漢方は保険適用が認められながら、いまなお「民間療法に近い」「エビデンスに乏しいのでは」というネガティブなイメージをもつ人が少なくありません。
漢方の奥深さに魅了され、西洋医から漢方医に転身、現在は日本赤十字社医療センターで「漢方外来」を受けもつ永井良樹医師は「漢方は最先端の医療。世界は西洋一辺倒の医学から東西医学融合へと向かっている」と語ります。にもかかわらず、なぜ漢方が日本でメジャーにならないのか。そこには西洋医学中心の日本の医学界の構造的な問題があると永井医師は指摘します。
漢方は「日本独自」の医療漢方はもともとは中国から輸入されたものではありますが、日本で独自に発展したもので、現今中国の伝統医学いわゆる中医学とは一線を画します。イギリスのオックスフォード大学で漢方薬の作用メカニズムを西洋科学的手法で解析する研究なども行われるようになってきました。しかしながらまだまだ漢方は「民間療法に近い」「果たして効果があるのか」などネガティブな感想も多く聞かれます。それには、のちほどお話ししますが、明治政府の政策によって漢方が大打撃を受けたことが大きく関係しています。
東大病院が突然漢方外来を閉鎖
私は1993年から2015年までの22年間、東京大学附属病院総合内科の漢方外来の医師として多くの患者さんを診察してきました。外来の患者数は、東大病院で外来を受け持つ150名前後の内科医師の中でも、多いほうから5〜6番目、日本を代表する大学病院である東大病院の漢方外来は、西洋医学の治療ではなかなか治らない患者さんが望みを託す最後の砦となっていました。
しかし、2015年3月、当時の病院長と総合内科長から下記のような書面が、受診中の患者さん方に配られました。<東大病院総合内科で漢方医療を行なって参りました永井良樹医師が、任期満了のため、本年3月末日にて退職致します。また、今回、東大病院における総合内科「漢方外来」は休止することと致しました。
つきましては、漢方診療を続けてご希望される患者さんには、他院での漢方診療をお受けいただく様、お願い申し上げる次第です。漢方診療を行なっている医療機関のリストを同封させていただきました(略)>
この突然の書面に驚いた患者さんも多く、私のもとには病院への抗議や苦情が数多く寄せられ、実際に病院長に抗議に行った患者さんもいました。しかし、その甲斐もむなしく、東大病院は、私に対して一方的に「任期満了」を通告してきました。その理由を尋ねても「漢方外来を3月末をもって閉診するため」と回答しただけでした。
東大病院は漢方医を育てようとしなかった
東大病院は1998年に組織改編が行われ、内科については、これまで第一内科、第二内科とナンバー科制だったのが、神経内科、循環器内科、消化器内科など、臓器別の専攻分野体制になりました。しかしその際、東洋医学専攻は作られず、同じ漢方外来の医師でも私は消化器内科、他の先生は呼吸器内科などの所属となりました。専攻分野体制では、若い医師が東洋医学を専攻することができなくなるため、若い漢方医が育ちません。さらに東大には東洋医学を指導できる常勤の教官はひとりもいず、最近では学生への指導を他大に頼っている状態です。
このように日本を代表する東京大学医学部は、東洋医学を蔑ろにし、漢方医を育てようとしてこなかったのです。別の見方をすれば、東大医学部の数多くのポストすべてを西洋医学専攻のものが独占し、1ポストすら東洋医学専攻のものに与えようとしない集団的利己主義の現れとも考えられます。ですから私自身も、漢方を学び、志す後輩がいればバトンタッチすることも考えていましたが、バトンタッチをしたくてもできない状況です。任期満了となり、契約更新も拒絶され、東大病院の漢方外来は幕を閉じることになってしまったのです。
漢方医は民間レベルで生き残るしかなかった
漢方は、もともと古代の中国に発するものですが、日本に導入されたのは5〜6世紀頃。鎖国政策をとった江戸時代に大きく発展し、日本独自の漢方は高いレベルにまで達しました。しかし、明治時代になると、政府は、重くのしかかっていた不平等条約撤廃を実現するため、富国強兵、脱亜入欧の掛け声の下、西洋医学中心の新しい医療体系を作ろうとし、1874年に医制を制定、西洋7科に基づく医師国家試験制度を定め、医業を開業するには国家試験に合格しなければならないとしました。
当時、医師27000人ほどいるうち漢方医は約22000人、8割以上が漢方医でしたが、漢方を学ばなくても医師になることができるようになり漢方を知らない医師ばかりが誕生することになりました。そのため漢方医学は断絶の危機に瀕しましたが、一部の医師や薬剤師などにより民間レベルで生き続けてきたのです。再度、漢方が注目されるようになってきたのは昭和に入ってから。1961年に国民皆保険制度が実施され、1967年に漢方製剤4処方が保険収載、1976年に増補され42処方が収載されました。
1991年には東洋医学の研究団体である日本東洋医学会が日本医学会に加盟することを許可されました。多くの先輩達がそのために奔走し、3度目の申請でようやく許可されたのです。この出来事は東洋医学が日本の医学として認められたことを示す一大事でした。
医師国家試験に「漢方」は出題されない
2001年に医学・薬学教育のコアカリキュラムに「和漢薬を概説できる」と記述され、2017年には改正コアカリキュラムで「漢方医学の特徴や、主な和漢薬(漢方薬)の適応、薬理作用を概説できる」と増補されました。その間、2008年には各医療機関は「漢方」という言葉を使って、そこでの医療内容を標榜することができるようになりました。こうして見ると、漢方の評価は高まってきているようにも思えます。
しかし、実際のところは、医学教育の中に漢方医学が取り入れられたとはいっても、厚生労働省が任命する医師国家試験委員に漢方専門の方は任命されませんし、任命されない以上漢方の問題は国家試験に出題されません。そして、漢方の問題が国家試験に出題されない以上医学生はほとんど漢方を勉強しません。よって、薬剤師国家試験に漢方の問題が出題され、それに合格するために漢方を勉強した薬剤師に到底及ばない漢方の知識しかない医師ばかりが誕生するということになるのです。そのような医師が漢方薬を処方するのですから、危険なことこの上ありません。
世界は「東西医学融合」へ
今年、世界保健機構(WHO)は、国際疾病分類を約30年ぶりに改訂し、第11回改訂版(ICD-11)を公表しました。この中に伝統医学の項目が加えられたことにより、世界の医療は西洋医学一辺倒から東西医学融合へと大きく舵を切ることになりました。伝統医学が国際的に認められたことにより、漢方の地位は国際的に向上するでしょうし、現在まだわかっていない漢方薬の作用機序も世界的規模で検討されていくことでしょう。漢方の偉力が今後、ますます期待されることになりそうです。