リキチャン

リキチャンの近況

②中国幻想を作り上げた大学教授たちとメデイア

2021-12-13 05:10:37 | 日記

 ブログ「中韓を知りすぎた男」より転記

以下

前回「後漢末期の戦乱により漢民族はほぼ絶滅し、北方から侵入してきた
遊牧民に何回も取って代わられた」と書きました。

今回はもっと深くエグッてみます。
今の中国語と漢文は全く関係がない。もし漢文に記された言葉が古語で
あるなら、いかにそれが時代を経ていても、現代中国語を話せる人にとって
は、何らかの手がかりがあるはずである。

しかし中国人にとっての漢文とは、そのままでは全く歯が立たないものであ
る。いくら音声で聞いてもわからないばかりではなく、その文章を目で読ん
でも意味不明、それが漢文なのです。

我々が学校で習ったように、返り点や送りがながついた漢文を読むわけでは
ない、最初から白文に取り組むとなれば、これは絶望的な行為といったほう
がいい。なぜなら、漢文には日本語のように動詞や名刺と言った品詞がない
からです。

中国には55の人種がいると言われていますが、実際はもっと多い。点と線と
いうネットワーク型支配が2千年以上にわたって続いたことは、中国大陸内で
使われている多くの言語の融合を妨げた。もともと多種多様の異民族が暮ら
しているうえに、その民族がさらに小さな集団を作って暮らしているのだから、
言語の多様化が拡大されることはあっても、決して収束されることはない

中国人は一族の中で強固に連帯する傾向があって、その為に閉鎖的である。
その状態が長く続くうちに、いつの間にか言葉が変化して、一族の中でしか
通用しない中国語が生まれる。

昔読んだ本に書いてあったエピソードに、日清戦争、日露戦争に圧倒的な強
さで勝った日本に憧れた中国人が留学生として約1万人もやってきた。
日本政府は彼らのために寮を用意した。寮内の言葉は当然中国語と思うが、
実は習いたての日本語でしか通用しなかった。

なぜなら同じ中国人でも村が違えば言葉が違う。日本人なら単に方言の違い
だけだが、例えば、同じ南部の言葉でも上海語と広東語とでは、ほとんど共
通点がない。さらに同じ地方の言語でも、隣村同士でも全く言語が違います。

このような事を書けば多くの日本人から反論を喰らいます。「そんなバカな、
私は中国語を習っているが何処の町や都市でも北京語で通用する」と言わ
れそうだが!

中国の最大の欠点は多言語にある。言葉を統一しない限り中国の統一は
ありえないと毛沢東は思った。実は毛沢東だけでなく中国の多くの知識人は
そのように思っていた。

その中の一人である「魯迅」は1902年、医学を学ぶ国費留学生として日本に
留学した。彼は日本の中央図書館にいって驚いた。そこには中国の古典で
ある論語や漢詩、儒教だけでなく中国の歴史の文献の豊富さに目を奪われ
た。中国国内では知ることの出来ない中国の知識を手に入れた。

中国の前途に対する絶望感が、魯迅の心の中で日増しに強まっていった。
中国人を覚醒さすために医学を捨て文学に走った。文章を書くために日本語
で考えた。なぜなら中国語なら日頃の言葉と文書語とはまるで違っていた
からです。

魯迅は、中国の近代文学の元祖であり、同時に国民精神の改造を生涯の
課題とした作家である。彼は漢字に対して、「漢字が滅びなければ、中国が
必ず滅びる」と断言し、以下のように述べています。

「この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、我々の最大多数の
人々は、すでに幾千年も文盲として殉難し、中国もこんなほかの国ではすで
に人工雨さえ作っているという時代に、我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだ
り、神迎えをしたりしている。もし我々がまだ生きていくつもりならば、私は、
漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う」と述べています。

さて毛沢東の事ですが、彼は生涯に中国人を4千万人~7千万人殺したと
言われていますが、なぜか一部の中国人に尊敬されています。それは
中国国民を無理やり北京語で統一し、中国人に言葉を与えたからです。
教科書も北京語で統一、共産党の強みです。

さて、知的な魯迅がいうように中国人が二千年もの間漢字に苦しめられ
「漢字が滅びなければ、中国が滅びる」とまで言わしめた。

おかげで国民の多くは無学文盲のままです。中国人がますます野蛮にな
るのは、漢字による知識と知性の欠落、そして抑圧された内面からくるもの
ではないだろうか。

中国の正しい姿とは、一体何なのか、今日はっきりしたことは、彼らほど
残酷な民族はいないということです。中国はすでに日本人が知っている漢人
ではなく騎馬民族に何回も征服されたと述べました。

その中でも中国全土だけでなく東ヨーロッパまで侵略したチンギス・カンで
有なモンゴル軍の残酷さは現代中国人の血にしっかり受け継がれています。

モンゴル軍の征服の仕方は一つの街を完全に支配するために住民の全てを
殺害した。なぜなら少しでも住民を残すと後ろから追いかけてくるからです。
そのために若い美女だけを残して男性は全て殺した。しかも通常の殺し方で
はない。死体を玩具にするような残酷の極みで殺された。こういう残酷な
中国人の特質は今も変わっていない。

以上
 
感想は個人の価値判断で願います。
かしこ