高山のマリアの墓へ!
箕面ビジターセンター前から東海自然歩道の尾根道を上り、
北摂霊園を抜けて高山(豊能郡)の村落へ下ってくると・・・
風景はもう故郷・信州の田舎に帰ってきたような感覚です。
高山の棚田の上から、下方に見える鎮守の森を眺めていると、
子供の頃を思い出してしまいました。
後ひと月もすれば、またこの棚田にも田植えの季節がやって
きます。
高山の村落を東西に分断する府道(茨木能勢線)を越え、
西の方へ少し歩けば、小高い丘の上に
かの戦国時代のキリシタン大名、高山右近の生誕地墓碑前に
出ます。
ここで一休みしながらお昼にしました。
おにぎりを食べながら古い村落の家屋を見回していると・・・
そう言えばここまで小一時間周辺を歩いていたのに、
まだ村人の誰にも出会っていないことに気づきました。
いつ来ても子供を見たことがなく、店一軒もなく、
限界集落の感がします。
少し前、一軒の古い田舎屋が売りに出ていました。
母屋に蔵があり、納屋もあり、裏手には畑が広がり200坪以上の
土地もついて約1500万円とかでした。
この村落にこよなく愛着を持つ私はどれだけ欲しくなった
事か・・・(笑)
コケ コッコウー コケ コッコウー
近くの山裾から二羽の鶏が交互に鳴き始めました。
お昼時、人も見当らないのに鶏が鳴き合っている光景が
何とも不思議でした。(笑)
この石碑の後方には小さな神社仏閣が集まって祀られています。
東から「八幡神社」「稲荷神社」「観音堂・薬師如来・十一面観音」
「阿多古神社」とそれぞれお社があり、一箇所で参拝できて
何とも便利な所です。(笑)
隠れキリシタンの里でもあるようで、そんな集いの教会ならぬ
往時のお寺も近くにあり、
高札場跡には 「・・・ご禁制の切支丹を・・・云々」と書かれた
昔の木板が掲げられていたりして歴史を感じます。
以前、府道沿いに高山の野菜直売所がありましたが、
今はどうなっているのでしょうか?
箕面・止々呂美や亀岡に抜ける車は、昨年できた
箕面トンネルを経由して行くのかもしれませんね?
それだけに余計に交通量も少なく、陸の孤島化しているのかも
しれません。
そんな直売場の近くに、どんな言われやいわくがあるのか
知りませんが、「マリアの泉」なる所がありました。
チョロ チョロと岩清水が湧き出ています・・・
今日、私は初めて「高山・マリアの墓」なる所を訪れてみる事に
しました。
住吉神社の少し北方向のようで、表示に従って細い田舎道を
上がり、約300mほど斜面畑の間を上っていくと
こんもりした森の中にそのお墓はありました。
と言っても小さな四つの墓石が立っているだけで
簡素なものでした。
横の表示板には・・・
「・・・墓碑は四基からなり、なぜか一基が離れている。
江戸時代中期の元文、延了、寛延(1730~1751年)の
年号があり、隠れキリシタン二組の夫婦の墓のよう・・・云々」
とありました。
一基だけ離れているのは想像するに、なにやら人間臭いものを
感じました。
高山マリアの墓のすぐ下のネギ畑に、一人のおばあさんが
草取りをしていました。
・ こんにちわ!
* ああこんにちわ!
横でネコがノンビリとあくびをしています。
穏やかな光景です・・・
しばらくして下の畑でまた別のおばあさんがネギ取りをされて
いたので声をかけました・・・
・ こんにちわ!
* こんにちわ! ああびっくりした。
・ すいません驚かしたようで・・・
それにしても余り人を見かけませんね?
* 子供らもいるんやけどな~
まあ人も少のうなってな、みんな街へでよるさかいな!
何にもないからな~
とのこと。
そう言えばこの日 高山の村落で出会った人は、このお二人の
おばあさんだけでした。(笑)
箕面隣市の茨木では、千提クルス山からキリシタン墓碑が
発見され、隠れキリシタンの里とされて、
そこには「茨木市立キリシタン遺物史資料館」があり
一度訪ねたことがあります。
その隣の高槻市にも・・・
高槻城主・高山右近とキリシタン大名にまつわる資料館が
多々あるそうなので・・・
一度この高山の里と併せ、隠れキリシタンの歴史を調べてみる
のも面白そうだな~ と、
隠居身にはまたひとつ楽しみが増えました。(笑)
’10-3-7 (完)