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ただの日記

国民が動くから、政治家は動かざるを得ないのである。

2020年06月15日 | 神社
2013.10/17 (Thu)

 「政治家を批判すれば政治家が動き、そして国民が動くと考へるのは大間違ひである。」
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 冒頭の文は以下に転載する文中の言葉です。
 例によって、つい流し読んでしまいそうになりますが、
 「政治家を批判」→「政治家が重い腰を上げる」→「国民が動く」
、のだとしたら、政治家を批判するのは誰か。国民?いえいえ。
 こりゃ、やっぱり政治評論家、ということでないと、話がおかしくなる。

 じゃ、「政治評論家が国を動かすのだ」、となって、「政治評論家が一番偉い」、という事になってしまいます。
 でも、民主主義の国ですからね、国民が一番偉い、という事でなけりゃ辻褄が合わない。
 そうなると、国民が動くから、その手先、マジックハンドとしての政治家が、国民の意志通り行動する、というのが当たり前の形になる。

 で、間違っても総理大臣や、閣僚が「国民の代表として参拝」、なんかするものじゃない、と。確かに、これ、道理です。


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 マスコミの中には、何でもかんでも政府が悪い、麻生が悪い、挙げ句の果てには、「天変地異」まで政府のせいだ、とする輩が冗談ではなく出てきたやうである。東名高速の復旧が遅いと罵り、地震警報が間に合はなかつたと誹る。
 世界の何処に、陥没した高速道路を僅か数日で修復させる国があるといふのか。地震の初期微動を感じ取つて、本震前に国民に警告するなど、想像すら出来ない国がほとんどであらうに。
 そんな計算も出来ないから、自社の経営状況も分からず、読者が何を望んでいるかも分からず、明日破綻することも分からず、営々と駄文を物して、この世の春を謳歌出来るのであらう。

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 さて今一度、「靖國批判」の一方の典型である産経の「主張」の一部を引く。

 『首相が国民を代表して慰霊することは国の指導者としての務めだと思われる』

 この種の文章は、「保守派」と称する人達がしばしば、ほとんど何の疑ひも無く、書かれてゐるやうであるが、本当にこれは正しい主張なのであらうか。こんなレベルに甘んじてゐて、我々国民はよいのであらうか。
 最も問題視すべき言葉は、「代表」である。

 「甲子園大会出場おめでとう、諸君は県民を代表して云々」。
 なるほど、誰でも甲子園に行けるわけではない。八百屋のおじさんも、魚屋のおばさんも、みんなで応援することは出来るが、その土を踏めるのは選ばれた者だけである。これは確かに「代表」である。「代議士」といふ言葉にも、この意味での「代表」が含まれてゐる。
 要するに「代表」とは、誰かの「代理」であり、時に「シンボル」の意である。

 しからば「靖國参拝に代表が必要か」。
 我々はある程度の交通費と二本の足があれば、誰でも何時でも志一つで「靖國神社」に詣でることが出来る。
 選ばれた者のみが土を踏める甲子園とは違ふのである。専門知識も無くそれを為す暇も無い、一般の有権者の代理として選ばれた代議士とは違ふのである。

   我々は望みさへすれば、何時でも靖國参拝が出来る。

 ならば何故、その参拝に「代表」が必要なのか。我々国民こそが、先陣を切つて参拝し、「政治家よ、後に続け!」と云ふべきではないのか。
 いや、英霊の前では、民間人も政治家も、政府高官も、首相も何の意味も持たない、唯の今を生きる一国民に過ぎないのではないか。何の意味があつて、首相が「国民を代表」出来ると考へるのか。極めて馬鹿馬鹿しい話ではないか。
 先にも書いた通り、国民が率先して靖國参拝の環境作りをし、政治家がそれに続けばよいのである。二言目には「国民を代表して参拝する義務がある」などと云ふのは、全く自己の責任を他に転嫁する言動であり、それこそ「保守」の名に恥じるものである。

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 正月三が日に、初詣参拝者が100万人を越える神社は幾つもある。
 ならば8月15日に100万人の国民が、九段下を埋め尽くせばよいではないか。 国民が靖國に対して、「初詣ほどの関心も無い」といふのであれば、誰が参拝したところで、状況は改善しないであらう。他国に侮られるのはこれまで通り、同様であらう。

 しかし、現実に100万人を越える人々が、早朝より静かに集まり、祈りを捧げ、そして静かに夜の闇に消へていけばどうなるか。
 その「奇跡の一部始終」が国際映像で報じられれば、如何なる国もその口を閉じるであらう。如何なる企業も、「参拝の是非云々」などと寝言は言はなくなるであらう。

 靖國参拝に「代表」は無用である。我々が参ればよい。地方の方は、それぞれの最寄りの神社にお集まり頂けばよい。
 ノートパソコン一台で、ライブ中継が出来る時代である。全国の有志が、様々な場所で時を同じくしてお参りをし、その映像を持ち寄つて、それぞれに思ひ出を語ることが出来るのである。簡易「パブリック・ビューイング」も出来るのである。

   ★初詣ベスト10(2009)
 319万人 明治神宮  (東京都)
 298万人 成田山新勝寺(千葉県)
 296万人 川崎大師 (神奈川県)
 277万人 伏見稲荷大社(京都府)
 251万人 鶴岡八幡宮(神奈川県)
 239万人 浅草寺   (東京都)
 235万人 住吉大社  (大阪府)
 235万人 熱田神宮  (愛知県)
 205万人 大宮氷川神社(埼玉県)
 204万人 太宰府天満宮(福岡県)

 識者と称する人達は、何故このことを指摘しないのか。
 何故、何でもかんでも、与党任せ、首相任せ、他人任せで、自分達だけは高みの見物を決め込むのか。
 先頭に立つて、かうした運動を展開させ、「靖國参拝100万人国民運動」を起こし、その結果を持つて、政治家と対峙しやうとしないのか。全く理解が出来ない。

 政治家を批判すれば政治家が動き、そして国民が動くと考へるのは大間違ひである。国民が動くから、政治家は動かざるを得ないのである。
 先ず批判すべきは「国民の怠惰」である。原稿が売れないことを覚悟して、それが出来るか否か、この点こそが、「保守派」を自称する人間の矜持でなければならぬ。

 多くの参拝者の列の中を、如何にも颯爽と本殿に向かひ、やんやの喝采を浴びることで自己満足せず、もつともつと裏方に徹して、全国民が自らの足で参拝し、心を一つにする、そのための予備的活動に従事されれば如何か。

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 これも先の記事にも書いたことであるが、麻生首相が参拝されても、されなくても、その支持には全く揺らぎがない。
 首相の地位を「シンボル」と見倣し、「代表」といふ言葉の濫用を止めない人は、それはそれで結構であるが、霊前においては全く無意味であること、そして何より我々国民は自らの意志で立てること、「代表」など仰がずとも立派にその志を受け継げることだけは理解して頂きたいと思ふ。

 従つて、「代表」といふ言葉に執着した意味での靖國参拝に関しては、『国の指導者としての務め』ではない、といふのが一つの結論であり、同時に、「靖國参拝国民運動を展開せよ」といふのが一つの提案である(最初のターゲットは10月17日から20日までの四日間、「秋季例大祭」である)。

 選挙ともなれば「普段とは逆に」、如何にも政治家を見下ろして、有権者ここにあり、を強調される方が少なくないやうであるが、「ならば普段から」、政治家を従へて、その先陣を切るやうに、国民としての行動規範を変へやうではないか。

 自己責任を回避し、その責を全て他人や社会に求めるのが、左翼の現実である以上、参拝に「代表」を求めて止まぬ精神は左翼である、と断じることが出来やう。
 我々国民は「踏絵保守」ほど単細胞ではない。衣食住に忙しい「現実の世界」を生きてゐる人間は、自然と多面的である。「ワンビット」で政治が出来ぬことぐらいは承知してゐる。「何が保守」で、「何が保守ではないか」などといふ議論が、全く不毛であるとする所以である。

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 彼等「踏絵保守」が、この国のリーダーとして、掛け替へのない、まさに真の意味での「代表」として、獅子奮迅の活躍をして頂いてゐる首相に対して、一片の感謝の念も表しないのは、如何なる心根か。
 松本純・官房副長官のHPの記事には、去る11日未明、
 午前5時7分「駿河湾を震源とするマグニチュード6.5地震発生」。
 同10分「官邸危機管理センターに官邸対策室を設置。緊急参集チームが招集」。
 同15分・総理指示「情報収集に努め、被害者等がある場合には、救助に万全を期するように」とある。

 地震発生直後、多くの国民が、枕を持つて逃げやうか、布団を持つて逃げやうか、と寝ぼけてゐる間に、首相は既に緊急参集チームに指示を出されてゐるのである。
 首相が実現を目指す「安心社会」は、既にここにある。「代表」が、まさに「代表」として活躍する、そのことに国民は信頼をおき、心安らかに日々を暮らすことが出来るのである。
 当り前ではないことを、当り前のやうに実行してくれる人達がゐるからといつて、それに甘へ、思ひ上がるのはいい加減止めて頂きたい。

 今こそ、阪神淡路大震災発生時の政府の無力さを思ひ出し、このことの意味を考へるべきである。
 国家国民の緊急時に、深刻な表情だけ作つて奇麗事を並べ、実際の対応は後手後手に回る、「豆鉄砲食つた」やうな目附きの無能宰相だけは御免蒙りたい。

                (以下略)


 「靖國参拝考(後編):100万人の靖國参拝運動」
                                 2009.08.15

                        ~夕刻の備忘録より~


      http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-210.html

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 麻生総理から民主党政権に代わりました。
 H総理が伊勢神宮に参拝して、神宮のことを「伊勢神社」と言ったことを私は忘れられません。報道陣も誰一人として訂正しなかった。
 そんなだから、靖國神社に参拝を、なんて話はこれから先も出なかった。

 けど、今、安倍総理は????
 政治家を動かすのは国民です。
 ならば、政治家を動かさぬのも、また国民の筈です。
 麻生総理の時と、現総理と、状況はよく似ています。
 一つだけ違うのは麻生総理の時は後ろからも射掛けられたこと。


 今は・・・・・足元、石ころだらけ、かも・・・・。
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