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中国とイスラムの暴力での文明争奪戦が始まった 日本は「近代」を蹂躙する勢力と戦え

産経正論

中国とイスラムの暴力での文明争奪戦が始まった 日本は「近代」を蹂躙する勢力と戦え 評論家・西尾幹二

中国や韓国の歴史を口実にした政治的挑戦に対し「歴史戦」という言葉がよく使われるが、先の大戦への反省と謝罪をめぐることだけだと考えるのは早計である。同様にヨーロッパがイスラム過激派から無法な挑発を受けているのも、サイクス・ピコ協定(1916年)などへの恨みは無論、関係しているが、その程度のことだと思うのは、やはり早計である。歴史の根はもっと深い。

≪イスラムと中国からの制縛≫

 ヨーロッパはイスラム世界から、また日本は中国大陸(半島はその一部)から長い期間、制縛されていた。そこからの「解放」がいわば「近代」である。「解放」は古代像の先取り争いであり、奪い合いであった。これには説明を要するが、ヨーロッパも日本も強大なイスラム文明や中華文明から解放されて近代の進歩と自由を獲得し、歴史の第一線に躍り出たのである。

 自分の方が優越していると信じていたイスラムと中国はこの逆転が許せない。今まで下に見ていた相手の優勢を認めたくない。それがしつこい歴史戦になり、過激テロになっている。彼らはいま「近代」を踏みつぶしゼロに戻そうとしている。

 一方、ヨーロッパも日本ももともと「近代」に本当の自信を持っていない。ヨーロッパには古代がないからだ。12~13世紀の中世からヨーロッパの歴史は始まる。ギリシア・ローマはまっすぐに彼らにつながる歴史とはいえない。アラビア世界にも属していた。聖書の原典はギリシア語で書かれていたが、15~16世紀にはもはやギリシア語を知る人もなく、原典復元のためエラスムスはギリシア語教師を探して南欧の果てまで放浪した。ヨーロッパには根源的不安があるのだ。日本も仏教は漢訳仏典を唯一の頼りにしたので、原語サンスクリットは明治になってやっと知ったのである。

 ユーラシアの東西の端にあったヨーロッパと日本にとって、この不安の克服こそが「近代」なのだ。ヨーロッパ人には大航海時代の冒険とともに人文主義の歴史があり、ギリシア・ローマをアラビア人に学んで自分の歴史に奪い取るルネサンスがあって、やっと「近代」の戸口に立った。

≪中華依存しなかった江戸時代≫

 日本は江戸時代に水戸光圀が中国の『詩経』をまねて『万葉集』の編纂(へんさん)、『史記』をモデルに『大日本史』の編纂を企て、いかにも中華依存に見えるが、江戸の儒学は同時代の清朝の学問からは大きな影響を受けなかった。

政治的にも対中交流を謝絶していた。伊藤仁斎も荻生徂徠も反朱子学で、本居宣長の国学や水戸学への道を開いた。つまり、中国研究であった儒学が、日本は中国とは別の国であるとの意識をかえって高めた。中国の儒学に国境の観念はないが、江戸の儒学は日本人に国境の観念を与えた。日本もかくて「近代」の戸口に立った。

 日本は明治維新で初めて「近代」を獲得したのではない。それ以前に日本史の内部に「近代」は胚胎し、醸成されていた。明治の日本人があまり抵抗なしにヨーロッパを受け入れたのは発展段階が似ていたからで、世界では例外である。その代わりに明治日本は維新の直前まで地上に覇を唱えていたイスラム世界の全体像を視野に入れることを怠った。ギリシア・ローマをヨーロッパ史の祖先と見なすキリスト教文明の閉ざされた歴史プロパガンダを受け入れた。

 一方、ヨーロッパの方でも長い間、江戸時代の日本は封印された暗闇で、古代像を中華の歴史から奪い取り、日本の古代を蘇生(そせい)させた国学者たちなどの精神のドラマが「近代」を生んだのだという事情に気がつかなかった(今も気がついていない)。最近でこそノーベル賞の科学部門が欧米と日本に集中することに暗示を感じている人がいるが、数世紀に及ぶ歴史背景があってのことなのである。

≪イスラム国と主張は同類≫

 日本人はイスラム教徒のことが遠い世界でよく分からない。ヨーロッパ人も中国人のことが分かっていない。中国による南シナ海の人工島の造成を違法とした仲裁裁判所の裁定を「紙くず」と称した中国政府は、「近代」の法秩序を頭ごなしに否定したのだから、その点は「イスラム国」の主張と同類である。イスラムと中国は近代以前の優越の記憶を盾に、暴力で「近代」を白紙に戻そうとしている。それがいま目前に起こっている文明の争奪戦である

 しかるにドイツのメルケル首相は(後で否定はしたが)、南シナ海の人工島は東南アジア各国がみんなで使えばいいんじゃない? と発言したとされるのは、唖然(あぜん)とさせる無知ぶりである。このあまりに幻想的な現実認識は信じがたいが、ドイツに「民族大移動」にも似た大量難民を引き起こしてしまった真の原因である。

 ヨーロッパは恐らく元へは戻るまい。8世紀からの宿命の対決はイスラムの勝利に終わるだろう。イスラムと中国は「近代」を蹂躙(じゅうりん)しにかかっている。日本はヨーロッパの轍を踏んではなるまい。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)

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