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あとはおまかせ
【大手町の片隅から】「目白御殿」が焼けてしまった 乾正人
もし閻魔(えんま)大王から「誰か一人だけインタビューしていい」という許可が出たら、一も二もなくあの人を選ぶ。もちろん田中角栄元首相だ。
私は昭和61年に記者となり、元首相の地元・新潟に配属されたのだが、そのとき既に彼は脳梗塞で倒れており、取材はかなわなかった。
神戸の体育館で見た光景
実物は、今から半世紀と少し前の昭和48年、神戸で遠巻きにちらりと見た。当時首相だった彼の人気はすさまじく、講演会場となった市立体育館は立ち見でも入りきれず、体育館の外の芝生も人で溢(あふ)れていた。
出無精で、政治に強い関心があるようにはとても思えなかった父が、なぜ小学5年生だった私を「角栄を見に行こう」と誘ったのかは、今となっては知る由もない。
当時は、社会、共産両党を中心とした革新自治体全盛時代で、「革新びいき」のませガキだった私は、いやいや行ったのだが、彼が一言を発するたびに大衆がどよめき、笑い、歓声を上げる姿に感動してしまった。あのとき「角栄」を見ていなかったら、政治記者になろうなぞとは、つゆも思わなかっただろう。
彼のおかげで、40年近くも記者稼業をしてきたようなものだが、政治家の演説会で、これほどの熱気を感じたのは、ほかには全盛期の小泉純一郎元首相以外にない。
彼に聞きたいことは、ヤマほどあるのだが、やはり第一は、ロッキード事件にまつわるあれこれだ。
昭和51年、全日空の旅客機選定をめぐって丸紅から5億円の賄賂を受け取ったとして、受託収賄と外為法違反で元首相が逮捕されたロッキード事件は、贈賄側のロッキード社が一切罪に問われない世にも不思議な疑獄事件だった。
「キッシンジャーに…」
元首相の側近だった石井一元国土庁長官(通称・ピンさん)は晩年、「冤罪(えんざい)」(産経新聞出版)という本を出し、具体的な事例を挙げて「田中無罪論」を展開、注目を浴びた。
ピンさんは、毀誉褒貶(きよほうへん)の多い政治家だったが、オヤジと慕った元首相の無罪を勝ち取るため、何度も米国に渡って得意の英語を駆使し、フォード元米大統領ら関係者から証言を集め、腕利きの米国人弁護士を雇う寸前までいった(結局、元首相の判断で裁判は、日本人弁護士だけで戦うことになったが)。
「『キッシンジャーにやられた』と、オヤジは言うとった」
生前ピンさんは、こう語っていたが、彼はロッキード事件を日米両政府と司法機関がからんだ壮大な「冤罪事件」としてとらえていた。日中国交正常化やソ連などと資源外交を推進した角栄の「自主外交」を疎ましく思っていたキッシンジャー米国務長官(当時)も一役買っていたに違いないと。
そんな元首相が亡くなって30年が過ぎた。目白御殿と呼ばれた邸宅は、長女の田中真紀子元外相が相続したが、全焼してしまった。キッシンジャー氏も先日、鬼籍に入った。
時あたかも東京地検特捜部は、自民党安倍派議員を主なターゲットに、政治資金パーティー券にまつわる不正にメスを入れている。
泉下の元首相には、ロッキード事件の真相とともに、現下の政治状況に関する意見もぜひ聞いてみたい。(コラムニスト)
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