二回に分けようと思ったのですが、それでも多めになるので思い切って4回に分けて転載させていただこうと思います。
今日はその一回目。
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社報「靖國」令和7年6月号掲載
論説文
「抑止力としての靖國神社」
茂木弘道(もてぎ ひろみち)
(史実を世界に発信する会会長)
靖國神社はいうまでもなく英霊の慰霊・顕彰のために存在しています。
私見ではもう一つと言いますか、その根底の所に、抑止力としての重要な働きがあるのではないかと考えています。
日本全国に「平和記念館」とか「平和記念碑」、「平和○○」と称するものがあまた存在しています。
ではそれらの「平和物」ですが、日本の安全、平和に少しでも役に立っているのでしょうか?役に立っているに決まっているとお考えの方は、多分、日本が愚かな戦争を起こした、日本が戦争の反省をして、二度と戦争を起こさないと決意すれば、戦争は起こらない。だから平和の誓いを忘れないために「平和記念館」を建て、その思いを世に広めなければならない、と考えているのでしょう。
しかし、日本が戦争を反省し、世界に極めてまれな戦争を放棄するという「平和憲法」を施行したのは昭和22年(1947)年5月3日でした。そのたった3年後の昭和25(1950)年6月25日には日本の隣国で朝鮮戦争が勃発しました。この戦争は、ちょっとした局地紛争などといったものでは全くなく、ある面では大東亜戦争をも上回る大戦争でした。一説(ウィキペディア)によりますと、韓国67万8千人、北朝鮮108万6千人、合計174万4千人の民間人が死亡しているのです。大東亜戦争における日本の民間人の死者は、39万8千人とされていますので、その4・5倍にも当たる民間人の死者を引き起こすほどの大戦争であったということです。当時の南北朝鮮の人口は日本の半分ほどでしたから、人口当たりの死者数は、10倍近くです。そんなおそるべき大戦争が朝鮮戦争でした。
日本が「平和憲法」を作り、「平和祈念館」を一生懸命作っても、世界にと言わず、隣国でもこんな大戦争が起こっているのですから、「平和○○」と称するものが、平和をもたらすなどというのは全くの幻想、というより大ウソであることを教えてくれる事実です。
(Ⅱへ続く)
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