ブログ「中韓を知りすぎた男」より転記
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以下
前回、「今の中国語と漢文は全く関係がない」と書きました。このことを
岡田教授の教えにしたがって、順を追って説明します。
明治以降、どれだけ多くの日本人が漢籍を通じて身につけた中国イメージに
感動し、それを求めて大陸に渡り、現実とのギャップに失望・幻滅して
私を含めた中小企業が中国から逃げ帰ってきたか分からない。
「史記」や「三国志」に登場するような、信義や礼に篤い中国人に出会うは
ずなのだが、現実にいるのは、嘘つきや詐欺師ばかり、油断も隙きもならな
い連中ばかり。
その最大の原因は、実は漢文にある。そもそも、日本人は漢文に登場する
人物や思想は中国人と思っているが、これは全くの勘違い誤解である。少な
くとも、この二千年間というもの、漢文は中国語とは全く関係がない。
北京語だろうが、上海語だろうが、どれだけ中国語を話せるように
なっても、論語や漢詩を返り点なしの白文で読みこなせるようには絶対に
ならない。
例えば日本の古典である「源氏物語」は読みづらいものだが、日本人な
ら誰でもあるていど内容が推測できる。それは現代の日本語に通じる単語
があるからです。
しかし中国人にとっての漢文とは、そのままでは全く歯が立たないものであ
る。漢文とは、中国語の古典などではないということが理解できたと思います。
つまり漢文は中国で話されている言葉とはまったく無縁の言語体系なのです。
私はビジネスマンです。論語に書いてある「信なくば立たず」を基本に生きて
きました。日本人なら誰でもこれを商人道の基本において商売をしてきまし
た。しかし論語など読んだことのない、理解できない中国の商人にとっては、
契約書をひたすら信じる日本人はバカにしか見えない。
日常的に付き合う中国人には、論語に書かれている道義心などまったく無く
「無縁の世界」だと考えるべきです。
前にも書いたが、実のところ、中国には古代から共通中国語というのは、
一度も存在しなかった。古代においても、各地方ごとに言語が異なるのが
普通であった。そこで始皇帝がやったのは、帝国の支配に必要な文書類に
用いる書き言葉だけに的をしぼった。
まず漢字の書体を統一し、しかも、その漢字に対応する読みを決定した。
なぜ「口頭で話される言語」の統一をしなかったのか?しょせん無理な話で
す。なぜなら、南北で言語の系統すら違うのだから、共通語を定めるという
のは不可能な国なのです。
中国人たちは近代になるまで、自分たちが話している言葉を書き表す手段
がなかった。つまり中国人は20世紀になるまで自前の「文字」がなかったの
です。
日本人は中国を指して「文字の栄える国」などというが、とんでもない間違い
です。20世紀になってやっと「白話運動」が起こった。日本語に刺激を受けた
魯迅たちが日常の会話に基づいた中国語で文章表現を始めた。秦の始皇帝
からざっと2千年以上経っていた。
前回書いたように、魯迅は「漢字が滅びなければ、中国が必ず滅びる」と断
言し、「白話運動」を推進した。彼が中国文化に絶望したのは「すべからく
漢文は古典を踏まえるべし」というルールに縛られていたからです。
だから中国思想は全く進歩しなかった。中国知識人と言われる人々はあく
までも先師の文章を暗誦・暗記することが使命で古典を意味もなくそらんじ
る事が中国知識人の使命になったのも、ひとえに漢字の罪です。
あの難しい「科挙」の試験に古典を丸暗記していなければ官吏になれない。
さて、中国人が2千年もの間、漢文という表現手段しか持ち得なかったという
事実は、当然のことながら、中国人の心理にも大きな影響を与えた。
ことに感情、情緒といった面における影響は甚大である。
日本人は自前の日本語を持っているため、あまり気づかないが、細やかな
情緒や感情というものは、自然に成長してくるものでない。世代を超えた文
化的蓄積が行われて、初めて感情生活は豊かになってくる。
日本の場合で言えば「万葉集」から始まって「源氏物語」「古今集」「平家
物語」があり江戸時代の芭蕉、近松、西鶴ら、さらに明治期の漱石、鴎外、
などという文学の歴史が日本人の感情を豊かにしていった。これらの文学
作品抜きに日本人の精神は考えられない。
(続きは次回にて)
以上
感想は個人の価値判断で願います。
かしこ