2つの要塞跡を見学後、プラ・サムットチェディ、トンブリー地区へ。
チェディ・クラーンナーム(水中の仏塔)と称されたタイ湾に浮かぶ白い仏塔。
1827年、ラーマ2世の命で建造。
いまでは海岸線が沖合に後退してしまったが、かつてはチャオプラヤー川がこの付近で海と合流していた。
海からバンコクに入ると この美しいチェディが出迎えてくれる。
1893年のパークナム事件はこの沖合で発生した。
昼食は、チェディ前にあった【Ran Rhan Udom】というローカル食堂。
店内のテーブルからは、チェディが見渡せる。
ここで、カオナーペッを。
ご飯がかなり軟らかめだったが、美味しく頂けた。
昼食を済ませ、トンブリーへ。
チャオプラヤー川の西岸、トンブリー地区は、アユタヤ朝を滅亡させたビルマ勢を駆逐しタイ国土を回復、新王朝を開いたタクシン大王が本拠を置いたところ。
そのタクシン大王に所縁のある寺院を巡ってみる。
ワット・インターラム・ウォラウィハーン。
アユタヤ朝時代に造られた寺院だが、タクシン大王の治世下では王室寺院としての格を有していた。
黄金の仏像があるのは、もはやタイでは常識
もちろん、タクシン大王の像も。
この寺院には、大王とその母君が埋葬されているとも聞いたが、残念ながらその廟は確認できず。
ワット・ウェルラチン。
チャオプラヤー・ポラテープという高官が、ラーマ4世の治世下に開いた寺院。
説明版にはタクシン大王との関連を窺う記述はなかったが、ここにも像が。
このトンブリー地区の人々はいまだにタクシン大王への敬慕の念が強いのであろう。
ワット・ラチャクル・ウォラウィハーン。
この寺院は、大王の忠実な部下であったプラヤー・ピチャイダープハックを祀っている。
タイ北部ピチャイ出身、勇猛で武芸に秀でたプラヤー・ピチャイダープハックは、タクシン大王に見出され、ビルマからの国土奪回後は、出身地ピチャイの国主の地位を与えられた。
1782年、タクシン大王が部下であったソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスック(後のラーマ1世)に弑逆されるという事態が発生。
そのラーマ1世が、彼に出仕を命じたところ「二君にまみえず」として処刑を望んだという。
タイ版楠木正成 タイ史上を代表する忠義な人物として、いまでも人気があるらしい。
シラチャに帰ろうかと思ったら、トムさんが名所?があるので寄らないかという。
ワット・パークナム。
バンコクで3番目に広い寺院の由。
ちなみに、1番はワット・プラケオ、2番はワット・ポー。
広さ自慢以外、これといった特徴はないようだが・・・
ワット・クン・チャン。
日本的な感覚からいえば「何かの勘違い?」となるが・・・
”歴史”とか”荘厳さ”は感じないが・・・
見ているだけでも楽しくなる
もう少しゆっくりと、この珍光景に浸りたかったが、雨が降り出したのであわてて退散
平成26年9月6日