夕食は、特に何の用意もせずとも、と思っていた。
菜の花の浸しがある。野沢菜入りの漬物もある。味噌汁だってある。
十分に「一汁一菜」、だ。
ということで食べ始めたのだが、やはり「いくら何でも温かいものを一品くらい」、と贅沢なことを思い始めた。
で、昨日のアヒージョのオイルにマッシュルームと卵を入れて一品作ることにした。
食べ終わって、もう二、三週間前から、気にはなっていた素振りをしようと思いつく。
少女終末旅行の名文句「終わらなければ終わらないよ」と同じく、とにかく「始めなければ始まらない」。
冷蔵庫に、去年の一月末に書いた「今年の(努力)目標」がマグネットで留めてある。
「早寝早起き 一飲二休(三日に一度だけ、飲む) 素振り300回 習字 」等々書いてあって、台所に立てば必ず目に入るようになっているのだが、「達成できてる!」と堂々と胸張って言えるのは「一飲二休」くらい。
今年の1月24日、改めて同じ目標で行こうと思いながら、気が付けば2月も中旬に入ってしまった。
木刀を持って庭に出る。
やってしまえばたったの300回、どうってことはない。
「どうってことはない」くらいだから、やったからってたちまち上手くなる、なんてことはあり得ない。
あり得ないけど、やらなければたちまちどころか上手くなることは「絶対にあり得ない」。
その300回を今年に入って一ヶ月半近くやってないのだから、上手くなる筈もない。それ以前に「下手」になってない筈がない。
「下手になっているか否か」、は身体の各部位に無駄な力が入っているか否かで測ることができる。早い話、無駄に力を入れると、そこに痛みとして出てくる。たった300回、数百グラムの軽い簡単に折れそうな木刀で、痛みが出てくるんだから簡単に測れる。
逆に、重い木刀では筋力の低下を実感する方が忙しくて、無駄な力を点検するまでの余裕がなくなる。
ということで、やってみた。
100回はともかく、120回から140回の間が、時間が長く感じた。その辺りが今の集中力の峠なんだろう。
200回目以降は惰性でやってしまった。
1秒に一回としたら、300回は300秒。たったの五分だ。
たったの五分の中、二分過ぎた辺りが(精神的に)「時間が長く感じた」ということは一番しんどかったということ。
まずは五分間を「気が付いたら終わってしまっていた」と感じるまでにするのが初めの一歩、だろう。