アメリカ合衆国ケンタッキー州
平成25年6月8日登城。
【Old Fort Harrod State Park】を後にして、次に向かったのが、フランクフォートにある【Leslie Morris Park on Fort Hill】。
【Fort Hill】 無理に訳せば【城山】?
南北戦争期に造られた二つの要塞が、フランクフォート市街地を見下ろす山の頂きにあるらしい。
テネシー州は、南北戦争開戦時、両勢力に二分され、同州北部の州都フランクフォートは北軍地域にあった。
1863年、南軍の進攻からケンタッキー州政府とフランクフォート橋を護るため、第103オハイオ義勇軍によって、この丘(”Blanton's Hill”と当時は呼ばれていた)の頂きに【Fort Boone】という保塁が、築かれる。
さらに、1864年、【Fort Boone】の北150m程のところに、逃亡奴隷や南軍捕虜も動員し【The New Redoubt】と呼ばれる六角形の保塁を築城。
要塞見取り図
遺跡の保存状態は、百数十年前のものとしては、あまりよくないが、土塁などの往時の面影は充分偲ばれる。
見取り図「1」付近の石組の壁、後年、この場所が農場になった際に築かれた。
「1」付近から南進すると【Fort Boone】の北面保(土)塁が見えてくる。
フランクフォート市街地の眺めと、保塁に囲まれた要塞内部。
この要塞には2門の大砲が設置されていた。
崖下に向かって、20インチパロット砲が設置されていた。図「5」
敵の侵攻時には前面になる北側にはカノン砲を配置。図「7」
【Fort Boone】の虎口(図「8」)とその北側の保塁。
【Fort Boone】の虎口を抜けると、北に向かって【The New Redoubt】へ通じる道がある。図「10」
この両要塞の間には、平時、兵士たちが生活していた小屋が復元されている。図「11」
さらに進むと【The New Redoubt】が見えてくる。
六角形の保塁は、空堀の底から保塁頂上部までの高低差が約270cm程あった由。
現在は、その後の農地化などによりなだらかになってしまったが、山城特有の雰囲気は残っている。
往時には、19門ものカノン砲が備えられていた。
六角形の一角、ここにカノン砲が。図「18」
要塞の中央には弾倉が備えられていた。図「16」
要塞と市街地を結ぶ道。図「13」

一部の保塁は、完全な土塁ではなく、石組みの上に土を覆ったものも。
両要塞のある山頂には、ビジターハウスがあり、資料などを展示している。
18世紀中頃の南北戦争時に、現役の山城があったなんて言うのは意外。
勉強になった。