バルトの二国における暴動とその顛末

松緒錦江
バルトの二国における暴動とその顛末

2009年1月の中旬から、バルト三国のうちのリトアニア、ラトビアで続けて政治的な暴動が起こったことはあまり日本では報道されなかった。しかし、昨年度からの米国発端の金融危機がきっかけとなった景気の急降下はヨーロッパでも比較的東側、元の共産主義圏でも大きな影響を受けたようだ

ソ連時代に無理やりロシア人を大量入植させた結果、独立後もロシアに戻らずに居残った人たちが、現地人から昔の恨みを晴らされているというのが実態

ロシア国内の労働組合の運営するサイトのニュースなどを見ていると、組合の中心的活動家は常に政府からマークされ、暴行を受けるなど直接的に弾圧を受けているようだ。しかし、最近は労働組合側もこれに屈せず、粘り強くロシア全土に組織を拡大して情報交換しながら活動を続けており、今回のバルトの二国での暴動にも敏感に反応している。

不思議な話だが、元共産主義国の親玉だったロシアの方が労働組合に自由がなく、弾圧されて声があげられない のに、バルトの国々の方が活動しやすいというのもいかがなものか。あれだけ、 「労働者よ団結せよ!」だとか「労働者=尊い存在」と刷り込み続けてきたソ連時代の嘘偽り が今更ながら、ただただ空しく思い出されるのであった
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