2014.10/15 (Wed)
神宮(伊勢神宮)の神嘗祭は、10月17日だけれど、全国にある神社だって、同じような祭りがある。ない方がおかしい。
日程は違っても、大方の神社ではその年の稔りの豊穣であったことを神前に奉告し、感謝の祭りをする。それが秋祭りという形で行なわれているのが普通なんじゃないでしょうか。
大体が稲を刈って「稲木(はで、と言ってました)」に掛けて、干す。干す期間は結構長いみたいです。
本来は刈り入れが九月半ば以降だから、「はで干し」を終えて新穀(だから、主になるのは米、です)を奉献する、となると、十月半ばに神嘗祭を、というのは、まあ、妥当なところでしょう。
けれども、南の方はもっと早く刈り入れていた筈です。そうすると秋のお祭りはもっと早くやったっておかしくはない。
逆に北の方はもっと遅くなってもおかしくはないし、さらに北に行ったら米ができないところが増えるわけで、そうなるとお祭り自体が出来なくなって、なんてことになる。
それでも、秋のお祭りは行われていた。稲穂かどうか、は知りませんけど、とにかく収穫に関する祭りのない神社はない筈です。
一説によると、天照大神は稲穂の神様で、全国を回って稲作を教えていたのだとか。だから神嘗祭の中心は稲穂の奉献なのだ、と。
本当のところは分かりません。
少なくとも皇室の祖先神である天照大神は、同時に日本国民の祖先神でもあって、その祀られる伊勢の神宮で行なわれる神嘗祭の主たる献上物は稲穂であること。それだけは確かなようです。
そして神宮の神嘗祭が全国にある神社の秋のお祭りの基準になっているらしいことも同じです。
ところで、昔読んだ、金井南龍という人の「神々の黙示録」という本に、
「天照大神は最上の神ではなく、実は二番手の神なのである」
と言ったようなことが書かれていました。
最高の神は別にいる、ということなのですがそれは置いといて。
では、何故二番手の神が日本では「祖先神」として祀られ、我々日本人は最高の神、と思っているのか。
「それは皇室の祖先神だからだ。皇室が一番偉い、ということにするためにそうしたのだ」
そう考えるのが普通でしょうね、きっと。
「そうやって皇室に支配されてきたのだ、対立関係なのだ、革命を起こして皇室を潰さなきゃ新しい『人民のための国』はつくれないのだ!」
そこまで言う人は最近ではいないでしょうけどね。でも、今でも「反天連」、なんて団体がありますからね。ニュースなんかでも、「天皇ご夫妻」なんて言ったりするのはまだ少ないけど、「皇后(陛下)」って言わないで「美智子さま」、ってのが多くなりました。脱線しました。
いずれにしても「皇室が一番偉いということにするために~」というのは、余りにも安直な回答です。それは「八百万の神々」という言葉、それに対する我々国民の思いを無視した答えでしょう。
日本では神々に厳密な上下関係はない。
だから、何かと言うと 「神集ひに集ひ給ひ、神議(はか)りに議り給ふ」。「寄り合い」ですね。「神様が集まって、神様が会議を開いて」、物事を決める。合議制が日本の昔からのやり方。
「神無月」に神々が出雲に集って「神議り」をされる。大国主神が議長だけれど、独裁制じゃないし、特権があるわけでもない。議長だから尊敬はされているかもしれないけど、名誉職でしかないですよね。利権も、なしです。
それどころか、毎年毎年全国の神々の宿舎の準備はしなきゃならないし、一ヶ月も饗応しなきゃならないし、だから大変です。「偉い」、どころか持ち出しばかりでホントに大変(かどうかは知りませんが)。
だから「相対的に見れば」、程度のことですね、上下の位置って。
「豊葦原の水穂(瑞穂)の国」。瑞々しい稲穂の稔る豊かな土地を我々は、天照大神を祖先神として祀り、暮らしている。みんなで守り、暮らしているんであって、支配されたり命令されたり、虐げられたりしているのではない。みんな同じ民草です。
そうやって見てみると、確かに神宮では十月十七日だけれど、それぞれの神社でそれぞれに行われる神嘗祭と同じ趣旨の秋祭りは、別にそれより早くたって遅くたって、さほど問題はない、ということになりそうです。
大事なのはとにかく神嘗祭を「(それぞれの神社が)行う」、ということだけなんじゃないでしょうか。
もっと言えば伊勢の、或いは地元の氏神を祀る個々人の家の神棚に新米を献じて、二拝二拍手一拝。
その後で我々が新米をいただく。それだっていいんじゃないか。
そうすれば新嘗祭より先になったって、神嘗祭より先になったって、天皇陛下に叱られは、せんでしょう。
神宮(伊勢神宮)の神嘗祭は、10月17日だけれど、全国にある神社だって、同じような祭りがある。ない方がおかしい。
日程は違っても、大方の神社ではその年の稔りの豊穣であったことを神前に奉告し、感謝の祭りをする。それが秋祭りという形で行なわれているのが普通なんじゃないでしょうか。
大体が稲を刈って「稲木(はで、と言ってました)」に掛けて、干す。干す期間は結構長いみたいです。
本来は刈り入れが九月半ば以降だから、「はで干し」を終えて新穀(だから、主になるのは米、です)を奉献する、となると、十月半ばに神嘗祭を、というのは、まあ、妥当なところでしょう。
けれども、南の方はもっと早く刈り入れていた筈です。そうすると秋のお祭りはもっと早くやったっておかしくはない。
逆に北の方はもっと遅くなってもおかしくはないし、さらに北に行ったら米ができないところが増えるわけで、そうなるとお祭り自体が出来なくなって、なんてことになる。
それでも、秋のお祭りは行われていた。稲穂かどうか、は知りませんけど、とにかく収穫に関する祭りのない神社はない筈です。
一説によると、天照大神は稲穂の神様で、全国を回って稲作を教えていたのだとか。だから神嘗祭の中心は稲穂の奉献なのだ、と。
本当のところは分かりません。
少なくとも皇室の祖先神である天照大神は、同時に日本国民の祖先神でもあって、その祀られる伊勢の神宮で行なわれる神嘗祭の主たる献上物は稲穂であること。それだけは確かなようです。
そして神宮の神嘗祭が全国にある神社の秋のお祭りの基準になっているらしいことも同じです。
ところで、昔読んだ、金井南龍という人の「神々の黙示録」という本に、
「天照大神は最上の神ではなく、実は二番手の神なのである」
と言ったようなことが書かれていました。
最高の神は別にいる、ということなのですがそれは置いといて。
では、何故二番手の神が日本では「祖先神」として祀られ、我々日本人は最高の神、と思っているのか。
「それは皇室の祖先神だからだ。皇室が一番偉い、ということにするためにそうしたのだ」
そう考えるのが普通でしょうね、きっと。
「そうやって皇室に支配されてきたのだ、対立関係なのだ、革命を起こして皇室を潰さなきゃ新しい『人民のための国』はつくれないのだ!」
そこまで言う人は最近ではいないでしょうけどね。でも、今でも「反天連」、なんて団体がありますからね。ニュースなんかでも、「天皇ご夫妻」なんて言ったりするのはまだ少ないけど、「皇后(陛下)」って言わないで「美智子さま」、ってのが多くなりました。脱線しました。
いずれにしても「皇室が一番偉いということにするために~」というのは、余りにも安直な回答です。それは「八百万の神々」という言葉、それに対する我々国民の思いを無視した答えでしょう。
日本では神々に厳密な上下関係はない。
だから、何かと言うと 「神集ひに集ひ給ひ、神議(はか)りに議り給ふ」。「寄り合い」ですね。「神様が集まって、神様が会議を開いて」、物事を決める。合議制が日本の昔からのやり方。
「神無月」に神々が出雲に集って「神議り」をされる。大国主神が議長だけれど、独裁制じゃないし、特権があるわけでもない。議長だから尊敬はされているかもしれないけど、名誉職でしかないですよね。利権も、なしです。
それどころか、毎年毎年全国の神々の宿舎の準備はしなきゃならないし、一ヶ月も饗応しなきゃならないし、だから大変です。「偉い」、どころか持ち出しばかりでホントに大変(かどうかは知りませんが)。
だから「相対的に見れば」、程度のことですね、上下の位置って。
「豊葦原の水穂(瑞穂)の国」。瑞々しい稲穂の稔る豊かな土地を我々は、天照大神を祖先神として祀り、暮らしている。みんなで守り、暮らしているんであって、支配されたり命令されたり、虐げられたりしているのではない。みんな同じ民草です。
そうやって見てみると、確かに神宮では十月十七日だけれど、それぞれの神社でそれぞれに行われる神嘗祭と同じ趣旨の秋祭りは、別にそれより早くたって遅くたって、さほど問題はない、ということになりそうです。
大事なのはとにかく神嘗祭を「(それぞれの神社が)行う」、ということだけなんじゃないでしょうか。
もっと言えば伊勢の、或いは地元の氏神を祀る個々人の家の神棚に新米を献じて、二拝二拍手一拝。
その後で我々が新米をいただく。それだっていいんじゃないか。
そうすれば新嘗祭より先になったって、神嘗祭より先になったって、天皇陛下に叱られは、せんでしょう。