なんてことない日々…

何気ない日々の出来事や趣味のお話をしてみたいな♪
あと、いつも作ってる簡単手抜きレシピとか(笑)

さまよう刃

2009年07月25日 | 本のこと

【著者】 東野圭吾

【内容】

出版社 / 著者からの内容紹介
  自分の子供が殺されたら、あなたは復讐しますか?
  長峰重樹の娘、絵摩の死体が荒川の下流で発見される。
  犯人を告げる一本の密告電話が長峰の元に入った。
  それを聞いた長峰は半信半疑のまま、娘の復讐に動き出す――。
  遺族の復讐と少年犯罪をテーマにした問題作。

内容(「BOOK」データベースより)
  長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。
  花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって
  蹂躪された末の遺棄だった。
  謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように
  娘の復讐に乗り出した。
  犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。
  正義とは何か。誰が犯人を裁くのか。
  世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎える―。
  重く哀しいテーマに挑んだ、心を揺さぶる傑作長編。

 

正義とはなんなのか・・・
何のための法律なのか・・・
とても重く苦しいテーマの本でした。
しかし、現在日本ではこれと同じことがまさに問題視されている。
少年法・・・誰のための法律なのか???

少年法が謳うところの趣旨は頭では理解できる。
しかし、少なくともそれは加害者が罪の重さを理解し、反省し
被害者への懺悔をしている場合にのみ適用されるべきものではないか?

若者に限らず、今の日本では命の重さを理解し得ない人間が
多すぎるような気がします。

それを言うならば、加害者にも命の尊厳がある云々・・・
もろもろの反発が出てくるのも確かなのかもしれませんが
命の重さ、大切さが分からず、軽々しく人を死に至らしめることが出来る者に
自身の命の重さ、大切さを訴える権利が存在するのだろうか???

私は常々子供達に『義務を遂行した者にのみ権利は与えられる
と説いています。
与えられた義務も遂行できない人間が
自分の権利云々言う資格は無いと・・・

しかし現実には、自分がやらなきゃいけないことは放ったらかしだが、
権利ばかり主張し、そしてそれがまかり通る世の中になりつつあると思ってます。

その代表例がこの作品なのではないかなと・・・

確かにどんな理由があるにせよ、
命を奪う行為が正当化されることはありえない。
それは頭では分かります。
しかし、自分の子供が殺されたなら???

状況は色々あるでしょう・・・
しかし今回はこの作品の中の長峰重樹と同じ立場として考えた時
私自身、加害者にも命の尊厳を主張する権利がある・・・と
黙って法律に任せる事は絶対に出来ないと思います。
可能であるならば、彼(長峰)と同じ選択をするでしょう。

法律によれば、娘を死に至らしめた強姦魔は
殺人ではなく『傷害致死』という罪になるのだそうだ。
そこに至るまでにどれだけの悪意が込められていようが
自身の欲望を満たすためだけに、
他人をただの玩具か何かとしか見ることが出来ず
そこに人の心があること、命があることを
無視した行為であるにもかかわらず、
その罪は、法律の前ではとても軽いものとなってしまう・・・
そして更には未成年ということで、更に軽くなる。
極論、罪は問われないといってもいいくらいだ。

反して長峰の罪は『殺人』
そして二人目をもし殺していたとしたならば『計画殺人』となり
もっともっと思い罪に問われてしまいます。

しかし、人間としてどちらが重い罪を背負っているかと問われるなら、
誰もが『強姦魔』と答えるはずなのです。

この、両者の間の大きな壁がこの作品のテーマなのだけど・・・
読み終わった後でも正直答えは出てきません。

これは別作品の文中に出てきた事なのですが、
強姦されたとしても、積極的に抵抗していなければ
『同意した』とみなされ、起訴は難しいのだそうだ・・・

仮に、ナイフで脅され、命を脅かされ
恐怖のために抵抗できなかったとしても・・・なのだそうだ。
どうしてそのような法律がまかり通ってしまうのだろうか???
被害者は法律の前で泣き寝入りしなければならない現状が
これ以外にも数え切れないほど存在している。

そして、中には少年法を盾に犯罪を犯す未成年者がいる事実も
忘れてはいけないと思います。
未成年だから許される・・・少年法に守られる・・・と
それを盾に犯罪を犯す輩が実際に居るという哀しい事実・・・


法律が許したとしても、人の心は計算式で出る答えのように
スパッと割り切れるものではありませんよね。
ましてや、自分の命よりも大切な子供が
人としての扱いもされず、ただの肉の塊程度に思われ
蹂躙され挙句殺されたというのに、
法律が許しているからハイそうですか・・・と犯人の事を
許せるはずが無いのです。

あぁ・・・書き出すときりがなくなりますので、この辺でやめておきますが・・・
世の中の矛盾を大きく取り上げたこの作品、
是非読んでいただきたい。


賛否両論あるかもしれませんが、
私はこの作品を息子に読ませました。
是非読んで欲しかった。
読んだからといって世の中の矛盾を正せるわけではないが
そして正解が出るわけではないのだが、
それでも考えるきっかけにして欲しかった。

そして読了後の彼と私の意見交換で出たことは・・・

最終的に長峰氏にとってはあの最後が一番良かったのかもしれない。
仮に犯人を殺せていたとしても、
彼には一生『殺人犯』としてのレッテルと、
自身にその罪の意識が付きまとうであろう。
復讐を遂げられたとしても、心の中の虚無感は
ぬぐう事が絶対に出来ないし、更なる罪を犯したという
重圧が彼を苦しめてしまうだろう・・・

状況的に、菅野を殺害する事は敵わなかったであろうから
生きて彼が法の下で裁かれるのを見るのはそれ以上の屈辱であろう。
まして、自分は『殺人犯』として菅野よりも重い刑に服するのだ・・・

あの結末が東野圭吾の長峰に対する精一杯の
救いの手であったのかなと思わずにはいられないです。

支離滅裂な感想になってしまいましたが・・・
現実に残されている問題点として
思い、考えるきっかけになったことに感謝します。


そして、こちらも是非ご一読いただければと思います。

作者による『さまよう刃』考1…『週刊現代』01/01号のインタビュー記事

作者による『さまよう刃』考2…『中央公論』5月号のインタビュー記事