今年のノーベル化学賞。ゲノム編集は「生命科学の三大発明」

朝日新聞 2020/10/08 科学

今年のノーベル化学賞。ゲノム編集は「生命科学の三大発明」(福岡伸一)

デザイナーベビー 優生学的な危険性はらむ


現代の生命科学における三大発明は、一つは新型コロナウイルスの検査で活躍しているPCR法。二つ目は画期的ながん免疫治療薬「オプジーボ」に代表される「モノクローナル抗体」。もうーつが今回の受賞対象になった「ゲノム編集」です。

受賞が決まったエマニュエル・シャルパンティエ氏とジェニファー・ダウドナ氏の2人の女性科学者は前評判が高く、今年でなくてもいつか必ず受賞するのは間違いなかったので、非常に順当な結果でした。

生命科学は1953年のDNAの二重らせん構造の発見に端を発しています。その意義は生命が情報であるということでした。DNAは「塩基」という化学物質の連鎖です。これが生命の設計図になっています。
この設計図の任意の1カ所を自由自在に書き換える画期的な方法がゲノム編集技術です。全てのノーベル賞に言えることですが、2人の業績は素晴らしいものの、山の頂上に達するまでの非常に広い科学の裾野があることも忘れてはいけません。

ゲノム編集の最初のきっかけを見つけたのは、現在九州大学教授の石野良純氏たちです。1980年代後半に出た彼らの論文に、ゲノム編集の基礎となる不思議な繰り返し配列が記されています。ただ、彼らは、後にCRlSPR(クリスパー)と呼ばれるこの配列が何を意味するかは気付いていませんでした。

石野氏の発見から重要な展開がいくつかありました。2016年の医学分野で世界的権威があるガードナー国際賞は「ゲノム編集」ですが、このときはシャルパンティエ氏とダウドナ氏を含め、5人が受賞しました。あと3人は、フィリップ・ホルバート氏とロドルフ・バラング氏、フェン・ジャン氏です。
ホルバート氏とバラング氏は食品会社の研究者で、チーズの発酵過程を注意深く観察し、発酵に関わる細菌がウイルスと戦うための防御システムのなかで、クリスパー配列が重要な役割をしていることに気がつきました。

ジャン氏はこの技術が捕乳類でも使えることを実証しました。彼とダウドナ氏たちのグループは、ゲノム編集の特許を巡り、現在も係争中です。ジャン氏は先行して思いついていたと主張しており、今回のノーベル賞に関して異議を唱えるかもしれません。

ノーベル賞には光があたる人と、影になる人がいます。今回に限らず、影になってしまった人たちの貢献も忘れてはなりません。

非常に精度が高く遺伝情報を書き換えるこの技術を使って、今後、新しいゲノム編集食品が次々と出てくる可能性があります。ただ、安全性に関しては十分な検証がなされる必要があります。問題はまだあります。この技術が医療に応用されたときです。親が望む特徴を持った赤ちゃん「デザイナーベビー」をつくる方向にこの技術が使われるおそれがあります。ここには優生学的な危険性をはらんでいます。
どんな優れた技術も両刃の剣であり、技術の切れ味がするどいほど、二つの側面が持つ利点とリスクのせめぎ合いが激しくなります。研究倫理や生命倫理という点でも、さらに議論が必要になります。

今回は2人の女性がノーベル化学賞を独占しました。生命科学の歴史を振り返ると、女性が非常に重要な発見をしてきたことを改めて思い知らされます。

例えば、男と女がどう遺伝的に決まるかということについて、一番最初に気がついたのはネッティ・マリア・スティーブンス氏という女性です。彼女はY染色体を発見しましたが、残念ながらノーベル賞をもらえませんでした。

DNAの二重らせん構造を発見したワトソン氏とクリック氏の影には、ロザリンド・フランクリン氏という女性科学者がいました。彼女は非常に重要な手がかりをつかんでいましたが、そのデータをワトソン氏らがいわば盗み見たことで、二重らせん構造が解明されたことはすでに明らかになっている事実です。フランクリン氏は若くして亡くなり、ノーベル賞に輝くことはありませんでした。

近年、ノーベル賞を受賞する女性は増えてきました。動く遺伝子を見つけたバーバラ・マクリントック氏(1983年医学生理学賞)、細胞の寿命や発がんにも関係しているDNAのテロメア構造を突き止めたエリザベス・ブラックバーン氏とキャロル・グライダー氏(2009年医学生理学賞)たちです。

それでも女性研究者への評価は十分とは言えず、スウェーデン王立科学アカープミーは17年、推薦される女性の数が十分でないとの懸念を示し、より多くの女性科学者を推薦してもらうよう依頼したと明かしています。自然科学3賞で、18年には物理学賞と化学賞で2人、19年は一人もいませんでした。

今年は物理学賞も含めて3人の女性科学者が顕彰されました。科学の進展において、女性の発見が果たした役割が評価されることは喜ばしいことです。後に続く人が次々に現れることを期待しています。
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