リキチャン

リキチャンの近況

令和3年末

2021-12-31 06:03:46 | 日記

昨日は、朝食後燐家の方から、同じ講の方が早朝に逝去され、講としてどうするか相談が

あり、喪主は家族葬で執り行うとのことで、色々意見も出てきたけれど近年の状況から香

料もなしで、葬儀関連の出席も遠慮することで決まりました。ただ、個人の付き合いの関

係があるので個人の判断に任せることにしました。

その後、当該家に訪問し喪主にお悔やみと、通夜・葬儀は遠慮させて頂く旨伝え、ご遺体

とご仏壇に焼香し帰宅しました。

それから、先祖のお墓にお参りに行きましたが、その墓所には数組の方がお参りに来てい

ました。

午後からは、年末年始準備も終わっていたので、テレビと孫のお守りでした。

それと、夕食後風呂に入っているとき、朝電話のあった隣家から、逝去された方の葬儀に

は参列せず、出棺の時にお見送りをとの連絡が入りました。

今日は、今年最後の日ですが毎日が日曜日の高齢の年金生活者にとっては、年末はあまり

関係ないような気がしますが、私だけでしょうか?(( ´艸`)

来年のブログ日記は、1月4日からにします。

それでは、良いお年をお迎え下さい。

かしこ


年の瀬1

2021-12-30 06:40:05 | 日記

昨日は、朝食後から家内の友人3人が来られ、家内が約束していた野菜のお裾分けで、

菜園から野菜を収穫しました。収穫した野菜は、白菜・大根・赤蕪・白蕪・下仁田葱・

九条葱・キャベツ・水菜・春菊・青葱でした。

その後、菜園で作業していましたら、家内のもう1人の友人が来られ、再度野菜を収穫

しお裾分けしました。こちらへの野菜は、赤蕪・白蕪でした。

その後も通りかかりの知人に、赤蕪・白蕪をお裾分けしました。

それと、午後から義妹夫婦と姪夫婦も来て、お茶タイムの後から野菜を収穫しました。

また、白菜収穫後に出た白菜の不用葉を一輪車に積み込み、河川にいる鴨に餌として与

えました。

夕食は、息子親子・義妹夫婦・姪親子の11人で、久しぶりの大人数で非常に賑やかで

した。

昨日は、朝からバタバタと忙しくさされた一日でした。

かしこ


年末準備

2021-12-29 06:37:53 | 日記

昨日は、朝食後から年末に向けて、まずしめ飾りを門柱に取り付け、それから家周りの溝を

掃除しました。その後、家内の友人が野菜を取りに来られ、菜園から野菜を収穫しお裾分け

しました。

昼食後、ボラ関係で相談のあった方のお家に訪問し、朝に包括支援センタ―からの電話の事

についてお話しし、見守り訪問で不在の方を訪問しました。

夕方に息子親子が帰省し、久しぶりの賑やかな夕食となりました。

かしこ


買い物

2021-12-28 04:43:59 | 日記

昨日は、朝10時頃家内の友人が野菜を取りに来られ、菜園の白菜・キャベツ・大根・赤

蕪・白蕪・青葱・下仁田葱・春菊をお裾分けし、それから年末準備の買い物にでかけまし

た。

まず、ショッピングセンターにより食料品他を購入し、ガソリンスタンドで給油をした後

、ホームセンターとスーパーで食品と愛猫の餌と台所用品を購入し、帰宅の途につきまし

たが、途中道端の松を取りに山に入り、所望する松の枝3本を入手し、帰宅したのが14

時過ぎでした。

それから、スーパーで購入した弁当で昼食を摂り一休みとしました。

それと、夕方約束していた知人が通りかかったので、赤蕪・白蕪を菜園から取り渡しまし

た。

かしこ


④魯迅の白話分

2021-12-27 04:50:25 | 日記

ブログ「中韓を知りすぎた男」より転記

http://kkmyo.blog70.fc2.com/

以下

前回「今の中国語は、日本語から作られた」ということを書きましたが、証明
したいと思います。

今の中国では「科挙」が行われていた時代の漢字は、もはや公的には使用
されていない。漢字はもちろん使われているわけだが、現代日本の真似をし
て、前置詞や助動詞を明確に期すことによって、古典の素養など無くても
文章がかけるようになった。

この漢文の弊害を認識し、口語体を生み出すことに最大の功績があったの
は「魯迅」であった。魯迅が国に帰って、短編小説を猛烈に書き出した。
従来の漢文を捨て、白話文という新しい口語の文体を用いて書いた。

彼の頭の中には常に日本語の文章があり、それを漢字に置き換え
て表現することによって白話文を創作しました。

この文章だけで「中国語は日本語より作られた」という最初の文章が理解
できたと思います。

魯迅は留学によって、頭の中身をすっかり日本人の脳みそに入れ替えた。
日本人の暮らしをし、日本語をマスターすることによって、初めて「近代人」に
なった。彼の「阿Q正伝」を読めばよく分かる。

彼の白話文は日本語を下敷きにして作られた。みすぼらしい阿Qは、2千年
来、何も進歩していないのに、それを認めようとしない中国人の姿が描かれ
ています。

中国の近代化にとって、日本語が果たしたのは単に文体だけのことではない、
現代中国語のボキャブラリーもまた日本語からの借り物である。

中国には恋愛小説がないとよく言われるがなぜなら漢文は情緒表現に
向かない。ということは恋愛感情の発達にも大きな影響を与えた。つまり
漢文が発達したことによって、中国人は洗練された形での恋愛というものを
知らないままに20世紀を迎えてしまった。

このように述べるとたいていの人は「そんなことは無い、中国小説に『紅楼夢』
という恋愛小説があるではないか」と反論される。ある評論家など日本の
源氏物語であるなどと高評価するがしかしその中身といえば、あまりにも
レベルが違いすぎる。

源氏物語の主人公・光源氏はたくさんの女性と恋愛して契を交わしていくが
紅楼夢の主人公が肉体関係を持つのは、祖母から与えられた腰元ただ一人
である。はたして、与えられた下女に手を付けるのが恋愛と呼べますか。

「金瓶梅』に至っては完全な好色小説であり、行為のみが書かれています。
まず。まず第一に恋愛というのは男女間の情のやり取りとか駆け引きなど
一種の知的ゲームである。単に肉体関係を結ぶだけでは、恋愛とは呼べない。

言葉の進化・言葉の洗練なくして、人間の情感の高度化・繊細差というも
のは誕生しない。だから中国では本当の恋愛小説は育たない。

中国語の言葉の進化・洗練されてない例が、最近、安倍氏の「台湾有事は
日本有事。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は
断じて見誤るべきではない」と強い口調で述べた。

この事に中国報道官は「安倍氏の頭をかち割って血を流すだろう」と言った
のです。このような下品な表現しか出来ないとは、中国人は間違いなくなら
ず者である。

現代中国人の異常に肥大したナショナリズムが大きな原因だと思われるが、
それにしてもあまりにも下品な言葉、欧米各国の報道官が相手国を攻撃する
場合、このような残酷で下品な言葉を使ったのを聞いたことがない。

これに対して安倍氏はユーモアたっぷりに「私の態度表明が中国側に注目
されて大変光栄に思う」といったのです。一流人と三流人の違いです。

話は飛んでしまいましたが、それでは、今日の大陸における中国語状況は
どうなっているか、簡単に言えば旧来の漢文の位置を、北京語をもとにした
「普通話」(プートンホワ)が占めるようになっています。

しかし中国においては、まだまだ公用語の「普通話」が読み書きできるのは、
あまり多くありません。そしてそれができる人が新たな知識階級になりつつ
あります。

以上

感想は個人の価値判断で願います。

かしこ