2014.07/09 (Wed)
「是々非々」について何度も日記に書いて来たのですが、これもその中の一つです。
あの三年と三ヶ月、「何でそんなことばかりするんだ」、「何で日本を破壊しようとするんだ」、「なんで世界から侮蔑の目で見られるようなことを・・・」と毎日のように腹を立てていました。
それがやっと自民党の圧勝となって政権与党に返り咲く。円安が進み株価が上がり、一気に息を吹き返した日本。
「海外投資家が大量に株を買い付けているだけのことだ、景気が回復したわけではない、地盤は不安定だ、決して安心はできない」
等と言われたけれども、そして、実際その通りなんだけれども、国民の「景を見る気分」は、というと、決してあの頃のように沈んではいない。それが景気を明るく見せている。前政権時代の錨が一杯海底に着いたままだから、なかなか出航できませんけどね。でも、国民が鎖を手繰り始めたのは間違いない。
・・・・??何書いてんだろう。
自民党が与党に返り咲いてから、段々に興奮が冷めてくると、(と言ってもほんの数か月後、ですよ?)予想以上に「是々非々論」が聞こえて来始めました。
「顔色一つ変えずに親の仇と握手する」という題のエントリーを夕刻の備忘録氏が書かれたのは、安倍政権発足後、5か月ほど経った時です。
既に、政府批判は支持層からも強くなっていた。その根幹は「是々非々」。
支持者の半分しか安倍政権を支持していない。後の支持者は浮動票層です。夕刻の備忘録氏の「是々非々論」批判は氏がペンを擱かれるまで続きました。
そして、2013年末、氏のブログはネットから消える。
ところが。
「是々非々」論者はおさまるどころか、「一事が万事」、としての全否定論者に変わっていきます。
「悪いところからマネをする」「悪い所ばかり倣う」と言う通り、その考えは後退しているようにすら見える。
目的を見失っているからです。
目的を見失うことはなくとも、目標を見失っているからです。
目標を見失うことはなくとも、手段を見失っているからです。
「在るべき国の姿を現実のものにする」のが目的です。
「現実のものにするための各過程の目印(到達地点)」が目標です。
「目印に届くための具体的施策の実行」が手段です。
そして、「是々非々」は手段でしかなく、「全否定」は手段でさえ、ない。
なのに、全否定が蔓延しようとしている。
「向上を目指す」からこそ、「悪い所ばかり倣う」ということなら、丁寧に個々を見直そうという気持ちが、その泥濘から救ってくれるのでしょうが・・・。
話が長くなりました。再掲は以下です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「考えを変えるのか。考えを忘れる(?)のか。」
2013年10月9日の日記
「こんな筈じゃなかった。」
「こんなことを望んでたんじゃない。」
「何だ。思いっきり騙されていたんじゃないか。」
色々なところから怨嗟の声が聞こえて来ます。
そして次に聞こえるのは「もう!考えを変える!!あんな奴は切れ!」
「考え」って、そう簡単に変えられるんでしょうかね。或る意味で、自身の全否定ですからね。下手すると、社会的な死を意味する。だから、「転向する」、というのは命懸けだった。
曲げられない一線を捨てる、意地を張ることもやめる。つまり全然の別人になることを受け入れる。「考えを変える」「転向」とはそういう事だ。
そんなことをするくらいなら、死ぬ方が百倍もマシだ。腹を切った方がましだ。
そこまでの意地の突っ張りがあって、「転向する」「考えを変える」。だからなかなかできることじゃない。歳を取ればとるほどできなくなる。
でも、「考えを忘れる」、ならば、これは簡単。何しろ目に見えないんだから、捨てれば良いんだ、考えなきゃいいだけだ!・・・・なぁ~んてね。
そんなことはありません。未練が残る。忘れようとすればするほど別れた恋人のように良いところばかりが思い出される。
「転向」には新しい考えとの葛藤がついて回るけれど、ただ「忘れる」、ですからね、難しい。
それを簡単にやってしまう。できてしまう。煙草や酒は、なかなかやめられないのに???
そこで考える、というか直面する事実。
実は「考え」なんか、元々身についてなかったんじゃないか。
ただ誰かの意見の受け売りをしていただけじゃないか、情報を仕入れて組み替えることさえしていなかったのではないか。
「他人のうわさも七十五日」、じゃないな、「去る者は日々に疎し」でもないですね。
でも、何だか、忘れていきますね、自身の「覚悟」、なんて。
「考え」にも至ってなかったんでしょうね。
三ヶ月あまり前の日記なんですけど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「もはや「井戸端(会議)」ではない」
6月14日
(転載です)
(略)
部分と全体は切り離すことができない渾然一体としたものであり、一部を変えれば、他の全てを失うかもしれない、むしろ失う方が普通であるにも拘わらず、「是々非々」で欠点を矯正して欲しいと願うのである。全てを保ったままで、欠点だけが除去できると信じているのである。
「そんな都合のいい話はない」と諭すのが大人の役割である。
ところが、その大の大人が、都合のいい要求を政権に突き付けて、自分だけは公平な人間であると気取っているのである。
(略)
日本の復活を何より恐れる周辺国があり、その連中に汚染されたマスコミがあり、政治の中枢に浸透した工作員がいる中で、「大体は賛成なのだけれど、ここだけは嫌!」などという子供染みた態度が通るはずもないだろう。
それは既に明白な利敵行為なのだ。
「TPPは交渉にも反対だ!」「スワップは止めろ!」と叫んで政権が安定するなら、幾らでもそうする。
しかしながら、そうした批判は政権を弱体化させ、日本の国力をそぐ。マスコミが必ずそうなるように誘導する。
その結果、「TPP体制に配慮」せざるを得なくなり、「周辺国との関係を生温いもの」にせざるを得なくなる。望むものと正反対の結果しか得られない。
そして、益々の政権批判が続く。まさに「負のスパイラル」ではないか。
これが「日本弱体化の歴史」なのである。
あらゆる批判が、個別の小さな批判が、全体を破滅に導く。政権を倒すつもりなら、それでいい。
しかし、支持を訴えながら、部分的に批判できると思う、その考えは甘すぎる。 刃物で斬り付けておきながら、「私が斬ったのは相手の小指の爪の先です、それで死ぬなんて思いませんでした」と、かまとと全開に言うつもりなのか。
ふて腐れながら、「そんなつもりじゃなかったのに!」と言ったところで後の祭なのである。
(略)
何時までも、昔の井戸端会議の感覚で、「その日の不満」「今日の不愉快」を爆発させていてはダメなのだ。
そんなことは日頃「百も承知」と言っている人に限って、「正論」をぶちたがる。日本の有権者は、狂ったマスコミに日々踊らされているのである。
そのことを、本当に理解しているなら、我が国の将来を本当に危惧しているなら、危なくて「是々非々」などと暢気なことを言っている余裕などないはずである。
安倍政権を支持するなら、良い政策は扱う、問題のあるものには沈黙する。これが「今は」一番正しい態度である。大一番の選挙を前にして、これ以外には考えられない。
関係者には、我々の沈黙は「否」であることを、感じて貰えればそれでいい。
沈黙に徹すれば、マスコミに揚げ足を取られる心配もない。
(以下略)
ネットに「井戸端」はない
~夕刻の備忘録より~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログに書いたことや、コメントに遺したことだって、もはや「井戸端」の話ではない。
「そんなこと知ってるよ」、とみんな思ってる。
「ネットに載せた時点で全世界同時公開みたいなもんだ。」
でも同時に、何となく思ってるんですよね、
「自分の意見や書き込み(だけ)は、悪意を以て拡散されたり、歪曲されたりしないだろう」って。
「どうせ内輪(井戸端)の話だもの、世間が注目する筈がない」って。
でも、《ネットに「井戸端」はない》んです。
先日来の株の乱高下は外国の投資家が云々と言われますが、何よりもの原因はコンピュータにやらせているから、でした。人間と違って仕事が異常に早い。
言ってみれば、あの勢いで捏造された(或いは歪曲された)情報が、出て行くんです、我々の手元から。
「その日の不満」「今日の不愉快」が、いつの間にか「政権への不満」「総理への不信」、と書き直されて。
自分の言いたいこと(思っていること)は喋らねば伝わらない。雄弁は銀。
金貨は貴重です。だから流通させず、手元に置いて置く。
喋ることで社会を動かすけれど、喋らなければ一目置かれる。
そして喋らなければ捏造・歪曲もできない。だから「沈黙は金」。
実はどちらが欠けても社会は成り立たない。
《「あらゆる批判が、個別の小さな批判が、全体を破滅に導く。」》
《「支持を訴えながら、部分的に批判できると思う、その考えは甘すぎる。」》
「井戸端のつもりだった」と復興庁のニンジャ乗り参事官がいくら言っても、更迭されてしまえばこれまでの全てが否定されてしまう。
我々個々人だって、株相場の如く、今発している小さな不満が「風が吹けば桶屋が儲かる」式で大きなうねりとなって、現政権を倒壊させることにならぬとも限りません。
「是々非々」について何度も日記に書いて来たのですが、これもその中の一つです。
あの三年と三ヶ月、「何でそんなことばかりするんだ」、「何で日本を破壊しようとするんだ」、「なんで世界から侮蔑の目で見られるようなことを・・・」と毎日のように腹を立てていました。
それがやっと自民党の圧勝となって政権与党に返り咲く。円安が進み株価が上がり、一気に息を吹き返した日本。
「海外投資家が大量に株を買い付けているだけのことだ、景気が回復したわけではない、地盤は不安定だ、決して安心はできない」
等と言われたけれども、そして、実際その通りなんだけれども、国民の「景を見る気分」は、というと、決してあの頃のように沈んではいない。それが景気を明るく見せている。前政権時代の錨が一杯海底に着いたままだから、なかなか出航できませんけどね。でも、国民が鎖を手繰り始めたのは間違いない。
・・・・??何書いてんだろう。
自民党が与党に返り咲いてから、段々に興奮が冷めてくると、(と言ってもほんの数か月後、ですよ?)予想以上に「是々非々論」が聞こえて来始めました。
「顔色一つ変えずに親の仇と握手する」という題のエントリーを夕刻の備忘録氏が書かれたのは、安倍政権発足後、5か月ほど経った時です。
既に、政府批判は支持層からも強くなっていた。その根幹は「是々非々」。
支持者の半分しか安倍政権を支持していない。後の支持者は浮動票層です。夕刻の備忘録氏の「是々非々論」批判は氏がペンを擱かれるまで続きました。
そして、2013年末、氏のブログはネットから消える。
ところが。
「是々非々」論者はおさまるどころか、「一事が万事」、としての全否定論者に変わっていきます。
「悪いところからマネをする」「悪い所ばかり倣う」と言う通り、その考えは後退しているようにすら見える。
目的を見失っているからです。
目的を見失うことはなくとも、目標を見失っているからです。
目標を見失うことはなくとも、手段を見失っているからです。
「在るべき国の姿を現実のものにする」のが目的です。
「現実のものにするための各過程の目印(到達地点)」が目標です。
「目印に届くための具体的施策の実行」が手段です。
そして、「是々非々」は手段でしかなく、「全否定」は手段でさえ、ない。
なのに、全否定が蔓延しようとしている。
「向上を目指す」からこそ、「悪い所ばかり倣う」ということなら、丁寧に個々を見直そうという気持ちが、その泥濘から救ってくれるのでしょうが・・・。
話が長くなりました。再掲は以下です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「考えを変えるのか。考えを忘れる(?)のか。」
2013年10月9日の日記
「こんな筈じゃなかった。」
「こんなことを望んでたんじゃない。」
「何だ。思いっきり騙されていたんじゃないか。」
色々なところから怨嗟の声が聞こえて来ます。
そして次に聞こえるのは「もう!考えを変える!!あんな奴は切れ!」
「考え」って、そう簡単に変えられるんでしょうかね。或る意味で、自身の全否定ですからね。下手すると、社会的な死を意味する。だから、「転向する」、というのは命懸けだった。
曲げられない一線を捨てる、意地を張ることもやめる。つまり全然の別人になることを受け入れる。「考えを変える」「転向」とはそういう事だ。
そんなことをするくらいなら、死ぬ方が百倍もマシだ。腹を切った方がましだ。
そこまでの意地の突っ張りがあって、「転向する」「考えを変える」。だからなかなかできることじゃない。歳を取ればとるほどできなくなる。
でも、「考えを忘れる」、ならば、これは簡単。何しろ目に見えないんだから、捨てれば良いんだ、考えなきゃいいだけだ!・・・・なぁ~んてね。
そんなことはありません。未練が残る。忘れようとすればするほど別れた恋人のように良いところばかりが思い出される。
「転向」には新しい考えとの葛藤がついて回るけれど、ただ「忘れる」、ですからね、難しい。
それを簡単にやってしまう。できてしまう。煙草や酒は、なかなかやめられないのに???
そこで考える、というか直面する事実。
実は「考え」なんか、元々身についてなかったんじゃないか。
ただ誰かの意見の受け売りをしていただけじゃないか、情報を仕入れて組み替えることさえしていなかったのではないか。
「他人のうわさも七十五日」、じゃないな、「去る者は日々に疎し」でもないですね。
でも、何だか、忘れていきますね、自身の「覚悟」、なんて。
「考え」にも至ってなかったんでしょうね。
三ヶ月あまり前の日記なんですけど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「もはや「井戸端(会議)」ではない」
6月14日
(転載です)
(略)
部分と全体は切り離すことができない渾然一体としたものであり、一部を変えれば、他の全てを失うかもしれない、むしろ失う方が普通であるにも拘わらず、「是々非々」で欠点を矯正して欲しいと願うのである。全てを保ったままで、欠点だけが除去できると信じているのである。
「そんな都合のいい話はない」と諭すのが大人の役割である。
ところが、その大の大人が、都合のいい要求を政権に突き付けて、自分だけは公平な人間であると気取っているのである。
(略)
日本の復活を何より恐れる周辺国があり、その連中に汚染されたマスコミがあり、政治の中枢に浸透した工作員がいる中で、「大体は賛成なのだけれど、ここだけは嫌!」などという子供染みた態度が通るはずもないだろう。
それは既に明白な利敵行為なのだ。
「TPPは交渉にも反対だ!」「スワップは止めろ!」と叫んで政権が安定するなら、幾らでもそうする。
しかしながら、そうした批判は政権を弱体化させ、日本の国力をそぐ。マスコミが必ずそうなるように誘導する。
その結果、「TPP体制に配慮」せざるを得なくなり、「周辺国との関係を生温いもの」にせざるを得なくなる。望むものと正反対の結果しか得られない。
そして、益々の政権批判が続く。まさに「負のスパイラル」ではないか。
これが「日本弱体化の歴史」なのである。
あらゆる批判が、個別の小さな批判が、全体を破滅に導く。政権を倒すつもりなら、それでいい。
しかし、支持を訴えながら、部分的に批判できると思う、その考えは甘すぎる。 刃物で斬り付けておきながら、「私が斬ったのは相手の小指の爪の先です、それで死ぬなんて思いませんでした」と、かまとと全開に言うつもりなのか。
ふて腐れながら、「そんなつもりじゃなかったのに!」と言ったところで後の祭なのである。
(略)
何時までも、昔の井戸端会議の感覚で、「その日の不満」「今日の不愉快」を爆発させていてはダメなのだ。
そんなことは日頃「百も承知」と言っている人に限って、「正論」をぶちたがる。日本の有権者は、狂ったマスコミに日々踊らされているのである。
そのことを、本当に理解しているなら、我が国の将来を本当に危惧しているなら、危なくて「是々非々」などと暢気なことを言っている余裕などないはずである。
安倍政権を支持するなら、良い政策は扱う、問題のあるものには沈黙する。これが「今は」一番正しい態度である。大一番の選挙を前にして、これ以外には考えられない。
関係者には、我々の沈黙は「否」であることを、感じて貰えればそれでいい。
沈黙に徹すれば、マスコミに揚げ足を取られる心配もない。
(以下略)
ネットに「井戸端」はない
~夕刻の備忘録より~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログに書いたことや、コメントに遺したことだって、もはや「井戸端」の話ではない。
「そんなこと知ってるよ」、とみんな思ってる。
「ネットに載せた時点で全世界同時公開みたいなもんだ。」
でも同時に、何となく思ってるんですよね、
「自分の意見や書き込み(だけ)は、悪意を以て拡散されたり、歪曲されたりしないだろう」って。
「どうせ内輪(井戸端)の話だもの、世間が注目する筈がない」って。
でも、《ネットに「井戸端」はない》んです。
先日来の株の乱高下は外国の投資家が云々と言われますが、何よりもの原因はコンピュータにやらせているから、でした。人間と違って仕事が異常に早い。
言ってみれば、あの勢いで捏造された(或いは歪曲された)情報が、出て行くんです、我々の手元から。
「その日の不満」「今日の不愉快」が、いつの間にか「政権への不満」「総理への不信」、と書き直されて。
自分の言いたいこと(思っていること)は喋らねば伝わらない。雄弁は銀。
金貨は貴重です。だから流通させず、手元に置いて置く。
喋ることで社会を動かすけれど、喋らなければ一目置かれる。
そして喋らなければ捏造・歪曲もできない。だから「沈黙は金」。
実はどちらが欠けても社会は成り立たない。
《「あらゆる批判が、個別の小さな批判が、全体を破滅に導く。」》
《「支持を訴えながら、部分的に批判できると思う、その考えは甘すぎる。」》
「井戸端のつもりだった」と復興庁のニンジャ乗り参事官がいくら言っても、更迭されてしまえばこれまでの全てが否定されてしまう。
我々個々人だって、株相場の如く、今発している小さな不満が「風が吹けば桶屋が儲かる」式で大きなうねりとなって、現政権を倒壊させることにならぬとも限りません。
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