「あれ?仏教が入って来たから、神道はレベルアップした、みたいなこと、言ってなかった?」
「半島の原始宗教は、仏教の前に潰滅したのに、日本だけレベルアップ、なんておかしくないか?」
大陸も半島も、仏教が伝わることによって既存の宗教は滅びていったのに、日本だけ、何故滅びなかったのか。滅びなかったどころか、却って仏教までも理解し、我がものとしている。
それが証拠に神道は日本文明の元になっている。
他のアジアの諸地域と同じく、日本の原始宗教(というより自然崇拝でしかなかった)、「神道」は大陸から(半島経由で)次々と波のように押し寄せて来る神々の流入をその都度、受け止めて(受け入れて)来ました。
戦ったら打ち破られるかも、といったような強大な渡来神ではなく、常に新しい考え方と新しい技術とそれを支える人々とに奉じられた神々でした。
日本人はそれを受け入れて来ました。
そうやって「自然崇拝の精華」とも言える神道が成立した。
前回、
「聖地」を奪われた半島の人々は、新天地を求めて、或いは部族の全滅を回避するため、この原始宗教である祖先神を奉じて海を渡った。」
と、書いたのですが、読み直してみるとどうも
「優れた文化を持つ渡来人により、日本文明はつくられた」
と誤解されそうですので、ちょっと付け足しておきます。
キリスト教が日本に入って来た時と同様、宗教(物の考え方)というのは、どうやって入って来たのか、あまり考えることはありません。
だから意外に「或る日突然、坊さんがやって来て布教を始めた」みたいなこと、漠然と思ってませんか?
実際は武力・財力の裏付けがある渡来の一団の中に、何かその、通訳のような形で彼ら異邦人がやって来た理由を簡潔に要領よく説き明かし、納得させるための教養人がどうしても必要になる。それが僧である確率は高い。
全く違った考え方の社会に、今から「入植」しようとするわけですから、こっち(渡来した人々)の考えを説きつつも原住の人々の考えを知り、折り合いをつけなければならない。
日本人が彼らに敵対する気持ちを持っていたならば、その都度、渡来人は皆殺しになっていても不思議ではない。
それを日本人は、「良いものは取り入れよう」という「謙虚さ」と、難を逃れてきた、言ってみれば避難民に対し、「思い遣り」を以って接した。だからこそ異国の神々も受け入れ、神道を高めることができた。
いきなり強大な敵に出くわし、一撃で弾き飛ばされるのではなく、時間をかけて少しずつ考え方を深めて行った挙句に、天孫族に国譲りを迫られる。
しかし、それを了承した結果、「神武創業」という大業はみんなで成し遂げることができた。
そんな日本だからこそ、仏教と対した時、力づくで衝突するのではなく、これまでと同様に「良いものは学ぶ」という姿勢を貫くことができたようです。
仏教と敵対するのではない。仏教から自らの在り方を整序させる物差しを見つけ出し、結果、日本独自の「神道」を完成させることができた、と言えるでしょう。
他の地域や国々はみんな陸続きです。何事に関しても突然、ということはない代わりに、日本のような冷却機関、緩衝帯としての「海」を持たない分、ウェイト差は初めから勝敗を決定してしまいます。
日本は違う。島国として、何でも流入して来るのを闇雲に受け入れていたら身の破滅となることを承知しているからこそ、真正面から正直に習おうとし、理解しようとして来た。「沽券」とか「面子」、以前に
「良いものは取り入れよう」
「取捨選択の判断は分かってからにしよう」
という本来の意味での島国根性を以って対した。
神々が渡来して来るのを少しずつ受け入れ、理解し、世界に存在していた自然崇拝の中でも一番の「考え方(感じ方)」を手に入れた日本人は、仏教という圧倒的な力を持つ「考え方」と対することになった時、いきなり「法論」を戦わせるのではなく、まず仏教を理解しようとした。
そこで聖徳太子の活躍があるわけです。聖武天皇を初めとする仏法への倣いがあるわけです。
そして、「神仏習合」という考え方が案出され、日本の神々は仏の化身とされたり、逆に、仏が神々の化身とされたりする。
元々の原始的な、「宗教の芽生え」辺りの神道ではあの仏教と論戦をやって勝てるわけもありません。
けれど、半島に在った人々が、大陸から押し寄せて来る大勢力に居住地を奪い取られ、為す術もなく命からがら海に逃れる。たかだか数百人の人々が我が国目指してやって来る。
たったそれだけの人数で日本を支配しようなどということは毛頭考えていないでしょう。せめて一族の者と、この地で穏やかな終焉を迎えたい。
ところが日本人は、そんな彼らを喜んで迎え入れ彼らの知るところを学ぼうとさえ、した。
そうやって力をつけて来た日本人が、仏教をも受け入れようとする。これまでのあり方からすれば当然のことでしょう。
他の国(支那・朝鮮)は、原始宗教の状態の時に仏教、だったわけだから、ひとたまりもなかった。
日本は長い時間かけて力をつけて来ていた上に、「衝突」、でなく、向かい合い、そこから学ぼうとした。仏教を理解しようとし、そうやって更に高められた目で神道を見つめ直した。
これは奇跡と言ってもよい事なのかもしれません。
「半島の原始宗教は、仏教の前に潰滅したのに、日本だけレベルアップ、なんておかしくないか?」
大陸も半島も、仏教が伝わることによって既存の宗教は滅びていったのに、日本だけ、何故滅びなかったのか。滅びなかったどころか、却って仏教までも理解し、我がものとしている。
それが証拠に神道は日本文明の元になっている。
他のアジアの諸地域と同じく、日本の原始宗教(というより自然崇拝でしかなかった)、「神道」は大陸から(半島経由で)次々と波のように押し寄せて来る神々の流入をその都度、受け止めて(受け入れて)来ました。
戦ったら打ち破られるかも、といったような強大な渡来神ではなく、常に新しい考え方と新しい技術とそれを支える人々とに奉じられた神々でした。
日本人はそれを受け入れて来ました。
そうやって「自然崇拝の精華」とも言える神道が成立した。
前回、
「聖地」を奪われた半島の人々は、新天地を求めて、或いは部族の全滅を回避するため、この原始宗教である祖先神を奉じて海を渡った。」
と、書いたのですが、読み直してみるとどうも
「優れた文化を持つ渡来人により、日本文明はつくられた」
と誤解されそうですので、ちょっと付け足しておきます。
キリスト教が日本に入って来た時と同様、宗教(物の考え方)というのは、どうやって入って来たのか、あまり考えることはありません。
だから意外に「或る日突然、坊さんがやって来て布教を始めた」みたいなこと、漠然と思ってませんか?
実際は武力・財力の裏付けがある渡来の一団の中に、何かその、通訳のような形で彼ら異邦人がやって来た理由を簡潔に要領よく説き明かし、納得させるための教養人がどうしても必要になる。それが僧である確率は高い。
全く違った考え方の社会に、今から「入植」しようとするわけですから、こっち(渡来した人々)の考えを説きつつも原住の人々の考えを知り、折り合いをつけなければならない。
日本人が彼らに敵対する気持ちを持っていたならば、その都度、渡来人は皆殺しになっていても不思議ではない。
それを日本人は、「良いものは取り入れよう」という「謙虚さ」と、難を逃れてきた、言ってみれば避難民に対し、「思い遣り」を以って接した。だからこそ異国の神々も受け入れ、神道を高めることができた。
いきなり強大な敵に出くわし、一撃で弾き飛ばされるのではなく、時間をかけて少しずつ考え方を深めて行った挙句に、天孫族に国譲りを迫られる。
しかし、それを了承した結果、「神武創業」という大業はみんなで成し遂げることができた。
そんな日本だからこそ、仏教と対した時、力づくで衝突するのではなく、これまでと同様に「良いものは学ぶ」という姿勢を貫くことができたようです。
仏教と敵対するのではない。仏教から自らの在り方を整序させる物差しを見つけ出し、結果、日本独自の「神道」を完成させることができた、と言えるでしょう。
他の地域や国々はみんな陸続きです。何事に関しても突然、ということはない代わりに、日本のような冷却機関、緩衝帯としての「海」を持たない分、ウェイト差は初めから勝敗を決定してしまいます。
日本は違う。島国として、何でも流入して来るのを闇雲に受け入れていたら身の破滅となることを承知しているからこそ、真正面から正直に習おうとし、理解しようとして来た。「沽券」とか「面子」、以前に
「良いものは取り入れよう」
「取捨選択の判断は分かってからにしよう」
という本来の意味での島国根性を以って対した。
神々が渡来して来るのを少しずつ受け入れ、理解し、世界に存在していた自然崇拝の中でも一番の「考え方(感じ方)」を手に入れた日本人は、仏教という圧倒的な力を持つ「考え方」と対することになった時、いきなり「法論」を戦わせるのではなく、まず仏教を理解しようとした。
そこで聖徳太子の活躍があるわけです。聖武天皇を初めとする仏法への倣いがあるわけです。
そして、「神仏習合」という考え方が案出され、日本の神々は仏の化身とされたり、逆に、仏が神々の化身とされたりする。
元々の原始的な、「宗教の芽生え」辺りの神道ではあの仏教と論戦をやって勝てるわけもありません。
けれど、半島に在った人々が、大陸から押し寄せて来る大勢力に居住地を奪い取られ、為す術もなく命からがら海に逃れる。たかだか数百人の人々が我が国目指してやって来る。
たったそれだけの人数で日本を支配しようなどということは毛頭考えていないでしょう。せめて一族の者と、この地で穏やかな終焉を迎えたい。
ところが日本人は、そんな彼らを喜んで迎え入れ彼らの知るところを学ぼうとさえ、した。
そうやって力をつけて来た日本人が、仏教をも受け入れようとする。これまでのあり方からすれば当然のことでしょう。
他の国(支那・朝鮮)は、原始宗教の状態の時に仏教、だったわけだから、ひとたまりもなかった。
日本は長い時間かけて力をつけて来ていた上に、「衝突」、でなく、向かい合い、そこから学ぼうとした。仏教を理解しようとし、そうやって更に高められた目で神道を見つめ直した。
これは奇跡と言ってもよい事なのかもしれません。
2012.05/18