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プラ・サムットチェディ からトンブリー地区へ

2014-09-11 00:37:44 | タイ生活(観光編)

2つの要塞跡を見学後、プラ・サムットチェディ、トンブリー地区へ。

チェディ・クラーンナーム(水中の仏塔)と称されたタイ湾に浮かぶ白い仏塔。

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1827年、ラーマ2世の命で建造。

いまでは海岸線が沖合に後退してしまったが、かつてはチャオプラヤー川がこの付近で海と合流していた。

海からバンコクに入ると この美しいチェディが出迎えてくれる。

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1893年のパークナム事件はこの沖合で発生した。

昼食は、チェディ前にあった【Ran Rhan Udom】というローカル食堂。

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店内のテーブルからは、チェディが見渡せる。

ここで、カオナーペッを。

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ご飯がかなり軟らかめだったが、美味しく頂けた。

昼食を済ませ、トンブリーへ。

チャオプラヤー川の西岸、トンブリー地区は、アユタヤ朝を滅亡させたビルマ勢を駆逐しタイ国土を回復、新王朝を開いたタクシン大王が本拠を置いたところ。

そのタクシン大王に所縁のある寺院を巡ってみる。

ワット・インターラム・ウォラウィハーン。

アユタヤ朝時代に造られた寺院だが、タクシン大王の治世下では王室寺院としての格を有していた。

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黄金の仏像があるのは、もはやタイでは常識

もちろん、タクシン大王の像も。

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この寺院には、大王とその母君が埋葬されているとも聞いたが、残念ながらその廟は確認できず。

ワット・ウェルラチン。

チャオプラヤー・ポラテープという高官が、ラーマ4世の治世下に開いた寺院。

説明版にはタクシン大王との関連を窺う記述はなかったが、ここにも像が。

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このトンブリー地区の人々はいまだにタクシン大王への敬慕の念が強いのであろう。

ワット・ラチャクル・ウォラウィハーン。

この寺院は、大王の忠実な部下であったプラヤー・ピチャイダープハックを祀っている。

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タイ北部ピチャイ出身、勇猛で武芸に秀でたプラヤー・ピチャイダープハックは、タクシン大王に見出され、ビルマからの国土奪回後は、出身地ピチャイの国主の地位を与えられた。

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1782年、タクシン大王が部下であったソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスック(後のラーマ1世)に弑逆されるという事態が発生。

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そのラーマ1世が、彼に出仕を命じたところ「二君にまみえず」として処刑を望んだという。

タイ版楠木正成 タイ史上を代表する忠義な人物として、いまでも人気があるらしい。

シラチャに帰ろうかと思ったら、トムさんが名所?があるので寄らないかという。

ワット・パークナム。

バンコクで3番目に広い寺院の由。

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ちなみに、1番はワット・プラケオ、2番はワット・ポー。

広さ自慢以外、これといった特徴はないようだが・・・

ワット・クン・チャン。

日本的な感覚からいえば「何かの勘違い?」となるが・・・

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”歴史”とか”荘厳さ”は感じないが・・・

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見ているだけでも楽しくなる

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もう少しゆっくりと、この珍光景に浸りたかったが、雨が降り出したのであわてて退散

平成26年9月6日


城跡めぐり【プレーンファイファー要塞】

2014-09-10 07:46:48 | タイ生活(観光編)

タイ王国サムットプラーカーン県

平成26年9月6日登城。

タクシン王の治世下、チャオプラヤー川河口には、バンコクの海港としていくつかの港が建設に着手されたが、政変(王朝交代)により一時ストップ。

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ラーマ2世の時代になり、モン族を強制移住させ、彼らの労働力で海港建設を再開、6ヶ所の港が完成した。

その港のひとつ、プラ・プラデーン港に築城されたのが、プレーンファイファー要塞。

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築城当初の仮想敵国は、ビルマとベトナムか。

18世紀後半、ラーマ5世の時代に近代的な砲台として改修。

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列強、特にインドシナ半島への野心を顕わにしていたフランスへの備え。

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江戸湾(後の東京湾)を防衛するために築かれたお台場や砲台と同じ構図。

タイへの共感が湧いてくるのは、「欧米列強への対抗」

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不幸にもフランスには、こてんぱんにやられてしまった(パークナム事件)が、独立は堅持。

役目を果たした要塞は、現在 整備され公園となっている。

かつて強制移住させられたモン族の末裔も付近に住み続けている。

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チャオプラヤー川の流れも平穏


城跡めぐり【バーンクン要塞】

2014-09-09 00:19:03 | タイ生活(観光編)

タイ王国サムットソンクラーム県

平成26年9月6日登城。

アユタヤ朝時代に、メクロン川を防衛すべく、河口付近のカイ・バーンクンに設置された要塞。

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トンブリー朝を開いたタクシン大王がこの要塞を拠点化し、将兵の訓練を行ったという。

1967年、タイ国政府はボーイスカウトのキャンプを建設、合わせて、タクシン廟を安置。

跡地には、タクシン大王の像やその将兵の人形などがここかしこにあり、ちょっとしたテーマパーク

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色とりどりの戦闘服に身を包んだタクシン軍の将兵たち。

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18世紀も後半だというのに、全員が槍刀。

銃は持っていなかったのだろうか。

まあ余計な詮索は抜きにして・・・こちらでは武闘訓練に励む兵士たち。

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メクロン川沿いには城壁が再現され、大砲のレプリカも。

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いまは川面も穏やかなメクロン川。

当時はこの辺りまで海岸線だったのかな?

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要塞跡地にはワット・バーンクンという寺院があり、大きな菩提樹に覆われた本堂が有名。

その内部には金色に輝く仏像と、釈迦の一生を描いたと言われる赤い壁画。

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その他、400年前に造られたと伝わる水汲み場。

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想定外に興味をそそられ長居してしまった


城跡めぐり【城塞都市ピマーイ】

2014-09-03 21:23:56 | タイ生活(観光編)

タイ王国ナコーン・ラーチャシーマー県

平成26年8月24日登城。

タイ国内屈指のクメール遺跡があることで有名なピマーイ。

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クメール帝国時代に建設された寺院を中心に人々が住み始め、周囲を城壁で囲まれた城塞都市として発展。

城門は東西南北にそれぞれ設けられ、現在かろうじて残っているのは北・西・南。

正面に当たる南には「プラトゥー・チャイ(戦勝門)」跡、土塁、濠。

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北の「プラトゥー・ピー(妖精門)」と西の「プラトゥー・ヒン(石の門)」

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いつ頃作られたのかはわからない。

少なくとも日本語の資料は見当たらない。

「黙して語らず」といった風情。


ピマーイ遺跡、パノム・ワン遺跡へ

2014-09-02 22:58:12 | タイ生活(観光編)

タイ国内にはいたるところに、クメール様式寺院の遺跡がある。

調べてみると、12世紀の頃、クメール帝国は最盛期をむかえ、その版図は現在のタイやラオスのほぼ全域に及んでいた。

考えてみれば、もともと今の国境自体が、欧米の政治概念に基づき、ある瞬間の各勢力の施政範囲として設定されたものであって、数百年、数千年に及ぶ民族間の移動や力関係は絶えず流動していた。

日本のように、異民族の侵入を阻む島国に住み慣れたものにはこういう感覚は乏しいかも。

講釈はさておき、ナコーン・ラーチャシーマー県にも、ピマーイ遺跡やパノムワン遺跡など、クメール文化の残像を見ることが出来る。

特に、ピマーイ遺跡は「タイのアンコールワット」と称される壮麗な寺院跡。

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11世紀前半(アンコールワットよりも早い)、クメール朝のスーリヤヴァルマン1世がヒンドゥー教寺院として建立。

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寺院正面は、南方のクメール帝国の都アンコールワットの方向に向いており、当時のタイ東北部に点在していた小国家(ムアン)とクメール朝を繋ぐ重要な宗教施設だったと想像されている。

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堂内には、仏教の熱心な信者だったジャヤバルマン7世とされる坐像(レプリカ、本物は博物館に収蔵)が安置されている。

個人的には、金ピカ仕立てでないところがいい

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白色砂岩で作られた中央祠堂、数々の彫刻が美しい。

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この威厳に満ちた神々しい寺院も、クメール帝国の衰退とともに歴史の隅に追いやられてしまう。 

スコタイ朝やアユタヤ朝などタイ族国家がこの地に覇権を拡げるに従い、ピマーイの重要性は薄れてゆく。

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そして、20世紀に入りフランス人の冒険家に発見されるまで、その存在は忘れ去られてしまった・・・

ナコーン・ラーチャシーマー県にあるもうひとつの有名なクメール様式の寺院跡が、パノムワン遺跡。

建立されたのは、ピマーイ寺院と同時期とみられている。

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1990年に発掘され、その後修復が進み往時の面影を取り戻しつつある。

ピマーイ遺跡に比べるとスケールは小さいが、ラテライト造りの神殿には威厳が。

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私とトムさん以外は人影なし。

まだそれほど知れ渡っていないのかな。

平成26年8月24日