保守と右翼とは 違う!

 

適菜収

日本再生の道は「保守系=バカ」の定義を正常に戻すこと|それでもバカとは戦え

 戦後の思考停止、知的劣化、人心の荒廃……。あらゆる負の側面が生み出したのが、安倍政権だった。そしてこれを支えてきたのが腐り果てたメディアであり、それに感化された卑劣で薄汚い精神の奴隷たちだった。さらには連中は「保守」を自称するようになる。

 先日、化粧品販売大手DHC会長の吉田嘉明が、自社の公式ウェブサイトで競合するサントリー関連会社に触れ、根拠を示さないまま〈サントリーのCMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です。そのためネットではチョントリーと揶揄されているようです。DHCは起用タレントをはじめ、すべてが純粋な日本企業です〉とヘイトスピーチを垂れ流した。

 DHCといえば、関連会社の「DHCテレビジョン」が「真相深入り!虎ノ門ニュース」や「ニュース女子」といった低俗なネトウヨ番組をつくっていることで知られているが、いくつかのメディアはこれを「保守系番組」と紹介していた

 要するに「保守系=バカ」ということになってしまっている。現状、バカが保守を自称しているのだからそうなるのも仕方がないところがあるが、本来、政治的スタンスとしての保守とは近代の理想が暴走することに警戒を示す知的で冷静な態度のことである。復古という形をとる右翼とは異なり、近代の内部において思考停止を戒める姿勢のことである。よって、近代の正確な理解がないところに保守は成り立たない。

 私は以前、「日本に保守は根付かなかった」と書いたが、認識を改めるようになった。日本には最初から保守は成立しなかったのである。理由は簡単だ。近代の受容が表層的なものだったからだ。それは安倍政権の7年8カ月が見事に証明している。

 もちろん一部には、まっとうな保守もいたが例外中の例外だった。

 彼らは嘆いた。日本は西欧近代を神格化し、「外発的」(夏目漱石)に国を変造し、「近代史の飛ばし読み」(三島由紀夫)が招いた「真の混乱」(福田恆存)は、保守を自称する勢力による国家の否定という倒錯に行き着いた。

 いまや「米軍基地を減らせ」と言えば、下手をすれば「左翼」と呼ばれる時代である。

 日本再生の唯一の道は、「保守」という言葉の定義を正常に戻すことだ。

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