で逃げた。子どもみたいに。
水に浸かっているのは気持ちいい。アイデアが浮かぶ時って水の中にいる時が多い。ショーンさんとコウくんは親子で遊んで、僕はでっかい浮き輪に乗ってプカプカと流れて楽しんだ。
部屋に戻って男三人でざこ寝。ベッドは二つあるけど、コウくんの寝相が悪くて、お父さんの所で寝てたはずが、ソファーで寝てたり、しばらくして息苦しくなったんで目が覚めたら、僕の腹の上にコウくんの足がある。なんて奴だって笑った。
11月6日、朝からリゾート地で遊ぶはずだったが、外はみぞれが降る寒さ。なんだかんだと時を過ごして帰宅。まだ時差ぼけが完治してないのと、無呼吸症の治療を休んでいるため、車に乗ると睡魔が襲ってくる。運転しているショーンさんには申し訳ないんだけど寝かせてもらった。
午後からショーンさんの知人で、とある美術の先生と会った。1月に日本に行くらしい。その先生の似顔絵を描くことになったわけだが、逆に僕も似顔絵を描いてもらった。似顔絵の交換だ。喫茶店で僕らは何やってんだ?って傍から見たら変な光景だろうけど、最後の最後に僕が似顔絵のモデルになって終わるってのも面白い。むしろアメリカのエンディングとしては最高だったかも。
ショーンさんと千佳さんのお陰で、短い時間だけどたくさんの人と出会えた。たくさんの笑顔と触れられた。そして、たくさんの思い出が出来た。
アメリカ最後の夜。夢のような日々が頭の中をいくつも回想している。僕が感じたアメリカは日本と間逆だった。言葉が通じない分、アメリカの言葉を音として聞いていた。日本とはリズムが違う。わりと語尾が上がる英語と、わりと語尾が下がる日本語。間逆だ。言葉と文化は切っても切れない。僕の感じからアメリカはKIG of KIGの国。男っぽい。逆に母国、母校、母なる大地と表現する日本。まさに間逆だ。
子ども達の教育もそう。アメリカは褒めて育てる。日本は我慢させて育てる。わりとね。だけど何だろう?日本とアメリカ。アメリカと日本。間逆なのに案外どうでも良かったりする空気が真ん中にしっかりある。それが不思議だ。
人生初のアメリカ一人旅。アメリカの地からインターネットで情報を流し、距離や時差を飛び越えて日本に伝わっている。なんちゅう時代だ!?なのにとうとう家には一度も電話をしなかった。しないというよりは出来なかった、正直な話。時差が突然12時間から13時間に変わったり、メールを送ろうと思ったら、IDとパスワードを忘れていた。ラジオも無い、テレビもつけない、アメリカの時間を一分一秒でも吸収して何かを得ようと必死に過ごした。
僕の子ども達も大きく飛躍して欲しい。親のことなんか気にしないで、外に外にとたくさんの経験を重ねて欲しい。親としては心配だし寂しいけど、遠いアメリカで生活している千佳さんを見て、もしも娘のモモコが同じように海外で・・・と想像してみた。本心は反対だけど、それが娘の幸せならと思えるように、ある程度免疫付けておけるように心がけるキッカケもできた。
とにもかくにも、アメリカでいろんな事を経験し、いろんな事を考えさせられた。日本に帰って僕はいったいどうなるんだろう?この10日間は何となく42年間の集大成でもあり人生の折り返し地点だった気がする。そういう表現が何となくしっくりくる。これから先の人生、僕は何が待っているんだろう?
日本で留学やキャンプを何度も経験しているショーンさん曰く、僕の気持ちは懐かしいように思い出して共感するそうだ。逆に日本からアメリカで経験している千佳さんも分かるらしく「日本に帰ってから感じて下さい」と。何を感じるんだろう?とりあえず渡米する前と帰国した後では全く違っているだろう。どう変わるのか?とても自分に興味がある。
さてさて、アメリカ日記はこれにて終了。アメリカからの更新はこれにて終わり。意味不明な長文で失礼しっぱなしだったけど、どうかご勘弁を。
ショーンさんと千佳さんに感謝。コウくんとシンくんの成長とご家族がこれから先も幸多かれと祈っています。
さようなら、アメリカ。
ありがとう。
水に浸かっているのは気持ちいい。アイデアが浮かぶ時って水の中にいる時が多い。ショーンさんとコウくんは親子で遊んで、僕はでっかい浮き輪に乗ってプカプカと流れて楽しんだ。
部屋に戻って男三人でざこ寝。ベッドは二つあるけど、コウくんの寝相が悪くて、お父さんの所で寝てたはずが、ソファーで寝てたり、しばらくして息苦しくなったんで目が覚めたら、僕の腹の上にコウくんの足がある。なんて奴だって笑った。
11月6日、朝からリゾート地で遊ぶはずだったが、外はみぞれが降る寒さ。なんだかんだと時を過ごして帰宅。まだ時差ぼけが完治してないのと、無呼吸症の治療を休んでいるため、車に乗ると睡魔が襲ってくる。運転しているショーンさんには申し訳ないんだけど寝かせてもらった。
午後からショーンさんの知人で、とある美術の先生と会った。1月に日本に行くらしい。その先生の似顔絵を描くことになったわけだが、逆に僕も似顔絵を描いてもらった。似顔絵の交換だ。喫茶店で僕らは何やってんだ?って傍から見たら変な光景だろうけど、最後の最後に僕が似顔絵のモデルになって終わるってのも面白い。むしろアメリカのエンディングとしては最高だったかも。
ショーンさんと千佳さんのお陰で、短い時間だけどたくさんの人と出会えた。たくさんの笑顔と触れられた。そして、たくさんの思い出が出来た。
アメリカ最後の夜。夢のような日々が頭の中をいくつも回想している。僕が感じたアメリカは日本と間逆だった。言葉が通じない分、アメリカの言葉を音として聞いていた。日本とはリズムが違う。わりと語尾が上がる英語と、わりと語尾が下がる日本語。間逆だ。言葉と文化は切っても切れない。僕の感じからアメリカはKIG of KIGの国。男っぽい。逆に母国、母校、母なる大地と表現する日本。まさに間逆だ。
子ども達の教育もそう。アメリカは褒めて育てる。日本は我慢させて育てる。わりとね。だけど何だろう?日本とアメリカ。アメリカと日本。間逆なのに案外どうでも良かったりする空気が真ん中にしっかりある。それが不思議だ。
人生初のアメリカ一人旅。アメリカの地からインターネットで情報を流し、距離や時差を飛び越えて日本に伝わっている。なんちゅう時代だ!?なのにとうとう家には一度も電話をしなかった。しないというよりは出来なかった、正直な話。時差が突然12時間から13時間に変わったり、メールを送ろうと思ったら、IDとパスワードを忘れていた。ラジオも無い、テレビもつけない、アメリカの時間を一分一秒でも吸収して何かを得ようと必死に過ごした。
僕の子ども達も大きく飛躍して欲しい。親のことなんか気にしないで、外に外にとたくさんの経験を重ねて欲しい。親としては心配だし寂しいけど、遠いアメリカで生活している千佳さんを見て、もしも娘のモモコが同じように海外で・・・と想像してみた。本心は反対だけど、それが娘の幸せならと思えるように、ある程度免疫付けておけるように心がけるキッカケもできた。
とにもかくにも、アメリカでいろんな事を経験し、いろんな事を考えさせられた。日本に帰って僕はいったいどうなるんだろう?この10日間は何となく42年間の集大成でもあり人生の折り返し地点だった気がする。そういう表現が何となくしっくりくる。これから先の人生、僕は何が待っているんだろう?
日本で留学やキャンプを何度も経験しているショーンさん曰く、僕の気持ちは懐かしいように思い出して共感するそうだ。逆に日本からアメリカで経験している千佳さんも分かるらしく「日本に帰ってから感じて下さい」と。何を感じるんだろう?とりあえず渡米する前と帰国した後では全く違っているだろう。どう変わるのか?とても自分に興味がある。
さてさて、アメリカ日記はこれにて終了。アメリカからの更新はこれにて終わり。意味不明な長文で失礼しっぱなしだったけど、どうかご勘弁を。
ショーンさんと千佳さんに感謝。コウくんとシンくんの成長とご家族がこれから先も幸多かれと祈っています。
さようなら、アメリカ。
ありがとう。
11月5日月曜日、千佳さんが勤めるCLOVIS小学校へ。学校の人気者で用務員さんのミスター・トムの似顔絵を朝一番に描く。見るからにサンタクロース。笑顔も素敵な人だ。
トムさんを描いている間、僕の周りは子ども達が集まってきた。最初、トムさんは僕の前ではやや緊張ぎみな表情だったが、子ども達が集まったらとてもイイ笑顔になった。この人は心から子供が好きなんだなって分かった。このトムさんは過去にベトナム戦争へ行って来た人だとも聞いた。笑顔の向こうには、そんな経験もあったとは・・・。だからこそ笑顔が大切なんだなって、何も語らないトムさんから教わった。
その後、二つのクラスにお邪魔して似顔絵教室を。僕の案内役はセッスラー先生。もう子ども達は登校3日目の僕の顔を覚えてくれて、絵を描く外国人として笑顔で接してくれた。授業の最後は質問コーナー。「アンパンマンは描けますか?」「描けますよ!」ホワイトボードに即席で描いたら大喝采。「トトロは描けますか?」「もちろん!」これまた凄い反応。「ポケモンは描けますか?」ちょっとまった・・・似顔絵よりも盛り上がってるやん・・・さすがにセッスラー先生がストップしてくれた。
それにしても、やなせたかしさんや宮崎駿監督、鳥山明さんなんど日本のアニメはアメリカでも大人気。漫画って凄いんだって改めて知った。僕も世界に届くようなキャラクターを生み出したいとジェラシーを感じた。
昼休み、二年生の子ども達と一緒に給食を食べた。他のクラスの子ども達がこっちに来いって僕を呼んでいる。「嬉しいじゃないか、こんちくしょ~め」なんて寅さんみたいな口調でしゃべっても誰も知らない・・・。とりあえず、しゃべったことの無い子の席へ。目の前には金髪でそばかすだらけの女の子が僕の顔を見て笑ってる。「ハアイ!」って言ったら、もっと笑った。左隣には元気そうな男の子が二人。「イングリッシュ ティーチャー プリーズ」って言ったら、これは何だと指差した。「ミルク」って言ったら「イェース!」ってすっかり先生気分。次これは?って指指したんで「チキンナゲット」って答えたら「イェース!」って三人で。盛り上がってきた。
僕は英語を教えてもらったお礼に日本語を教えた。人指し指と中指の二本立てて「カトちゃん、ぺ!」って鼻の下に着ける。三人とも何だか分からないのに何度も喜んで「カトちゃん。ぺ!」を連呼。この日本語は、どんどん子ども達に伝染してしまった。恐るべし「カトちゃん、ぺ!」
食べ終わったら外へ出て一緒に遊ぼうって誘われた。セッスラー先生が寒いからこれを着てとトレーナーを貸してくれた。トレーナーには字が書いてある「私は日本語ができます」って。確かに・・・。しかもサイズはM。着られないけど、せっかくの親切だから、袖を腰に巻いて、「私は日本語ができます」って文字が見えるように着た。相撲取りか俺は?って自分でボケたが、これも通じなかった・・・。
子ども達は僕にどうやらキックベースボールをやろうって誘ってくれた。野球のルールでソフトバレーのボールを、バッターは足で蹴るというルールだ。それなら僕でも出来る!バリバリ野球の言葉は知っている。まずは守備から。僕はサードのポジションに着くように指示。いきなりボールがライナーで飛んできた。ショートに守っている男の子がキャッチ。「ナイスキャッチ!ナイスショート!」って言ったら「サンキュウ!」だって。英語が通じてるんで嬉しくなった。「ワンナウト!」って言ったら、チームのみんなが「ワンナウト」って人指し指を立ててポーズした。これも通じてる。
僕の英語は完璧だった。「カモーン!」「ツーアウト!」「ファールボール」「バックホーム!」「ナイスセカン!」「ボールファースト!」「「チェンジ」素晴らしきベースボール!
三回裏、ワンナウトランナーセカンド。ネクストバッターは僕。ここで一発ホームランだとハッスルしたが、外は急に暗くなり突然雪が降って来た。子ども達は初雪が降ったってんで大はしゃぎ。僕も初雪がアメリカで体験できるとは思っていなかったので嬉しくなった。雪といってもみぞれみたいなもので、先生の一声で急いで校内に入る事に。僕のアメリカでのホームランは叶わぬものとなってしまった。
午後からも二つのクラスを担当した。日本語の勉強をしている学校だから、挨拶は日本語で「コンニチハ、ヤマダセンセイ」ってみんなで言うんだけど、誰か一人は「オハヨウ、ヤマダセンセイ」なんて声が聞こえて、場が和んだりなんかした。
「僕の名前は、やまだみつるです。ニックネームはYummyです」って自己紹介したらクスって笑った。似顔絵教室は楽しく出来ました。言葉の壁を越えて、絵を描くことで通じ合う人と人とのふれあい。僕にとっては最高の時間を過ごさせてもらった。
最後の授業が終わり、教室から出ようとした時、自分の意思を無視して熱いものが込み上げてきた。そんなに感激屋じゃない僕が・・・。昨日まで「ありがとう」しか言わなかったのに、この日ばかりは「さようなら」って言葉を使うようになった。「さようなら」って言葉、一番好きじゃない。だけどもう、さようなら。
もしかして、またアメリカに来る時があるかもしれない。だけど、この思い出は一度しかない。同じ場面は二度と無い。そういう意味で「さようなら」。たくさんの子ども達が、真っ直ぐ僕の目を見て話してくれた。その瞳は脳裏にしっかりと焼きついた。さようなら。
帰りの車の中で、ショーンさんが僕にある物をプレゼントしてくれた。なんだろう?って袋を開けてみたら、学校で出会った子ども達一人ひとりが書いたメッセージカードだった。「山田さん、ありがとうございました」「たのしかった」など、日本語で書いてある。いつの間に書いてくれてたんだろう。また涙が出てきた。
こちらこそ、ありがとう。
さようなら。
トムさんを描いている間、僕の周りは子ども達が集まってきた。最初、トムさんは僕の前ではやや緊張ぎみな表情だったが、子ども達が集まったらとてもイイ笑顔になった。この人は心から子供が好きなんだなって分かった。このトムさんは過去にベトナム戦争へ行って来た人だとも聞いた。笑顔の向こうには、そんな経験もあったとは・・・。だからこそ笑顔が大切なんだなって、何も語らないトムさんから教わった。
その後、二つのクラスにお邪魔して似顔絵教室を。僕の案内役はセッスラー先生。もう子ども達は登校3日目の僕の顔を覚えてくれて、絵を描く外国人として笑顔で接してくれた。授業の最後は質問コーナー。「アンパンマンは描けますか?」「描けますよ!」ホワイトボードに即席で描いたら大喝采。「トトロは描けますか?」「もちろん!」これまた凄い反応。「ポケモンは描けますか?」ちょっとまった・・・似顔絵よりも盛り上がってるやん・・・さすがにセッスラー先生がストップしてくれた。
それにしても、やなせたかしさんや宮崎駿監督、鳥山明さんなんど日本のアニメはアメリカでも大人気。漫画って凄いんだって改めて知った。僕も世界に届くようなキャラクターを生み出したいとジェラシーを感じた。
昼休み、二年生の子ども達と一緒に給食を食べた。他のクラスの子ども達がこっちに来いって僕を呼んでいる。「嬉しいじゃないか、こんちくしょ~め」なんて寅さんみたいな口調でしゃべっても誰も知らない・・・。とりあえず、しゃべったことの無い子の席へ。目の前には金髪でそばかすだらけの女の子が僕の顔を見て笑ってる。「ハアイ!」って言ったら、もっと笑った。左隣には元気そうな男の子が二人。「イングリッシュ ティーチャー プリーズ」って言ったら、これは何だと指差した。「ミルク」って言ったら「イェース!」ってすっかり先生気分。次これは?って指指したんで「チキンナゲット」って答えたら「イェース!」って三人で。盛り上がってきた。
僕は英語を教えてもらったお礼に日本語を教えた。人指し指と中指の二本立てて「カトちゃん、ぺ!」って鼻の下に着ける。三人とも何だか分からないのに何度も喜んで「カトちゃん。ぺ!」を連呼。この日本語は、どんどん子ども達に伝染してしまった。恐るべし「カトちゃん、ぺ!」
食べ終わったら外へ出て一緒に遊ぼうって誘われた。セッスラー先生が寒いからこれを着てとトレーナーを貸してくれた。トレーナーには字が書いてある「私は日本語ができます」って。確かに・・・。しかもサイズはM。着られないけど、せっかくの親切だから、袖を腰に巻いて、「私は日本語ができます」って文字が見えるように着た。相撲取りか俺は?って自分でボケたが、これも通じなかった・・・。
子ども達は僕にどうやらキックベースボールをやろうって誘ってくれた。野球のルールでソフトバレーのボールを、バッターは足で蹴るというルールだ。それなら僕でも出来る!バリバリ野球の言葉は知っている。まずは守備から。僕はサードのポジションに着くように指示。いきなりボールがライナーで飛んできた。ショートに守っている男の子がキャッチ。「ナイスキャッチ!ナイスショート!」って言ったら「サンキュウ!」だって。英語が通じてるんで嬉しくなった。「ワンナウト!」って言ったら、チームのみんなが「ワンナウト」って人指し指を立ててポーズした。これも通じてる。
僕の英語は完璧だった。「カモーン!」「ツーアウト!」「ファールボール」「バックホーム!」「ナイスセカン!」「ボールファースト!」「「チェンジ」素晴らしきベースボール!
三回裏、ワンナウトランナーセカンド。ネクストバッターは僕。ここで一発ホームランだとハッスルしたが、外は急に暗くなり突然雪が降って来た。子ども達は初雪が降ったってんで大はしゃぎ。僕も初雪がアメリカで体験できるとは思っていなかったので嬉しくなった。雪といってもみぞれみたいなもので、先生の一声で急いで校内に入る事に。僕のアメリカでのホームランは叶わぬものとなってしまった。
午後からも二つのクラスを担当した。日本語の勉強をしている学校だから、挨拶は日本語で「コンニチハ、ヤマダセンセイ」ってみんなで言うんだけど、誰か一人は「オハヨウ、ヤマダセンセイ」なんて声が聞こえて、場が和んだりなんかした。
「僕の名前は、やまだみつるです。ニックネームはYummyです」って自己紹介したらクスって笑った。似顔絵教室は楽しく出来ました。言葉の壁を越えて、絵を描くことで通じ合う人と人とのふれあい。僕にとっては最高の時間を過ごさせてもらった。
最後の授業が終わり、教室から出ようとした時、自分の意思を無視して熱いものが込み上げてきた。そんなに感激屋じゃない僕が・・・。昨日まで「ありがとう」しか言わなかったのに、この日ばかりは「さようなら」って言葉を使うようになった。「さようなら」って言葉、一番好きじゃない。だけどもう、さようなら。
もしかして、またアメリカに来る時があるかもしれない。だけど、この思い出は一度しかない。同じ場面は二度と無い。そういう意味で「さようなら」。たくさんの子ども達が、真っ直ぐ僕の目を見て話してくれた。その瞳は脳裏にしっかりと焼きついた。さようなら。
帰りの車の中で、ショーンさんが僕にある物をプレゼントしてくれた。なんだろう?って袋を開けてみたら、学校で出会った子ども達一人ひとりが書いたメッセージカードだった。「山田さん、ありがとうございました」「たのしかった」など、日本語で書いてある。いつの間に書いてくれてたんだろう。また涙が出てきた。
こちらこそ、ありがとう。
さようなら。
11月4日日曜日、ショーンさんが航空記念館とショッピングに連れて行ってくれた。ウィスコンシン州メナーシャという地区は、とても住みやすくて僕の町とよく似た感じがする。郊外に大型店が軒並び、この点も似てる。
無料のハイウェイで車を走らせ、緑の芝生と樹木が立ち並ぶ住宅外。アメリカの風景は絵になる。途中、大きな湖を渡った。緑と青のコントラストが綺麗だった。
アメリカは広い。飛行機がいくつも建物の中に保存されている。外は年に一回航空ショーが開かれて、国中から人が集まってくる。ゴルフ場がいくつ入るんだ?ってくらい外の敷地も広い。
建物の中に入ると、飛行機の歴史が紹介されている。高い所が嫌いだから飛行機には興味が無い。ふと見るとリンドバーグの新聞記事があった。歴史ものは大好きだ。飛行機の歴史は戦争の歴史でもある。残念。第二次世界大戦の記録があった。アメリカから見た戦争。
ドイツと日本と戦った記録が紹介されていた。山本五十六の写真があった。字は読めないけど、戦争に勝利したアメリカ、そう紹介しているように感じた。戦争に勝敗は無い。あるのは暴挙と犠牲だけ。
この日僕は、日本から持ってきたジャイアンツのユニフォームと帽子を着用。アメリカでどうしても着たかった。ショッピングモールに入ると、僕の格好なんかよりも、アメリカ人の体のデカさに驚く。元横綱の曙や武蔵丸みたいな人がぞろぞろ歩いてる。男だけじゃなくて女性も。ショーンさんもデカイけどスリムに見える。僕のメタボリックなんて“ヘ”みたいなもんだ。
ヤンキースの松井やマリナーズのイチロー、野茂なんかはこんなデカイ連中といるのか・・・と想像したら、メジャーでスタメンに出てる選手の素晴らしさを改めて知った。
買い物は苦手だ。そもそも好きじゃない。どうやらショーンさんも一緒で、買い物嫌いの男二人がショッピングしてるのも笑ってしう。しかもゾンビが大好きなショーンさんと、野球が大好きな僕。ゾンビの商品やお店がどこにでもある。ショーンさんが入る店は僕が興味なく、僕が入るスポーツショップはショーンさんが静かになる。しまいには別々で行動することに。待ち合わせ場所に二人がそろってみたが、お互い手ぶら。結局は高くて買えない。案外欲しいものはいらなくてもいい物だったりするから情けないね。
店内をウロウロしていたら、とらる若い兄ちゃんが声かけてきた。ショーンは近くにいない。何を話しているのかわからない。「ノー、イングリッシュ」と言っても、やや興奮ぎみに話しかけくる。その時だ「・・・ジャイアンツ・・・・」って聞こえた。もしかして?と思って着ているユニフォームを指差して「ジャイアンツファン?」って訊ねたら「オー!イエーース!!!」って返事。即握手!そこに丁度ショーンさんがやって来て、兄ちゃんの言うことを通訳してくれた。どうやらジャイアンツのユニフォームが欲しくて、何処で買ったのか教えて欲しいんだって。ジャイアンツのホームページから買ったと教えたら納得してくれた。ジャイアンツの誰が好き?って聞いたら、V9時代のユニフォームを僕が着ていたからかもしれないけど「サダハル オー」って、お前古いなぁって思いながらも僕はその場で一本足打法にゼスチャーした。兄ちゃんと僕は大ノリ。一人ショーンさんだけはしらけていた。
こうした出会いも楽しみながら、休日の余暇を楽しませてもらった。
あ、忘れていた。お昼にショーンさんと中華料理店に入った。美味しくないとは聞いていたが、本当に美味しくないのか、どんだけまずいのか味わってみたくなって、止めといたほうがいいと言うショーンさんを無理やり説得して店に入った。お昼なのにお客は誰もいない。即不安になった。注文した料理が出た。
ショーンさん、あんたは偉い!さすが日本の事をよく知ってらっしゃる。味覚も。食べる前に、その料理は僕がいつも見る色ではない。食べてみた。以外といけるかも・・・まずくはない。あ・・・やっぱりまずいわ・・・後味がなんか甘い。チャーハンが甘いってどうなんだ?アメリカ人の好む味にしてるらしいが、どうなんだ?味わってみたい方は、どうぞアメリカで。それしか説明できない。
無料のハイウェイで車を走らせ、緑の芝生と樹木が立ち並ぶ住宅外。アメリカの風景は絵になる。途中、大きな湖を渡った。緑と青のコントラストが綺麗だった。
アメリカは広い。飛行機がいくつも建物の中に保存されている。外は年に一回航空ショーが開かれて、国中から人が集まってくる。ゴルフ場がいくつ入るんだ?ってくらい外の敷地も広い。
建物の中に入ると、飛行機の歴史が紹介されている。高い所が嫌いだから飛行機には興味が無い。ふと見るとリンドバーグの新聞記事があった。歴史ものは大好きだ。飛行機の歴史は戦争の歴史でもある。残念。第二次世界大戦の記録があった。アメリカから見た戦争。
ドイツと日本と戦った記録が紹介されていた。山本五十六の写真があった。字は読めないけど、戦争に勝利したアメリカ、そう紹介しているように感じた。戦争に勝敗は無い。あるのは暴挙と犠牲だけ。
この日僕は、日本から持ってきたジャイアンツのユニフォームと帽子を着用。アメリカでどうしても着たかった。ショッピングモールに入ると、僕の格好なんかよりも、アメリカ人の体のデカさに驚く。元横綱の曙や武蔵丸みたいな人がぞろぞろ歩いてる。男だけじゃなくて女性も。ショーンさんもデカイけどスリムに見える。僕のメタボリックなんて“ヘ”みたいなもんだ。
ヤンキースの松井やマリナーズのイチロー、野茂なんかはこんなデカイ連中といるのか・・・と想像したら、メジャーでスタメンに出てる選手の素晴らしさを改めて知った。
買い物は苦手だ。そもそも好きじゃない。どうやらショーンさんも一緒で、買い物嫌いの男二人がショッピングしてるのも笑ってしう。しかもゾンビが大好きなショーンさんと、野球が大好きな僕。ゾンビの商品やお店がどこにでもある。ショーンさんが入る店は僕が興味なく、僕が入るスポーツショップはショーンさんが静かになる。しまいには別々で行動することに。待ち合わせ場所に二人がそろってみたが、お互い手ぶら。結局は高くて買えない。案外欲しいものはいらなくてもいい物だったりするから情けないね。
店内をウロウロしていたら、とらる若い兄ちゃんが声かけてきた。ショーンは近くにいない。何を話しているのかわからない。「ノー、イングリッシュ」と言っても、やや興奮ぎみに話しかけくる。その時だ「・・・ジャイアンツ・・・・」って聞こえた。もしかして?と思って着ているユニフォームを指差して「ジャイアンツファン?」って訊ねたら「オー!イエーース!!!」って返事。即握手!そこに丁度ショーンさんがやって来て、兄ちゃんの言うことを通訳してくれた。どうやらジャイアンツのユニフォームが欲しくて、何処で買ったのか教えて欲しいんだって。ジャイアンツのホームページから買ったと教えたら納得してくれた。ジャイアンツの誰が好き?って聞いたら、V9時代のユニフォームを僕が着ていたからかもしれないけど「サダハル オー」って、お前古いなぁって思いながらも僕はその場で一本足打法にゼスチャーした。兄ちゃんと僕は大ノリ。一人ショーンさんだけはしらけていた。
こうした出会いも楽しみながら、休日の余暇を楽しませてもらった。
あ、忘れていた。お昼にショーンさんと中華料理店に入った。美味しくないとは聞いていたが、本当に美味しくないのか、どんだけまずいのか味わってみたくなって、止めといたほうがいいと言うショーンさんを無理やり説得して店に入った。お昼なのにお客は誰もいない。即不安になった。注文した料理が出た。
ショーンさん、あんたは偉い!さすが日本の事をよく知ってらっしゃる。味覚も。食べる前に、その料理は僕がいつも見る色ではない。食べてみた。以外といけるかも・・・まずくはない。あ・・・やっぱりまずいわ・・・後味がなんか甘い。チャーハンが甘いってどうなんだ?アメリカ人の好む味にしてるらしいが、どうなんだ?味わってみたい方は、どうぞアメリカで。それしか説明できない。
11月3日土曜日、千佳さんがショッピングモールへ連れて行ってくれた。週末の人込みは、仕事をしてるので日本でもここ5年は見たことがない。とにかくドでかい建物で驚いた。僕よりもコウくんが大喜び。あっちキョロキョロ、こっちウロウロ。僕の息子もコウくんと同じ年の頃そうだった。店内はハロウィンが終わり、クリスマス商品が陳列されていた。
お昼を食べた後、コウくんの友達のジョナくんの誕生日パーティの参加した。僕は会場でジョナくんの似顔絵を描いてプレゼントするという役。パーティの最中に主役を15分独占してしまったが、ジョナくんは動かないでちゃんと僕を見つめ、思いっきり笑顔でいてくれた。いい絵が描けた。時間があったのでジョナくんのパパも描いた。二人に絵を渡したら凄く喜んでくれた。特にパパが。お祝いの席に突然乱入した外国人の僕、役に立てて良かった。
パーティが終わって今度はショーンさんが教会に連れて行ってくれた。誕生日パーティに教会と見るもの全てがアメリカ!目に焼き付けようと必死になって、すっかり口数が少なくなった。とにかくアメリカだ。
パーティの場で、僕が絵を描いている姿を見て声かけてきた方がいた。渡米2日目か3日目に小学校で似顔絵を描いた女の子のお母さんもいて「仕事から家に帰ってきたら娘の似顔絵があってビックリした、嬉しかった」と言ってくれた。教会でも、昨日の小学校へ訪問したときにサインを書いた女の子がお母さんと来ていて「昨日はありがとう」と声かけられた。この短期間で次にも繋がる展開になっているのがホント嬉しい。神父さんの絵も描かせてもらった。教会の大講堂に笑いが広がった。
観光目的で渡米したんじゃないから、見るもの触れるもの感じるもの全てを仕事に当てはめようとしている。ショーンさんも千佳さんも、その事はよく分かってくれていて、いろんな場面を提供してくれた。そのお陰もあって、僕の「似顔絵」というスタイルは、どんどん良い展開になっている。
出会いは偶然ではなく必然だと話す人がいる。今、それを実感している。千佳さんから最初にコウくんを描いた似顔絵を見せてもらった。大事に飾ってくれていた。その当時の絵はとても若々しいタッチで、それはそれで僕の最高の技術で描いたもの。もしもその時にアメリカに渡米していたら通用しただろうか?今回、6歳になったコウくんの似顔絵を描いた。コウくんも成長してるし僕のタッチも成長してる。時の流れを感じさせる二枚を絵を見比べて、技術も経験も重ねて3年経った今だから、ショーンさんと千佳さんからアメリカに呼ばれたんだと思った。
“人智を尽くし天命を待つ“
今僕が置かれている状況は、今の僕の実力に過ぎない。夢に向かってジタバタしてきて、その度にどうして?どうして?と世間に疑問を抱いていた。その身勝手な欲求を向上心にして隙間をぬって来た。掴みたいものになかなか届かない。そのもがきから開放されたくて、いろんな事を自ら仕掛けていた。今年の春になってからだ、もうそんなの止めようって考えに変わったのが。
自分から仕掛けなきゃ何も来なくなるだろうって不安はあった。あったのに止めようって気になった。そしたら声をかけてもらうことばかりで、仕掛けていた以上に忙しくなった。
こんな事ってあるのかな?って考える暇も無い。嬉しい悲鳴をあげるようになった。もしかすると13年描き続けて、今になって絵が一人歩きしはじめたのかも。
そもそも似顔絵というジャンルは、絵が上手いから、写実的に人の顔が描けるからだけじゃなく、不特定多数の人が見ても似ている絵だと判断できるものじゃなければいけない。まさに実力の世界。そんなジャンルの中だからこそ自分を高ぶらせることができた。
今、アメリカで絵を描いて心をつかめている。今の実力だからだと判断してみた。新潟に戻ってこれから先、どんな展開になるのか?実力が示す現実があるわけだから、自分の地位が不満なら、自分の実力はそんなもんだと言える。
これから先は、誰かに憧れるとか、どんなメジャーな人と会おうが、僕の親が付けてくれた「やまだみつる」という名前をもっと磨きかけてやろうって思うようになった。
お昼を食べた後、コウくんの友達のジョナくんの誕生日パーティの参加した。僕は会場でジョナくんの似顔絵を描いてプレゼントするという役。パーティの最中に主役を15分独占してしまったが、ジョナくんは動かないでちゃんと僕を見つめ、思いっきり笑顔でいてくれた。いい絵が描けた。時間があったのでジョナくんのパパも描いた。二人に絵を渡したら凄く喜んでくれた。特にパパが。お祝いの席に突然乱入した外国人の僕、役に立てて良かった。
パーティが終わって今度はショーンさんが教会に連れて行ってくれた。誕生日パーティに教会と見るもの全てがアメリカ!目に焼き付けようと必死になって、すっかり口数が少なくなった。とにかくアメリカだ。
パーティの場で、僕が絵を描いている姿を見て声かけてきた方がいた。渡米2日目か3日目に小学校で似顔絵を描いた女の子のお母さんもいて「仕事から家に帰ってきたら娘の似顔絵があってビックリした、嬉しかった」と言ってくれた。教会でも、昨日の小学校へ訪問したときにサインを書いた女の子がお母さんと来ていて「昨日はありがとう」と声かけられた。この短期間で次にも繋がる展開になっているのがホント嬉しい。神父さんの絵も描かせてもらった。教会の大講堂に笑いが広がった。
観光目的で渡米したんじゃないから、見るもの触れるもの感じるもの全てを仕事に当てはめようとしている。ショーンさんも千佳さんも、その事はよく分かってくれていて、いろんな場面を提供してくれた。そのお陰もあって、僕の「似顔絵」というスタイルは、どんどん良い展開になっている。
出会いは偶然ではなく必然だと話す人がいる。今、それを実感している。千佳さんから最初にコウくんを描いた似顔絵を見せてもらった。大事に飾ってくれていた。その当時の絵はとても若々しいタッチで、それはそれで僕の最高の技術で描いたもの。もしもその時にアメリカに渡米していたら通用しただろうか?今回、6歳になったコウくんの似顔絵を描いた。コウくんも成長してるし僕のタッチも成長してる。時の流れを感じさせる二枚を絵を見比べて、技術も経験も重ねて3年経った今だから、ショーンさんと千佳さんからアメリカに呼ばれたんだと思った。
“人智を尽くし天命を待つ“
今僕が置かれている状況は、今の僕の実力に過ぎない。夢に向かってジタバタしてきて、その度にどうして?どうして?と世間に疑問を抱いていた。その身勝手な欲求を向上心にして隙間をぬって来た。掴みたいものになかなか届かない。そのもがきから開放されたくて、いろんな事を自ら仕掛けていた。今年の春になってからだ、もうそんなの止めようって考えに変わったのが。
自分から仕掛けなきゃ何も来なくなるだろうって不安はあった。あったのに止めようって気になった。そしたら声をかけてもらうことばかりで、仕掛けていた以上に忙しくなった。
こんな事ってあるのかな?って考える暇も無い。嬉しい悲鳴をあげるようになった。もしかすると13年描き続けて、今になって絵が一人歩きしはじめたのかも。
そもそも似顔絵というジャンルは、絵が上手いから、写実的に人の顔が描けるからだけじゃなく、不特定多数の人が見ても似ている絵だと判断できるものじゃなければいけない。まさに実力の世界。そんなジャンルの中だからこそ自分を高ぶらせることができた。
今、アメリカで絵を描いて心をつかめている。今の実力だからだと判断してみた。新潟に戻ってこれから先、どんな展開になるのか?実力が示す現実があるわけだから、自分の地位が不満なら、自分の実力はそんなもんだと言える。
これから先は、誰かに憧れるとか、どんなメジャーな人と会おうが、僕の親が付けてくれた「やまだみつる」という名前をもっと磨きかけてやろうって思うようになった。
とにかく充実した日々を過ごさせてもらってる。上手く行くことばかりの日記で、人の自慢話ほどつまらないし、そろそろウザイと思われているだろうな。イヤラシイ話、失敗することをネタにしようと成り行き任せで渡米したのに、むしろ上手く展開が変わってしまってる。
負を生かす。似顔絵を始めたのが30歳から。周囲からは何で今頃と反感を食らった。「絵で食っていけるわけない」「趣味は仕事にできない」「新潟じゃ無理だ」そんなことばかり言われたけど、僕は将来の事を考えたら得意なものを仕事にしない方が不安だ。30歳デビューだから、誰もやっていない新潟だから逆に目立つだろう。人が喜ぶことをしようと思ってるんだから、それはビジネスの基本中の基本だろ!って、ハンディキャップだとはちっとも思わなかった。
でも、なかなか結果が出ない。少しづつ一つづで収入がない。お金が欲しいのにお金にならないことばかりやっている。むしろお金と時間を使ってばかりで夢は遠いまま。ただ貪欲に自分を信じていたから、非常なくらいあきらめなかった。だいたい似顔絵なんて隙間産業。土壌が無いから作るしかない。信用が無いから実績を重ねるしかない。人脈を作るしか生きてゆけない。この穴を埋めるしか方法はなかった。
東京に行きたい。なかなか結果でない事にイライラしてる毎日。どうせ土壌と信用と実績を作るなら東京の方が手っ取り早いって漠然とそう思うようにもなった。夢は高い所にある。でも気がついたら地上でたくさんの人脈と土壌が新潟で広がっていた。
アメリカ滞在日記に飛ぶ。11月2日(金)ショーンさんと一緒に教育長さんを訪ねた。とてもダンディ。この日本人は何者なんだって最初は思っていただろう、似顔絵を描いてプレゼントしたら、驚いて喜んでくれた。
その後、Jefferson小学校とNicolet小学校へ移動して似顔絵教室。ショーンさんは僕を「Yami」ってニックネームで紹介してくれた。名づけ親は千佳さん。「ヤミー」とは、アメリカで子供が一番最初意覚える言葉で「おいしい」という辞書には無いう子供向けの言葉。この言葉がアメリカで一番多く言うらしい。最高のニックネームをつけてもらった。
絵を描いた後の子ども達や先生から好評を頂いた。驚くのは、どこの学校に行っても校長先生が迎えてくれる。ずっと僕の教室を眺めていた。またアメリカに来て欲しい。校長の社交辞令かもしれないけど、ショーンさん曰くまんざらでもないらしい。
60人、100人の子を相手に日本語でしゃべる。ショーンさんが通訳してくれている。モデルになってくれた子の似顔絵をみんなで描くのだが、最後は僕の顔まで描いてくれてプレゼントしてくれる子が何人もいて、サインまで求められた。
ショーンさんが日本から似顔絵を描く人が来るからって地区の全学校にオファーを出してくれてた。ぜひ来て欲しいってメールがいっぱい来たそうだ。そこまでしてくれたショーンさんの顔を汚したら申し訳ない。行き当たりばったりの授業だけど、むしろそれが良い方向に流れて行った。言葉が通じない分、その場の空気で子ども達とやり取りしたからだと思う。
本当に絵だけでアメリカの人達と接している。その絵がアメリカの人達の心をつかんでもいる。それが嬉しい。それこそが僕がアメリカに来て確認したかった事。新潟でやってきたことが間違いじゃなかったって思えたのが大きな収穫だった。
業界人や玄人の目じゃなく、一般の人達から評価を頂けるのが何よりの価値だと思っていて、新潟もアメリカもそれが得られたのが嬉しかった。
夜はウィスコンシン州日本語の会に招かれた。日本人が何人かいた。外で日本語がしゃべれる。僕のスピーチは絶好調。これまた大成功だった。
パーティが終わってショーンさんと家路に戻る。ショーンさんと千佳さんと僕とで夜遅くまで語った。生きるとは?環境とは?教育とは?常識とは?答えの無いものに僕らは熱く語りあった。
負を生かす。似顔絵を始めたのが30歳から。周囲からは何で今頃と反感を食らった。「絵で食っていけるわけない」「趣味は仕事にできない」「新潟じゃ無理だ」そんなことばかり言われたけど、僕は将来の事を考えたら得意なものを仕事にしない方が不安だ。30歳デビューだから、誰もやっていない新潟だから逆に目立つだろう。人が喜ぶことをしようと思ってるんだから、それはビジネスの基本中の基本だろ!って、ハンディキャップだとはちっとも思わなかった。
でも、なかなか結果が出ない。少しづつ一つづで収入がない。お金が欲しいのにお金にならないことばかりやっている。むしろお金と時間を使ってばかりで夢は遠いまま。ただ貪欲に自分を信じていたから、非常なくらいあきらめなかった。だいたい似顔絵なんて隙間産業。土壌が無いから作るしかない。信用が無いから実績を重ねるしかない。人脈を作るしか生きてゆけない。この穴を埋めるしか方法はなかった。
東京に行きたい。なかなか結果でない事にイライラしてる毎日。どうせ土壌と信用と実績を作るなら東京の方が手っ取り早いって漠然とそう思うようにもなった。夢は高い所にある。でも気がついたら地上でたくさんの人脈と土壌が新潟で広がっていた。
アメリカ滞在日記に飛ぶ。11月2日(金)ショーンさんと一緒に教育長さんを訪ねた。とてもダンディ。この日本人は何者なんだって最初は思っていただろう、似顔絵を描いてプレゼントしたら、驚いて喜んでくれた。
その後、Jefferson小学校とNicolet小学校へ移動して似顔絵教室。ショーンさんは僕を「Yami」ってニックネームで紹介してくれた。名づけ親は千佳さん。「ヤミー」とは、アメリカで子供が一番最初意覚える言葉で「おいしい」という辞書には無いう子供向けの言葉。この言葉がアメリカで一番多く言うらしい。最高のニックネームをつけてもらった。
絵を描いた後の子ども達や先生から好評を頂いた。驚くのは、どこの学校に行っても校長先生が迎えてくれる。ずっと僕の教室を眺めていた。またアメリカに来て欲しい。校長の社交辞令かもしれないけど、ショーンさん曰くまんざらでもないらしい。
60人、100人の子を相手に日本語でしゃべる。ショーンさんが通訳してくれている。モデルになってくれた子の似顔絵をみんなで描くのだが、最後は僕の顔まで描いてくれてプレゼントしてくれる子が何人もいて、サインまで求められた。
ショーンさんが日本から似顔絵を描く人が来るからって地区の全学校にオファーを出してくれてた。ぜひ来て欲しいってメールがいっぱい来たそうだ。そこまでしてくれたショーンさんの顔を汚したら申し訳ない。行き当たりばったりの授業だけど、むしろそれが良い方向に流れて行った。言葉が通じない分、その場の空気で子ども達とやり取りしたからだと思う。
本当に絵だけでアメリカの人達と接している。その絵がアメリカの人達の心をつかんでもいる。それが嬉しい。それこそが僕がアメリカに来て確認したかった事。新潟でやってきたことが間違いじゃなかったって思えたのが大きな収穫だった。
業界人や玄人の目じゃなく、一般の人達から評価を頂けるのが何よりの価値だと思っていて、新潟もアメリカもそれが得られたのが嬉しかった。
夜はウィスコンシン州日本語の会に招かれた。日本人が何人かいた。外で日本語がしゃべれる。僕のスピーチは絶好調。これまた大成功だった。
パーティが終わってショーンさんと家路に戻る。ショーンさんと千佳さんと僕とで夜遅くまで語った。生きるとは?環境とは?教育とは?常識とは?答えの無いものに僕らは熱く語りあった。
日本時間から14時間戻るとアメリカ時間。この日記を書き始めたのが2日の午前4時半だから、日本時間は2日の午後の6時半。子ども達は夕飯ちゃんと食ってるかなぁ?
月が替わって11月1日。僕がアメリカに来てからずっと青空が続いている。晴れ男かと思ったら、千佳さんから「ここは新潟よりも雨が降らないんです」って。朝一で突っ込まれた。風が冷たいけど、やっぱり青空が見えると清々しい気持ちになる。新潟はこの時期から鉛色の空が春まで続く。今年は暖冬で青空がいっぱい見られたが、来年はどうなんだろう?新潟を思う。
昨日に引き続き、千佳さんが勤めるメイシャー地区のClovis小学校へ。二日目となると、子ども達は僕に対しての警戒心はなく、友達のように近寄って来てくれた。特に似顔絵を描いた子は満面の笑みで「ハーイ!」って声かけてくる。早速、画材を用意して朝のホームルームで2人ほど描こうとしていたら、もう僕の隣に座っている子がいる。昨日から描いて欲しいと言っていたシドニーちゃん5歳だ。金髪で目が青く、やんちゃで笑顔を絶やさない女の子。描いている間、僕と目が合うたびに照れ笑いする。めちゃくちゃ可愛い。出来上がった絵を見たら、微妙な顔をしたのが可笑しかった。
次はモデルになってもおかしくないほど美人のドリューちゃん。人形が動いているようだ。彼女の魅力に圧倒されそうなオーラを感じて、これじゃモデルに負けて描けない、上から見下ろせ!と自分に言い聞かせて描いた。
あの~、似顔絵を描くってこういう心理が無いとダメなわけで、落語家さんも言うんだけど、講座の時はお客さんの目線よりも上、高い所じゃないと圧倒されて話せないそうだ。それと同じ。相手に合わせようとしたら弱々しい絵になったり、生命力の無い絵になってしまいがち。描き手がどう捕らえ、どう引き出すか、それでいてちゃんと作品になっている絵を描かなきゃいけない。日々変わっていく人の顔とイメージ。似顔絵ってのはアートの世界でも特に難しいジャンルだと、やっていてそう思う。
この日、僕を担当してくれる方はセッスラー先生という綺麗な女性。日本語がとても上手い。日本語教師だから当たり前だ。おそらくショーンさんもセッスラーさんも、僕より日本という国をよく知ってると思う。いっぱい情報を仕入れているはずだから。日本人の僕だけど、新潟の地元くらいしか実は知らないからね。
似顔絵教室の授業を5つの教室にお邪魔して、一日やらさせてもらった。教室に入った時の生徒達は、何だこのアジア人は?って顔をしてる。先生も。授業をやり始めると、千佳さんと昨日描かせてもらった男の子2人が突然登場して、その二人の子の似顔絵を見せるって展開に。さすが千佳さんのアイデアはバッチリで、絵を見た瞬間「オーーー!」ってどよめきが起きた。「百聞は一見にしかず」日本の昔から言い伝わる教えをアメリカで実行。
作戦は見事に成功!クラスはみんな僕に注目してくれた。さっきの上から見下ろすじゃないけど、こうなりゃマイペースで進められる。似顔絵の描き方を伝え、モデルの子を一人チョイスして、クラスみんなでその子の似顔絵を描く。僕も大きな紙を使って見えるように描く。出来上がった絵はモデルになってくれた子にプレゼントする。どのクラスに行っても喜んでもらえた。
千佳さんの感性は凄い。また新たな展開を話してくれた。千佳さんは仕事の立場上、似顔絵教室は生徒さん達よりも先生達をよく見ていたらしく「生徒達の反応は、ほぼ想像してた通り。むしろ先生達が驚いていたのが面白い光景だった」って教えてくれた。僕は生徒達しか見ていなかったから、とても嬉しい情報だ。それと、教室に似顔絵を描いた2人の男の子を連れて行く作戦で、その男の子達はどうやら自慢したいらしくて、もう授業は終わったのにまた次の教室にも行こうとしたらしい。描き手には涙がでるほど嬉しい話。
ただ授業をやればいいとか、教えたからいいだけじゃない。もっともっと何かある。心に届くような触れ合いもある。そういう観点から判断と行動ができる人、ほんと凄いと思った。
授業の最後は、僕への質問タイム。何でもいいから質問して?ってセッスラー先生が言うと、「ハーイ」ってたくさんの子が手を上げる。日本には見られない光景だ。しかも、一人の子が質問している間も、他の子は手を上げたままでいる。なんとも積極的である。日本もこうならないかなぁ。大人でもなかなか思いは言わない。僕が以前所属していた地元の商工会青年部も、僕が部長の頃だが積極的に思いを伝え行動しようってメンバーに掲げた。
それまで掲げていた「まちづくり」や「ひとづくり」「組織の依存心」なんてのを無視して。メンバーのみんなは最初に会った頃よりも、一回りも二回りもたくましくなった。そんな中にいると僕まで刺激になって前へ前へと進めた。
昼休み、大講堂で子ども達と給食を頂いた。日本では小学校2年生の年の子ども達を同席。何を話しているのか分からないけど、一人黙って食うのも辛いんで、こうなりゃ日本の学校でもやっているインチキマジックをしてやれ!って思いついて、突然1円玉を出して、みんなに見せた。
子ども達直はぐにマジックが始まるんだと分かってくれた。一円玉を左手に持ってグーで握る、右手も同じように出す。一円玉を持っている左手から、瞬間移動で右手に一円玉が移動したように演技する。すると子ども達は右手に一円玉が移動したように錯覚した。“おー、ひっかかったみたいだ。”その次に今度は右手から一円玉が左手に移動したように演技した。みんなは僕の左てに目線が釘付けに。そこで左手の指を少しづつ開いたら一円玉がある。「ワオ!」「マジック!マジック!」って絶賛された。
“純粋な子どもの心をもて遊んでスマン”と思いながらも、イタズラなんでいいや!ってんで、アンコールにお答えしてもう一度。そしたらドバーっと子ども達が集まってきた。“おいおい、えらい事になってきたぞ・・・“
アンコールも大成功。僕はすっかり子ども達の人気者に。良く見たら先生達も何人か来ちゃった。こうなりゃインチキついでにもっとしてやれってんで、今度は一円玉を口に含んで大げさに飲み込んだ。子ども達も先生も飲んだと思って見てる。“あれ?ここでバレるはずだったのに・・・
”飲んだふりをした後、今度は口から吐き出したら一円玉が出てくるってやったら物凄い拍手。こりゃ似顔絵よりもウケてる・・・。ようし!もう一丁!今度も一円玉を鼻に入れて、大げさに飲み込む演技をして、次は耳から出すってやったら、これまた大喝采。女の先生から「グレイト!」って褒められた。先生にはバレバレだったみたいだけど、子ども達を喜ばせたのを称えてくれた。ようし!もう一回やるか!って思ったら、一斉に人がいなくなった。どうやらランチタイムが終わったようで、気がついたら給食が残ったまま行儀悪くしてたのは僕だけ。一人あわてて全部食べて給食係りのおばちゃんに遅いって怒られた。笑ってたけどね。
とにかく全力投球できてる。言葉が通じない、人種も違う、国が違うって環境の中で、人として全身全霊をかけて溶け込もうとしてる自分に、大変なんだけど何だか爽快感すらある。こんなに必死に一日一日を過ごしてるなんて生まれて初めてかも。
アメリカの学校に行って、日本とは全く違ったフレンドリーな雰囲気は素晴らしいし、僕はどうやらこっち寄りなのかもって思うくらい好きだ。だけど何だろう、どこかアメリカって国の危険な香りも含んでいる。もっとアメリカって国が知りたくなった。と同時に、日本って国も。
月が替わって11月1日。僕がアメリカに来てからずっと青空が続いている。晴れ男かと思ったら、千佳さんから「ここは新潟よりも雨が降らないんです」って。朝一で突っ込まれた。風が冷たいけど、やっぱり青空が見えると清々しい気持ちになる。新潟はこの時期から鉛色の空が春まで続く。今年は暖冬で青空がいっぱい見られたが、来年はどうなんだろう?新潟を思う。
昨日に引き続き、千佳さんが勤めるメイシャー地区のClovis小学校へ。二日目となると、子ども達は僕に対しての警戒心はなく、友達のように近寄って来てくれた。特に似顔絵を描いた子は満面の笑みで「ハーイ!」って声かけてくる。早速、画材を用意して朝のホームルームで2人ほど描こうとしていたら、もう僕の隣に座っている子がいる。昨日から描いて欲しいと言っていたシドニーちゃん5歳だ。金髪で目が青く、やんちゃで笑顔を絶やさない女の子。描いている間、僕と目が合うたびに照れ笑いする。めちゃくちゃ可愛い。出来上がった絵を見たら、微妙な顔をしたのが可笑しかった。
次はモデルになってもおかしくないほど美人のドリューちゃん。人形が動いているようだ。彼女の魅力に圧倒されそうなオーラを感じて、これじゃモデルに負けて描けない、上から見下ろせ!と自分に言い聞かせて描いた。
あの~、似顔絵を描くってこういう心理が無いとダメなわけで、落語家さんも言うんだけど、講座の時はお客さんの目線よりも上、高い所じゃないと圧倒されて話せないそうだ。それと同じ。相手に合わせようとしたら弱々しい絵になったり、生命力の無い絵になってしまいがち。描き手がどう捕らえ、どう引き出すか、それでいてちゃんと作品になっている絵を描かなきゃいけない。日々変わっていく人の顔とイメージ。似顔絵ってのはアートの世界でも特に難しいジャンルだと、やっていてそう思う。
この日、僕を担当してくれる方はセッスラー先生という綺麗な女性。日本語がとても上手い。日本語教師だから当たり前だ。おそらくショーンさんもセッスラーさんも、僕より日本という国をよく知ってると思う。いっぱい情報を仕入れているはずだから。日本人の僕だけど、新潟の地元くらいしか実は知らないからね。
似顔絵教室の授業を5つの教室にお邪魔して、一日やらさせてもらった。教室に入った時の生徒達は、何だこのアジア人は?って顔をしてる。先生も。授業をやり始めると、千佳さんと昨日描かせてもらった男の子2人が突然登場して、その二人の子の似顔絵を見せるって展開に。さすが千佳さんのアイデアはバッチリで、絵を見た瞬間「オーーー!」ってどよめきが起きた。「百聞は一見にしかず」日本の昔から言い伝わる教えをアメリカで実行。
作戦は見事に成功!クラスはみんな僕に注目してくれた。さっきの上から見下ろすじゃないけど、こうなりゃマイペースで進められる。似顔絵の描き方を伝え、モデルの子を一人チョイスして、クラスみんなでその子の似顔絵を描く。僕も大きな紙を使って見えるように描く。出来上がった絵はモデルになってくれた子にプレゼントする。どのクラスに行っても喜んでもらえた。
千佳さんの感性は凄い。また新たな展開を話してくれた。千佳さんは仕事の立場上、似顔絵教室は生徒さん達よりも先生達をよく見ていたらしく「生徒達の反応は、ほぼ想像してた通り。むしろ先生達が驚いていたのが面白い光景だった」って教えてくれた。僕は生徒達しか見ていなかったから、とても嬉しい情報だ。それと、教室に似顔絵を描いた2人の男の子を連れて行く作戦で、その男の子達はどうやら自慢したいらしくて、もう授業は終わったのにまた次の教室にも行こうとしたらしい。描き手には涙がでるほど嬉しい話。
ただ授業をやればいいとか、教えたからいいだけじゃない。もっともっと何かある。心に届くような触れ合いもある。そういう観点から判断と行動ができる人、ほんと凄いと思った。
授業の最後は、僕への質問タイム。何でもいいから質問して?ってセッスラー先生が言うと、「ハーイ」ってたくさんの子が手を上げる。日本には見られない光景だ。しかも、一人の子が質問している間も、他の子は手を上げたままでいる。なんとも積極的である。日本もこうならないかなぁ。大人でもなかなか思いは言わない。僕が以前所属していた地元の商工会青年部も、僕が部長の頃だが積極的に思いを伝え行動しようってメンバーに掲げた。
それまで掲げていた「まちづくり」や「ひとづくり」「組織の依存心」なんてのを無視して。メンバーのみんなは最初に会った頃よりも、一回りも二回りもたくましくなった。そんな中にいると僕まで刺激になって前へ前へと進めた。
昼休み、大講堂で子ども達と給食を頂いた。日本では小学校2年生の年の子ども達を同席。何を話しているのか分からないけど、一人黙って食うのも辛いんで、こうなりゃ日本の学校でもやっているインチキマジックをしてやれ!って思いついて、突然1円玉を出して、みんなに見せた。
子ども達直はぐにマジックが始まるんだと分かってくれた。一円玉を左手に持ってグーで握る、右手も同じように出す。一円玉を持っている左手から、瞬間移動で右手に一円玉が移動したように演技する。すると子ども達は右手に一円玉が移動したように錯覚した。“おー、ひっかかったみたいだ。”その次に今度は右手から一円玉が左手に移動したように演技した。みんなは僕の左てに目線が釘付けに。そこで左手の指を少しづつ開いたら一円玉がある。「ワオ!」「マジック!マジック!」って絶賛された。
“純粋な子どもの心をもて遊んでスマン”と思いながらも、イタズラなんでいいや!ってんで、アンコールにお答えしてもう一度。そしたらドバーっと子ども達が集まってきた。“おいおい、えらい事になってきたぞ・・・“
アンコールも大成功。僕はすっかり子ども達の人気者に。良く見たら先生達も何人か来ちゃった。こうなりゃインチキついでにもっとしてやれってんで、今度は一円玉を口に含んで大げさに飲み込んだ。子ども達も先生も飲んだと思って見てる。“あれ?ここでバレるはずだったのに・・・
”飲んだふりをした後、今度は口から吐き出したら一円玉が出てくるってやったら物凄い拍手。こりゃ似顔絵よりもウケてる・・・。ようし!もう一丁!今度も一円玉を鼻に入れて、大げさに飲み込む演技をして、次は耳から出すってやったら、これまた大喝采。女の先生から「グレイト!」って褒められた。先生にはバレバレだったみたいだけど、子ども達を喜ばせたのを称えてくれた。ようし!もう一回やるか!って思ったら、一斉に人がいなくなった。どうやらランチタイムが終わったようで、気がついたら給食が残ったまま行儀悪くしてたのは僕だけ。一人あわてて全部食べて給食係りのおばちゃんに遅いって怒られた。笑ってたけどね。
とにかく全力投球できてる。言葉が通じない、人種も違う、国が違うって環境の中で、人として全身全霊をかけて溶け込もうとしてる自分に、大変なんだけど何だか爽快感すらある。こんなに必死に一日一日を過ごしてるなんて生まれて初めてかも。
アメリカの学校に行って、日本とは全く違ったフレンドリーな雰囲気は素晴らしいし、僕はどうやらこっち寄りなのかもって思うくらい好きだ。だけど何だろう、どこかアメリカって国の危険な香りも含んでいる。もっとアメリカって国が知りたくなった。と同時に、日本って国も。
10月31日ハロウィンの朝、町はオレンジ色のカボチャのオブジェが家の前に飾られている。その他にもコミカルなゾンビが木の枝に、玄関先に、はたまた屋根の上に、これまた飾られている。緑の芝がきれいに敷かれているアメリカの住宅風景。アメリカのお祭りを生で見ることができた。
今日は、千佳さんが勤務するClois小学校(日本では幼稚園4歳児クラス)に会って、スクールバスに乗ってバンタスクールでハロウィンパレードを見学するというスケジュール。4歳と5歳の可愛い子たちは、ハロウィンでさまざまなコシュチュームを身にまとい、小さくてテクテク歩く姿なんかまるで天使のようだった。
アメリカ人の子どもたちはホント人形のようだ。もうどの子も完璧!アジア人が可愛くないってことじゃない。僕がアジア人だからそう見える。金髪で目が透き通るよう青。僕がお邪魔してる地域は白人ばかりの街。そのみなさんが楽しみにしていたハロウィン。天気も快晴、やや風が冷たい感じの朝、陽気な雰囲気が伝わってきた。
いきなり“KISS“のようなフェイスペンティングをした男の子が僕の前に現れた。黒いマントにハイヒールのブーツを履いてる。The ZUBROCKERSの隆之さんが見たら泣いて喜ぶだろうな。その後、スパイダーマンの赤と黒がいたし、バットマンもいた。ファイアマン消防士も。男の子の憧れの職業なんだろう。グローブを持った野球小僧がいて、まるでチャーリー・ブラウンのようだった。やっぱりアメリカのヒーローと言えばスーパーマンだね。一人、日本の戦隊もののヒーローを身にまとった子がいた。なんだっけ?亀がモデルのヒーローがいたけど名前が出てこない。日本じゃダサい気もするけど、ここじゃ日本の戦隊ものよりはカッコ良く見えた。女の子はドレス姿で、まるで迎賓館でパーティが行われるような感じだった。
ハロウィンパレードが始まる前の時間、子どもたちの似顔絵を描かせてもらった。僕が画材をセッティングしてる間に、ずっと隣で椅子に座っているトーマスの衣装を着た男の子がいた。僕に興味があるみたい。警戒することもなく僕をじっと見てる。描いてもらいたいんだなって直ぐに分かった。
言葉は通じなくても、人間、波長ってのがあって、その子はクラスのみんなが集まった時に、一番気になっていた子だった。あぁ、やっぱりこの子が来た。お互いの波長が合って、いつものように僕のゾーンに入れた。周囲の人が動いている状況は分かる。人の声も聞こえる。だけど全然気にならない。意識だけが目の前の子を包んでる。この子の一番イイ顔ってのがある。僕が描きたい表情だ。その子は僕が何も言わなくても、目が合う度に一瞬だけど見せてくれる。そう、イイものって瞬間にある。瞬間こそエネルギー。これが僕の描いている時に頭の中で作られるゾーン。
前はそんなにめったにゾーンに入れなかった。それまでは、気がついたら入っていた。今は自分で意識できるようになってきた。千佳さんが「最後に描いた男の子、とてもシャイで、じっとしていない子なのに、モデルになったらおとなしく動かないでいたからビックリしました」って教えてくれた。それはお互いの波長が合ってゾーンに入れたからだと僕は理解した。千佳さんが何気なく言ってくれた言葉のお陰で、アメリカに来た意味が分かった。
考えてみたら、千佳さんとは新潟市デッキィ401で似顔絵の営業をして二年目。今から3年前の事。息子さんのコウくんを15分で描いただけの出会いからだった。たった15分、まだあどけないコウくんの似顔絵から繋がった縁。実際、顔を会わせた回数なんか4回か5回くらいしかない。ほとんどの事を知らない。だけど、今僕はショーンさんと千佳さんとコウくんと弟のシンくんの住むアメリカに来ている。そしてアメリカの人を描いて喜んでもらっている。考え深いものがある。
夕方、帰宅した後はいよいよハロウィンだ。外は薄暗くなっている。子どもたちと近所を回ってお菓子をもらう。その時はもちろん仮想して。せっかくだから僕も日本男児としての衣装になって、コウくんシンくんとショーンさんに同行させてもらった。ご近所さんと挨拶を交わす。僕の格好を見て笑顔で握手してくれる。さすがに僕も「ハアイ!」なんて言うようになり、だんだん慣れてきて「アイム ラストサムライ」とか「ジャパニーズ アクター」とか嘘言うようになり「オー!ジャパニーズ コメディアン」なんて返されて、
英語で話すようになった。ま、これが精一杯なんだけど。
コウくん、さすがに英語で話してる。6歳で英語と日本語を使い分けている。カッコいいぞコウくん!それにしてもお菓子もらい過ぎてはいないか?そう聞くと「ダメだよ、いっぱいもらわなきゃ!」寒い外でガレージの前で子ども達が来るのを待っているご家庭があった。老人ホームに行ったら、魔女たちがいっぱい子ども達にお菓子をあげていた。子どもは国の宝、将来の希望。大人達のそんな思いがハロウィンから伝わった。
外から帰ってきて、ココアにマシュマロを入れるアメリカ風ホットココアをみんなで飲んだ。温かくて甘くて美味しかった。こうして2007年のハロウィンは終わりました。
今日は、千佳さんが勤務するClois小学校(日本では幼稚園4歳児クラス)に会って、スクールバスに乗ってバンタスクールでハロウィンパレードを見学するというスケジュール。4歳と5歳の可愛い子たちは、ハロウィンでさまざまなコシュチュームを身にまとい、小さくてテクテク歩く姿なんかまるで天使のようだった。
アメリカ人の子どもたちはホント人形のようだ。もうどの子も完璧!アジア人が可愛くないってことじゃない。僕がアジア人だからそう見える。金髪で目が透き通るよう青。僕がお邪魔してる地域は白人ばかりの街。そのみなさんが楽しみにしていたハロウィン。天気も快晴、やや風が冷たい感じの朝、陽気な雰囲気が伝わってきた。
いきなり“KISS“のようなフェイスペンティングをした男の子が僕の前に現れた。黒いマントにハイヒールのブーツを履いてる。The ZUBROCKERSの隆之さんが見たら泣いて喜ぶだろうな。その後、スパイダーマンの赤と黒がいたし、バットマンもいた。ファイアマン消防士も。男の子の憧れの職業なんだろう。グローブを持った野球小僧がいて、まるでチャーリー・ブラウンのようだった。やっぱりアメリカのヒーローと言えばスーパーマンだね。一人、日本の戦隊もののヒーローを身にまとった子がいた。なんだっけ?亀がモデルのヒーローがいたけど名前が出てこない。日本じゃダサい気もするけど、ここじゃ日本の戦隊ものよりはカッコ良く見えた。女の子はドレス姿で、まるで迎賓館でパーティが行われるような感じだった。
ハロウィンパレードが始まる前の時間、子どもたちの似顔絵を描かせてもらった。僕が画材をセッティングしてる間に、ずっと隣で椅子に座っているトーマスの衣装を着た男の子がいた。僕に興味があるみたい。警戒することもなく僕をじっと見てる。描いてもらいたいんだなって直ぐに分かった。
言葉は通じなくても、人間、波長ってのがあって、その子はクラスのみんなが集まった時に、一番気になっていた子だった。あぁ、やっぱりこの子が来た。お互いの波長が合って、いつものように僕のゾーンに入れた。周囲の人が動いている状況は分かる。人の声も聞こえる。だけど全然気にならない。意識だけが目の前の子を包んでる。この子の一番イイ顔ってのがある。僕が描きたい表情だ。その子は僕が何も言わなくても、目が合う度に一瞬だけど見せてくれる。そう、イイものって瞬間にある。瞬間こそエネルギー。これが僕の描いている時に頭の中で作られるゾーン。
前はそんなにめったにゾーンに入れなかった。それまでは、気がついたら入っていた。今は自分で意識できるようになってきた。千佳さんが「最後に描いた男の子、とてもシャイで、じっとしていない子なのに、モデルになったらおとなしく動かないでいたからビックリしました」って教えてくれた。それはお互いの波長が合ってゾーンに入れたからだと僕は理解した。千佳さんが何気なく言ってくれた言葉のお陰で、アメリカに来た意味が分かった。
考えてみたら、千佳さんとは新潟市デッキィ401で似顔絵の営業をして二年目。今から3年前の事。息子さんのコウくんを15分で描いただけの出会いからだった。たった15分、まだあどけないコウくんの似顔絵から繋がった縁。実際、顔を会わせた回数なんか4回か5回くらいしかない。ほとんどの事を知らない。だけど、今僕はショーンさんと千佳さんとコウくんと弟のシンくんの住むアメリカに来ている。そしてアメリカの人を描いて喜んでもらっている。考え深いものがある。
夕方、帰宅した後はいよいよハロウィンだ。外は薄暗くなっている。子どもたちと近所を回ってお菓子をもらう。その時はもちろん仮想して。せっかくだから僕も日本男児としての衣装になって、コウくんシンくんとショーンさんに同行させてもらった。ご近所さんと挨拶を交わす。僕の格好を見て笑顔で握手してくれる。さすがに僕も「ハアイ!」なんて言うようになり、だんだん慣れてきて「アイム ラストサムライ」とか「ジャパニーズ アクター」とか嘘言うようになり「オー!ジャパニーズ コメディアン」なんて返されて、
英語で話すようになった。ま、これが精一杯なんだけど。
コウくん、さすがに英語で話してる。6歳で英語と日本語を使い分けている。カッコいいぞコウくん!それにしてもお菓子もらい過ぎてはいないか?そう聞くと「ダメだよ、いっぱいもらわなきゃ!」寒い外でガレージの前で子ども達が来るのを待っているご家庭があった。老人ホームに行ったら、魔女たちがいっぱい子ども達にお菓子をあげていた。子どもは国の宝、将来の希望。大人達のそんな思いがハロウィンから伝わった。
外から帰ってきて、ココアにマシュマロを入れるアメリカ風ホットココアをみんなで飲んだ。温かくて甘くて美味しかった。こうして2007年のハロウィンは終わりました。