
2月になっても相変わらずの寒さであります。とは言っても、大分日が長くなりました。しかし、2月ってのは、私の勤め先では最も忙しい月でして、これらから三月中旬まで、大わらわであります。いやですねえ。こんな寒いときは、家で温くして音楽を聴くのが一番ですよねえ。ほんとです。でもそんな時は当分ないですね。
てなわけで、少々憂欝なときは、モーツァルトですかね。先日なんでか、ふと思い出したように、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴きたくなりました。それも第20番ニ短調K.466です。この曲は、なんと言っても第二楽章が、かの「アマデウス」のラストで用いられたのがたいそう印象的でした。1985年に公開された「アマデウス」、衝撃的でしたね。モーツァルトを再認識させられる映画でした。映画館でこのラストで泣いていた初老の方を今でも思い出します。ここで私らの世代は彼の音楽の素晴らしさを痛いほど感じさせられ、そして1991年の生誕200年の大フィーバーで彼の存在は不動のものになったのかも知れません。ちょうどそのころ、もっともモーツァルトの音楽で好きだったのはピアノ協奏曲でした。「アマデウス」でも15・20・22番などが思い出すだけでも用いられていましたね。いろんな演奏も聞き比べたものでした。
この第20番の演奏で一番印象に強く残っているは、月並みかもしれませんが、クララ・ハスキルとイゴール・マルケヴィッチの指揮による名盤ですね。他にも名盤はりますが、これにとどめを指したいです。この曲は24番とならぶ短調の曲です。第一楽章のデモーニッシュな気分は他にも比肩するものがないほどですが、ハスキルは正面から向き合って、モーツァルトに一歩も引かないピアノとなっています。カデンツァはベートーヴェンのものが一般的なんですが、自作のものを弾いています。これも興味深い。そして、第二楽章。これが最も好きな演奏です。陰影に富んだピアノで、これほど豊かな表情の演奏があろうか、といつも思っています。ピアノが確実な音を刻んでいます。そして第三楽章、一転してダイナミックな演奏となって、そのまた対比が鮮やかです。ハスキルのピアノの一音一音が胸に染み込んできます。マルケヴィッチもハスキルにあわせるべく頑張っていますよね。
この演奏の録音は1960年11月。その直後の12月7日にブリュッセルの駅での怪我がもとで急死しています。まさに死の直前の演奏で、白鳥の歌とも言えるものです。このCDには今ひとつの短調の24番が収められています。これも名演です。
てなわけで、少々憂欝なときは、モーツァルトですかね。先日なんでか、ふと思い出したように、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴きたくなりました。それも第20番ニ短調K.466です。この曲は、なんと言っても第二楽章が、かの「アマデウス」のラストで用いられたのがたいそう印象的でした。1985年に公開された「アマデウス」、衝撃的でしたね。モーツァルトを再認識させられる映画でした。映画館でこのラストで泣いていた初老の方を今でも思い出します。ここで私らの世代は彼の音楽の素晴らしさを痛いほど感じさせられ、そして1991年の生誕200年の大フィーバーで彼の存在は不動のものになったのかも知れません。ちょうどそのころ、もっともモーツァルトの音楽で好きだったのはピアノ協奏曲でした。「アマデウス」でも15・20・22番などが思い出すだけでも用いられていましたね。いろんな演奏も聞き比べたものでした。
この第20番の演奏で一番印象に強く残っているは、月並みかもしれませんが、クララ・ハスキルとイゴール・マルケヴィッチの指揮による名盤ですね。他にも名盤はりますが、これにとどめを指したいです。この曲は24番とならぶ短調の曲です。第一楽章のデモーニッシュな気分は他にも比肩するものがないほどですが、ハスキルは正面から向き合って、モーツァルトに一歩も引かないピアノとなっています。カデンツァはベートーヴェンのものが一般的なんですが、自作のものを弾いています。これも興味深い。そして、第二楽章。これが最も好きな演奏です。陰影に富んだピアノで、これほど豊かな表情の演奏があろうか、といつも思っています。ピアノが確実な音を刻んでいます。そして第三楽章、一転してダイナミックな演奏となって、そのまた対比が鮮やかです。ハスキルのピアノの一音一音が胸に染み込んできます。マルケヴィッチもハスキルにあわせるべく頑張っていますよね。
この演奏の録音は1960年11月。その直後の12月7日にブリュッセルの駅での怪我がもとで急死しています。まさに死の直前の演奏で、白鳥の歌とも言えるものです。このCDには今ひとつの短調の24番が収められています。これも名演です。
打鍵は克明で、音色は美しく、情感も豊か、マルケヴィチのバックもスゴイです。
ああ、涙なしには聴けない演奏です。