倫理、道徳を欠き 暴走する経済学

産経ですら これでは・・オリンピック大会

これは 同感 なにを 昔のソ連 中共みたいなこと言っているのだ

加瀬英明のコラム

2020/02/07

倫理、道徳を欠き 暴走する経済学

 元日の新聞を手に取ったら、1面トップの見出しが「日本は五輪で再生する」(産経)だった。私はいったいオリンピック大会によって、これまで再生した国があっただろうかと、訝(いぶか)った。

 2012年のロンドン大会、16年のリオ大会、14年のソチ冬季大会、18年の平昌冬季大会、イギリス、ブラジル、ロシア、韓国が甦っただろうか?

 この元日の新聞記事によれば、2020年東京オリンピック大会は日本国民に「自信と誇りを取り戻させる再生の物語」となるそうだ。それよりも憲法を改正しなければ、自信と誇りを取り戻すことができないのではないだろうか?

 水を掛けたくないが、今夏の東京オリンピック大会は、新聞やテレビが煽ることによって、国民を一時的に昂奮させるのに留まろう。

 先の産経新聞の記事は、「この30年余りの日本人は失い続ける時代を生きてきた」「1989(平成元)年に、世界の企業上位50社のうち32社が日本企業だったのに」、いまでは1社しかないと嘆き、「世界的に見れば豊かなはずの日本だが、名状し難い閉塞感が社会を覆っている」と、述べている。

 私は産経新聞を購読しているが、私には希望と閉塞感を同時に煽る能力がないから、一瞬、眩暈(めまい)に襲われた。

 新聞やテレビは、悪いことばかり報じて、よいニュースは無視する。私は1970年に33歳だったが、日本には家に水道がなく、共同水道を用いていた極貧層が存在していた。

 いまでは日本語から、「貧乏人」という言葉が消えた。幼児死亡率が急落し、寿命が大きく伸びた。
 今日の日本社会はあのころと較べたら、想像できないほど豊かになっている。だが、あのころは向上心があって社会が明るかったから、閉塞感がなかった

 いま小学生まで持っているスマホは手の平にのるほど小さいのに、電話、時計、計算機、カメラ、動画撮影、ラジオ・テレビ、ナビ(方向案内)、CDプレイヤー、辞書まで兼ねている。1970年代だったら10畳間ほど大きなコンピューターを、必要とした。
 私たちは身のまわりから医療の進歩まで、大きな恩恵を蒙っている。LED1つとっても、消費電力が4分の1ですんでいる。それなのに、閉塞感にとらわれている。

 多くの人々が、気象変動から環境汚染、資源の枯渇などによって、世界が終末するといって怯えている。もっとも世界の終末観は、仏教、ユダヤ・キリスト・イスラム教など、古代から説かれてきたことだ。

 1970年に、「ローマ・クラブ」が『成長の限界』というレポートを発表して、このまま経済成長を続ければ、人類が環境汚染と資源枯渇によって滅びるから、ゼロ経済成長を行うべきと勧告して、世界を風靡したことがあった。日本の代表的な経済学者の大来多三武郎氏も、お先き棒を担いだ。

 私はもし経済成長を停めたら、汚染を浄化ができないし、資源が枯渇することはない、「ローマ・クラブ」の高名な学者たちは「石が枯渇したために、石器時代が終わった」と、きっと信じているはずだと反論した。

 人々は豊かになったために、忍耐できなくなった。このあいだまでは人生が「苦の連続」だと信じていたのに、いまでは人生が「楽の連続」でなければならないと思っている。

 経済学をとれば、かつて『国富論』で有名なアダム・スミスは、グラスゴー大学の倫理学の教授だった。日本では石田梅岩、二宮尊徳、渋沢栄一をとっても、経済学は倫理、道徳学だった。

 いまでは、経済学は慾望を満たす学問となっている。倫理、道徳という歯止めがなくなって、人々の心を貧しくしている。そのために家庭から社会まで、共同体という意識が希薄となってしまった。

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