金日成は満州で拉致を繰り返し、ソ連はこのテロリストを「建国の父」に仕立て上げた



北朝鮮は小泉訪朝以降も、中朝国境や訪問してくる外国人を拉致しています。

この拉致事業を始めたのは「建国の父」の金日成で、1935年ごろには既に行っていました。


今も中国国境で拉致

北朝鮮による拉致といえば日本の行方不明者が有名ですが、小泉訪朝から公式には(?)やっていない事になっています。

だが北朝鮮は現在も外国人拉致を行っていて、金正日から金正恩に代替わりしても変わっていない。

拉致を最初に始めたのは戦前の1930年代と見られ、金日成は中国に潜伏してテロリストとして活動していました。

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2016年になって韓国では、中朝国境付近を訪問した韓国人2人が、北朝鮮に拉致された疑いが強まっています。

韓国外交部は5月17日、元脱北者2人が中国吉林省和龍市で、失踪または拉致されたと発表しました。

脱北者の多くは北に親族を残しており、連絡を取ろうとしたり、送金しようとするケースがあります。


中には再び北に潜入して家族を呼び寄せようとして捕まる人も、居るとみられます。

韓国では北朝鮮に拉致された人は「自分の意思で行ったスパイ」といいう見方を、政府が国民に植え付けようとしています。

家族が拉致された人は、「北のスパイ」のレッテルを貼られ、救済どころかバッシングの対象になっています。


拉致された韓国人の中には、洗脳や教育によってスパイになり、韓国に戻ってスパイ活動をした者も居るとされています。

北朝鮮にとって韓国人拉致は、韓国にスパイを送り込むための効果的な方法であり、辞める気はありません。

韓国側はより一層拉致被害者を疑い、家族ごと社会から排除しようとしています。



北に遊びに来た若者を拘束

2016年2月に、2004年に中国に旅行に出かけたアメリカ人が失踪した事件で、北朝鮮が拉致していたらしいのが判明しました。

中国側は「登山中に崖から落ちた」という説明をしていたが、家族が現地で確かめにところ、そんな事実はなかった。

中国公安は北朝鮮の求めに応じて、脱北者などを引き渡しているが、一緒に引き渡した可能性があります。


中国側には多くの朝鮮族が住んでいるので、北朝鮮の工作員も活動していて、危険地帯とされています。

最近では中国から北に旅行に来た外国人を、そのまま拘束するパターンが確認されています。

日本人の数人も自分の意思で旅行のつもりで訪朝し、そのまま拘束された人が居ると考えられています。


中国から訪問する人を拘束する理由は、北朝鮮に入国した記録が残らないからだと推測できます。

中国と北朝鮮を往復する飛行機は中国と北の航空会社だけなので、両国が黙っていれば訪朝記録は残りません。

北朝鮮入りはパスポートにも記録されず、専用の入国手帳を北が発行しています。


搭乗ゲートも他の路線とは別の専用の乗り場で、北行きの飛行機に乗った記録が残らないようにしています。

北は時おり、拘束した欧米人をテレビカメラの前に引っ張り出して、取り引きの道具に利用しています。

こうした拉致を始めたのは、北朝鮮の最初の書記長の金日成で、建国する前でした。



拉致は建国前からやっていた

金日成は1912年生まれで、父親と祖父はキリスト教徒で反日活動をしていました。

家族は満州に移住し、金日成は小学校を卒業し中学校にも通っていたから、当時としては恵まれていた。

なお戦前の中学校は現在の高校なので、金日成は中学を卒業して高校にも通っていた事になります。


親の影響で反日活動にのめり込み、過激派組織に入ったりして退学になり、抗日武装団というテログループのメンバーになった。

抗日活動とは要するに、日本人を襲って金を奪ったり、拉致して金品を要求する事で、現在のイスラム国と同じです。

金日成は襲撃や拉致がうまく、やがて抗日グループに知れ渡り、ソ連にも知られる存在になりました。


金日成ら抗日集団の規模は200人ほどで、「抗日戦争」を自称しているが、実際には公式や戦闘は一度もしませんでした。

日本軍と公安が取り締まりに本腰を入れると、あっという間に抗日武装団は壊滅し、終戦までソ連に逃げ込みました。

これが北朝鮮建国前史で、アメリカが韓国を建国すると、対抗上ソ連は北朝鮮を建国し、「飼い犬」の金日成を指導者にしました。