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城跡めぐり【Fort Harrod(ハロッド砦)】

2013-06-09 11:58:32 | 城跡を巡る

アメリカ合衆国ケンタッキー州

平成25年6月8日登城。

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6月5~16日までの米国出張、間に土日が挟まったので、ひま潰しに”城跡巡り”へ。

宿泊しているホテル(シンシナティ)から最寄りの城砦跡を検索してみると、ケンタッキー州に【Old Fort Harrod State Park】という史跡がある。

同僚のK君の運転で早速訪問。

1774年に入植者ジェームズ?ハロッドによって建てられた砦。

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近年、その砦が復元され、往時を偲ぶことが出来る。

入場料はUS$5.00、早速内部へ。

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初期の開拓者の生活様式が再現されており、鍛冶場、火薬貯蔵庫、家畜小屋、泉(湧水)、学校などがある。

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アメリカンネイティブの居住地へ強引に侵出した結果、このような囲い(砦)が必要になったのであろう。

本来の砦は、復元場所の南に隣接する小高い丘の上にあった由。

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砦を中心に、付近は歴史公園になっており、博物館の他に、エイブラハム・リンカーン(ケンタッキー州出身)が結婚式を挙げた教会なども復元されている。

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城跡めぐり【首里城】

2013-05-06 20:22:13 | 城跡を巡る

沖縄県那覇市

平成25年5月2日登城。

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琉球王国最初の統一王朝である第一尚氏がその居城と定め、以後、明治12年の琉球処分に至るまで王城として使われた。

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沖縄戦により壊滅したが、近年再建を進め、漸次公開されている。

また、周辺には、世界遺産にも指定されている玉陵(たまうどぅん)や同園比屋武御嶽石門、龍潭、旧円覚寺などの史跡が点在し、旧琉球王国の栄華が偲ばれる。

652pxflag_of_ryukyusvg1 琉球王国の国旗

今回の沖縄旅行のメインエベント、首里城登城。

平成12年に発行された二千円札の絵柄にもなっている守礼門から入城。

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歓会門へ向かう。

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さらに進むと、次に出て来るのが瑞泉門。

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正殿などのある中心部を目指して、坂を上る。

漏刻門を潜る。

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漏刻門の先には、広福門。

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広福門前の広場からは眺望もいい。

Img_0093 左奥は歓会門、手前は久慶門。

広福門の先には、下之御庭。

ここにあるのが、首里森御嶽(すいむいうたき)という拝所。

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下之御庭から先へ行くには入館料800円が必要。

奉神門の内部は・・・

Img_0097 御庭(うなー)に面する正殿。

その正殿を囲む北殿(左)と南殿と番所(右)。

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北殿は、評定所として重要案件を詮議した政務に中枢であるとともに、中国皇帝の使者である冊封使を歓待した場所。

南殿は薩摩藩の役人を接待した場所であり、番所は登城者のチェックを行っていた。

ここで繰り広げられた儀式。

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番所から宮殿内部へ。

正殿2階の大庫理(うふぐい)にある玉座と王冠。

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北殿の内部は土産物店となっており、順路的にはここからが有料区域の出口。

帰りは、淑順門、右掖門を通って城外へ。

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城郭中心部の城壁を左手に見ながら久慶門へ。

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久慶門の外、円鑑池付近から眺めた城壁。

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今回はあまり時間がなかったが、首里城外郭の城壁も廻ってみたいものだ。


城跡めぐり【中城城】

2013-05-05 13:42:28 | 城跡を巡る

沖縄県中頭郡北中城村・中城村

平成25年5月1日登城。

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かつての貿易港、屋宜の港に程近い標高160mの丘上、西に東シナ海、東に太平洋中城湾、さらに勝連半島、知念半島も見渡せる絶景の地にある。

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14世紀後半、先中城按司が数世代に亘り築城を続け、1440年、座喜味城から移動してきた護佐丸によって完成。

6つの郭からなる連郭式の山城で、西・南・一・二の郭は先中城按司、北・三の郭は護佐丸が築いたと伝わる。

琉球石灰岩で積まれた城壁、その曲線の美しさは秀逸。

三の郭城壁と北の郭への裏門

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北の郭(左:物見台)

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北の郭から二の郭へ

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二の郭城壁と内部

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二の郭に面した一の郭城壁と門

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一の郭内部、正殿跡を発掘調査中

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南の郭

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正門(左:西の郭から、右:外部から)

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西の郭に面した一の郭城壁

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小雨がぱらつく中での見学、ちょっと残念。

平成12年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録。


城跡めぐり【座喜味城】

2013-05-04 14:10:58 | 城跡を巡る

沖縄県中頭郡読谷村

平成25年5月1日登城。

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15世紀初頭、読谷山の按司護佐丸が築城したと伝えられる城。

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護佐丸は、山田城に居を構えていたが、北山滅亡よりその脅威が無くなったことや海外交易の利便性から、より港に近いこの地に新たな築城をしたと推定される。

城郭としての規模は小さいが、美しい切石積みの城壁、アーチ型の石門は印象的。

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Img_9955 Img_9963 一の郭への門

この日はあいにくの小雨、展望はイマイチ。

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しなやかな流線を帯びた石垣。

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一の郭には、白い琉球石灰岩の礫が敷き詰められた場所があり、おそらく建物が建っていたのであろう。

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平成12年11月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録された。


2013年GW 旧海軍司令部壕跡

2013-05-03 14:16:04 | 城跡を巡る

昭和20年6月6日、旧帝国海軍沖縄根拠地隊司令官大田實少将は、後事を託すべく、あの有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を海軍次官宛てに打電。

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その地があるのが・・・

海軍小禄飛行場(現那覇空港)に近く、見晴らしのいい高台。

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戦局が厳しさを増す 昭和19年、日本海軍第226設営隊(山根部隊)によりこの地に司令部壕が掘られ、大田実少将以下 4,000人の兵士が立て籠もる。

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昭和20年6月13日未明、大田少々自決。

組織的な戦闘は終結。

今は一般に公開されている壕跡だが、当時の生々しい状況は窺い知ることが出来る。

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12年前、祖母と両親をこの地に案内した。

齢九十歳を過ぎ、既に足腰の衰えた祖母が壕内のきつい階段を上り下りできるかと不安だったが、あの時代を生きた人の気合なのか、しっかりとした足取りで感慨深げに内部を廻っていた。

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また、慰霊碑の前で、深々と一礼していた父の姿も忘れられない。

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祖母、父ともに他界してしまったが、あの時の沖縄旅行は喜んでくれていた。