ヨーロッパから喜望峰を越えインドに至る新航路を発見した探検家、航海者ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)のお墓がある聖ジェロニモス修道院。ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初のヨーロッパ人であり、しばしばインドへの航路をヨーロッパ人として初めて「発見」した人物であるとされる。このインド航路の開拓によって、ポルトガル海上帝国の基礎が築かれた。1497年7月8日土曜日、168名でリスボンを出航した一行のうち、無事にポルトガルに戻れたのは55名だった。
ヴァスコ・ダ・ガマの墓
以上、ジェロニモス修道院でした。
そして、
大航海時代の初期における重要人物の1人であるエンリケ航海王子 Infante Dom Henrique 1394年3月4日 - 1460年11月13日)。
ポルトガルの王子であり、自らは航海しなかったが、その生涯において、探検事業家、パトロンとして航海者たちを援助するとともに指導し、それまで未知の領域だったアフリカ西岸を踏破させるなどしたことで、大航海時代の幕を開いた。
主人はもっとリスボン観光をしたかったようだけど、
なんとなく都会は人が多い、物騒だ・・・とテンション
の私に合わせ、帰ることにした。
3つ手前のエストリルで下車し海岸を散歩。
ポルトガルには、駐在の頃2回来たことがある。
こんな風景だったかな?
ここで泳いだのかな?
なんとなく見覚えあるような・・・
そうそう思い出した。ポルトガルの海岸で寝転んでいたら、のらわんこに踏まれたのだ。
私は砂浜と一体化してたのか!?
海辺に来て
都会より心落ち着きました。
さて、カスカイスの街で見た信号。
青に変わると、残りタイムが表示される。
ポルトガル人ってせっかちね。
そして4月3日
ポルトガルを出る日の朝。
マルシェへ。
新鮮なお魚に、主人は
しかし、すぐに
・・・だって、買って帰れないもんね。
今回はアパートを借りたので、
包丁、しょうゆなどを持って行ってたのだ。
でも結局、外食や総菜で済ませたので、包丁の出番はなし。
次回は必ず、魚だ!刺身だ!と今から闘志を燃やす!?主人でした
菜の花がいっぱい売られていたけど、どうやって食べるのかな?
久々の飛行機に乗って国外旅行で気分リフレッシュしました
ポルトガルあれこれメモ
*ベルギ―との時差 1時間。
ちょうど冬時間から夏時間に変わる日で、主人は1時間遅らせ、私は1時間早め・・・で結局二人の時差が2時間となり、
あれ~?今何時・・・?
まぁ、時間なんて気にしな~い。
*ロカ岬やシントラに行く時に乗ったバスはすごかった。
狭い道やアップダウンのある道を、がんがん飛ばすこと飛ばすこと。
でも、歩行者や対向車には優しかった。
*この時季には珍しく天候不順。
ベルギ―より傘を手にする人が多かった。
*鳥の炭焼き、タラのコロッケ、また食べたい!
最後に
このワインのラベルが
日本の切手になったとか。
また行くゾ!と張り切っている主人。
海なら、行ってもいいかなと思う私でした。