検察組織は果たして安倍政権の軍門に降ったのか——。
1月31日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。内閣はこの日、東京高検検事長の黒川弘務氏(62)の定年を延長する閣議決定をしたのだ。この極めて異例な「人事介入」は、親安倍派の黒川氏を次期検事総長にすることを事実上意味し、政権が検察を懐柔できるようにしたとの憶測も流れる。
黒川氏は東京都出身で、東京大法学部卒。1983年に検事任官し、若手有望株として薬害エイズ事件やリクルート事件などの捜査に関与した。さらに、法務官僚のホープのポストである秘書課付や刑事局付を経験した後、司法制度改革を担当するため、内閣官房にも出向した。その後、法務省の幹部としては、刑事局総務課長、秘書課長、官房長を歴任。大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を受けた検察改革でも大きな役割を果たし、2016年に法務省事務方トップの事務次官に就任した。
しかし、黒川氏には唯一無二のライバルがいた。現・名古屋高検検事長の林真琴氏(62)だ。愛知県出身で東京大法学部卒、同じく1983年任官の林氏もまた、法務・検察組織で若い頃から有望視され、黒川氏と同様、リクルート事件などに関与し、法務省では刑事局付や秘書課付を経験。在フランス日本大使館勤務などを経て、黒川氏の次に刑事局総務課長に就き、その後も人事課長、刑事局長など重要ポストを歴任してきた。
「政治色のないリーダー」として林氏を慕う若手も多かった
黒川氏と林氏は任官年が同じで、どちらも「司法修習35期」。学年でいうと林氏が1年若いが、同期でどちらが将来の検事総長になってもおかしくないと言われ、検察内では「35期問題」と呼ばれてきた。これまでのポストの経緯をみると、黒川氏の方が若干リードしてきたようにみえるが、検察内部では「最終的には林検事総長じゃないか」との見方も強かった。菅義偉・内閣官房長官など政権中枢に近い黒川氏に比べ、林氏は「政治色のないリーダー」として慕う若手も多いためだ。
そして、今回、その2人が雌雄を決する時が来た。どちらが検事総長になるのか。
それは、現検事総長の稲田伸夫氏(63)の決断にかかっていた。検事総長の定年は65歳であるため、稲田氏は2021年8月の65歳の誕生日まで総長を続けられる。一方で、検事総長以外の検察官の定年は63歳。稲田氏がこのまま総長を続ければ、黒川氏は2月8日の誕生日で63歳になり、東京高検検事長のまま、定年退職を迎えることになる。
「稲田氏は黒川氏の63歳の定年日より前にやめるつもりはない」
検察内部でこの意向が明らかになった時、誰もが「黒川検事総長の目はなくなった。とすると、稲田氏は、(7月に63歳の誕生日を迎える)林氏を後任とするつもりだ」とみた。つまり、「稲田氏は、林氏が63歳の誕生日を迎える前にやめる」という構想だ。
しかし、今回、世紀の大どんでん返しが起きた。内閣が「閣議決定」という形で、黒川氏の定年の半年延長を決めたのだ。発令は2月7日付で、黒川氏の定年は8月7日に延期された。この結果、ライバルの林氏が7月に先に定年を迎える見通しだ。
政府への忖度を期待できる黒川氏の総長就任を望んだ?
近年の検事総長は、おおむね2年で交代してきており、18年7月に検事総長になった稲田氏も、さすがに黒川氏の定年延長の日の前には後任に道を譲るとみられている。つまり、今回の閣議決定は黒川新総長の誕生を意味するといわれる由縁だ。
元より、検事総長を任命するのは内閣だ。しかし、これまで検事総長人事は前任の検事総長が決めることが慣例となってきており、今回の閣議決定はそれを妨げる格好になったといっていい。法的には、国家公務員法が「任命権者は、定年に達した職員が退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、定年退職日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる」としており、内閣はこの規定を根拠としたとみられる。
さらに、関係者によると「昨年末にカルロス・ゴーン被告が国外逃亡しており、東京高検検事長として捜査指揮に関与した黒川氏が引き続き、ゴーン事件の落とし前を付ける」との具体的な理屈もあるようだが(名古屋高検検事長の林氏はゴーン事件の捜査に関与していない)、「安倍政権が政府への忖度を期待できる黒川氏の総長就任を望んだ」ことが背景にあるとの分析もある。
「IR汚職事件も収束に向かうだろう」
今回の異例の人事に、法曹界では多くの派生した見立てが飛び交う。「政権に近い黒川氏が総長になれば、自民党が主な標的のIR汚職事件も収束に向かうだろう」「検察が事実上、安倍政権の支配下に入ったようなものだ」といった〝悪評〟もあるが、「黒川氏が政権を利用して検察組織のプレゼンスを高めるかもしれない」とその腕力に期待する向きもある。
しかし、気になるのは、法曹界の人事に対する内閣の関与の度合いがますます強まっていることだ。2017年、内閣が最高裁裁判官に法学者で弁護士の山口厚氏の就任を決めた閣議決定でも、法曹界では「政府提出法案に反対する日本弁護士連合会の推薦弁護士を認めず、弁護士と言っても事実上の『学者枠』の山口氏を選んだ。内閣が日弁連の推薦弁護士をそのまま採用してきたこれまでの慣習が破られ、最高裁裁判官の『弁護士枠』が1人分減らされた」との懲戒的な見方が広がった。
法曹界の独立、ひいては、検察組織の独立はどうなるのか。東京地検特捜部は今後、政権中枢や与党議員の疑惑をつかんでも捜査しにくくなるのか。あるいは、検察組織は法曹三者の中で存在感を強めるのか。このまま黒川氏が新検事総長になった場合、手腕と動向は大いに注目されよう。
ついでに いつも反安倍の
異例の黒川人事に激怒 稲田検事総長が放つ「逆襲の一手」|日刊ゲンダイDIGITAL
いつ“逆襲”するのか――。世間が新型肺炎の感染拡大に関心を寄せる中、「法の番人」と呼ばれる検察庁では今、稲田伸夫・検事総長(63)の動向に注目が集まっている。検察庁法で今月、定年を迎えるはずだった黒川弘務・東京高検検事長(63)が閣議決定で異例の定年延長となり、稲田総長が次期総長に起用を考えていたとされる林真琴・名古屋高検検事長(62)に代わって、黒川氏が次期総長に昇格する可能性が出てきたからだ。
官邸に近しいとされる黒川氏の異例人事は連日、国会質疑でも取り上げられ、森雅子法相は答弁で、定年延長の理由について「重大かつ複雑、困難な事件の捜査・公判に対応するため、黒川氏の指揮監督が不可欠だと判断した」と説明。菅義偉官房長官も13日の会見で、「首相官邸に近い黒川氏の人事が捜査や現場に悪影響を与えるのではないか」との質問に対し、「(人事は)検察庁の業務遂行上の必要性に基づいて、所管する法相から首相あてに閣議請議があって決定した」と反論したが、検察庁内ではこれらの説明を額面通り受け取る者は皆無だ。
「林さんはざっくばらんな性格で、記者との雑談にも気軽に応じてくれる。昨年末には『いよいよ東京(高検検事長、総長)ですね』などと記者から声を掛けられた際、本人も笑顔で答えていました。ところが、今回の黒川さんの定年延長が公表された時、林さんのコメントを得るために記者が集まったのですが、林さんは姿を見せなかった。これは相当、怒っているな、と思いましたね」(司法記者)
稲田総長にとってはメンツを潰されたのも同然で、このまま黙っていれば官邸の思惑通り、黒川総長が誕生することになる。そこで「何らかの手を必ず打ってくる」(前出の司法記者)とみられているのだ。
■官邸と手打ちするしか…
稲田総長が反撃する手段は今のところ、2通りある。1つは、総長就任から2年を迎える今夏の退官勧奨を拒否し、検察庁法に定められた65歳定年まで続投する方法だ。ただ、このやり方だと、林氏の総長就任もなくなる。そこでささやかれているのは、林氏が7月の定年を迎える前に稲田総長と黒川氏がそろって退官する――という方法だが、官邸人事で半年間の定年延長が決まった黒川氏を途中で辞めさせることはできるのか。
「官邸と手打ちするしかないでしょう。そのための切り札は検察側にある。今までスルーしてきた国会議員に対する告発状をバンバン受理して捜査を始めることも考えられますが、手っ取り早いのは、IR汚職事件で東京地検特捜部に収賄罪で逮捕、起訴され、保釈された衆院議員秋元司被告を使うことですよ。秋元被告は、特捜部の調べに対し、カジノ業者から賄賂をもらった国会議員の中に現職閣僚が含まれている、と明かしたと言われている。保釈後も落ち込んだ様子はみられず、『悪いのは俺じゃない』と言わんばかりの強気の態度です。立憲民主党などの野党が要求している証人喚問にも前向きというから、仮に検察が秋元被告に水面下で『知っていることをすべて明かせば罪を軽くしても構わない』と持ち掛ければ、ベラベラ話す可能性はある。現職閣僚に飛び火なんて展開になれば内閣は持たないでしょう」(法務省担当記者)
検察と官邸が今以上にウラで手を握るのは問題があるとはいえ、稲田総長の「次の一手」によって事態が大きく展開するのは間違いない。