二階俊博幹事長の「権力の源泉」 なぜ総理を呼び出せるほどの実力者になったか

これは またわかりやすい解説

二階俊博幹事長の「権力の源泉」 なぜ総理を呼び出せるほどの実力者になったか

 いまや自民党の“最高実力者”となった二階俊博・幹事長(81)。旅行代理店の全国組織・全国旅行業協会の会長を長年務める「観光業界のドン」としても知られ、菅義偉首相が独断で年末年始のGo Toトラベル全国一斉停止を表明すると、二階氏はその夜(12月14日)、芸能・スポーツ関係者らと開いた“ステーキ会食”に首相を呼びつけ、「二階さんの一声で総理が飛んできた」(二階派議員)という権勢ぶりを見せつけた。

 その政治権力はかつて「自民党のドン」と呼ばれた金丸信・元自民党副総裁に匹敵するとも言われる。だが、金丸氏が当時の最大派閥・経世会(竹下派)の圧倒的な数と力を背景にキングメーカーとなったのに対し、二階氏率いる志帥会(二階派。所属議員47人)は細田派(98人)、麻生派(55人)、竹下派(54人)に続く自民党第4派閥で、岸田派(47人)と並ぶ。往年の金丸氏のような「数の力」があるわけではない。

 それがなぜ、総理を呼びつけるほどの権力を握ることができたのか。

巧みな政界遊泳術

 二階氏の“成り上がり物語”を政治経歴から辿ってみよう。

 和歌山県御坊市出身で父・俊太郎は戦前からの和歌山県議、母・菊枝は医師だった。中央大学法学部政治学科を卒業して代議士秘書を務めた後、落選していた父の跡を継ぐ形で1975年の和歌山県議選で当選。県議を2期つとめた後、1983年総選挙に自民党(田中派の候補)から出馬して初当選した。いわゆる2世議員だ。

 田中派から竹下派と続く若手議員時代に運輸政務次官、自民党交通部会長を務めて運輸族議員の仲間入りをする。その後、一貫して運輸・観光行政に関わる原点となった。

 政界遊泳術は巧みだ。

 1993年、宮沢内閣不信任決議案を経て竹下派が分裂すると、小沢一郎氏に従って自民党を離党し、細川連立内閣で2度目の運輸政務次官に就任。このころには“影の運輸大臣”と呼ばれた。

 その後も新進党、自由党と小沢氏に従って側近の1人として頭角を現し、小渕内閣で自民党と自由党が連立すると、念願の運輸大臣として初入閣。この運輸大臣時代、二階氏は航空会社や大手旅行代理店の社長ら旅行業者2000人の大訪問団を率いて中国を訪問した。

 しかし、小沢氏が連立を離脱して自由党が分裂すると、政権にとどまって「保守党」(後に保守新党)結成に参加。小渕氏の急死後、続く森内閣の自公保連立政権でも運輸大臣に再任された。小泉内閣時代の2003年に自民党に復党する。

 約10年ぶりの自民党復帰──。二階氏が出世の糸口をつかんだのはこの小泉内閣時代だ。

 二階氏は保守新党から一緒に自民党に合流した議員と旧二階派(二階グループ、「新しい波」)を旗揚げして派閥領袖となり、出戻りながら小泉首相から選挙の実務を担当する自民党総務局長に抜擢されると経産大臣、自民党国対委員長とトントン拍子に出世していく。

野党幹部の孫の誕生日も覚えていた

 この頃の興味深いエピソードがある。

「二階さんは小泉さんから郵政民営化特別委員長や国対委員長をまかされただけあって、国会対策に非常に長けていた。野党幹部の孫の誕生日まで覚えていて、プレゼントを贈る。そうした野党パイプを使って対決法案の審議をうまく進めていった」(野党議員)

 第1次安倍内閣では党3役の総務会長(1回目)に就任、福田内閣と麻生内閣でも経産大臣を歴任して党実力者としてのし上がっていく。

 派閥の拡大にも熱心だ。

 二階氏は小泉郵政選挙(2005年)で大量に当選した小泉チルドレンのうち、選挙地盤が弱い比例代表の議員を取り込んで派閥を拡大し、一時は衆参20人近い勢力となった。

 しかし、2009年総選挙で自民党は大敗。最もダメージが大きかった旧二階派は二階氏を除く衆院議員全員が落選し、派閥が消滅してしまう。前代未聞の敗北だった。

 転んでもただでは起きないのがこの政治家の真骨頂だ。

 二階氏は残った参院議員2人と伊吹派(志帥会)に合流し、伊吹文明氏が衆院議長就任(2012年)に伴って派閥を離脱すると、自ら会長に就任して二階派に衣替えさせた。いわば、派閥を“乗っ取った”のである。それが現在の二階派だ。

 第2次安倍政権になってからは自民党は国政選挙で連戦連勝するが、二階派は選挙のたびに勢力を減らしながらも、無派閥の新人や他派の議員をスカウトして派閥を拡大してきた。

「二階さんは“数は力”の信奉者で、スネに傷を持つ議員でも来る者は拒まずの精神で受け入れる。派閥の議員の選挙応援には熱心だが、数多くの修羅場を経験してきた人だから、“落選したら補充すればいい”と割り切っているところがある」(二階派ベテラン議員)

 そのため、スキャンダル議員や変わり種の個性派議員が多く、自民党内では「二階派は猛獣も珍獣も受け入れる動物園」と揶揄されているが、二階氏は平気の平左なのだ。

観光業界以外にも強い影響力

 第2次安倍政権以降、二階氏は自民党内での力を飛躍的に伸ばしていく。

 2014年に2回目の自民党総務会長に就任すると、総務会長室に各企業や業界団体の陳情が列をなすようになった。

「政策の調整は本来なら政調会長の役目で、総務会長は業界の陳情などでつくられた多くの議員立法のうち、どの法案を国会で審議するかの優先順位を決める。しかし、党内で各業界の内情をよく知っていて、睨みがきき、利害調整ができるのはいまや二階さんしかいない。だから各業界の陳情は全部二階さんのところで仕切るようになった」

 背景には、自民党の世代交代が進み、長年、各業界を仕切っていた族議員の有力者が引退や落選でいなくなったことがある。

 総務会長時代の二階氏は、「中国強硬派」で知られた当時の安倍首相が戦後70年談話を出す前に自民党議員や旅行業界の関係者ら約3000人の大訪問団を組んで中国を訪問(2015年5月)、習近平・国家主席に首相親書を手渡して驚かせた。この年からインバウンドで中国からの訪日観光客が爆発的に増えていく。「観光業界のドン」の面目躍如ということになる。

 2016年に幹事長に就任すると、いよいよ権限が集中した。いまや二階氏が強い影響力を持っている業界は観光にはとどまらない。

「国土強靭化」を掲げて震災復興や全国防災事業を推進した「建設族のドン」でもあり、野中広務・元自民党幹事長から「全国土地改良事業団体連合会」会長を引き継いで「農業土木のドン」として君臨、建設業界、農業土木業界という自民党の票田をガッチリ握っている。所属議員数では党内第4派閥にすぎない二階派が、政治資金の集金力(2019年)ではトップに立っていることも、二階氏の各業界への影響力の強さの反映だろう。

 他の大派閥の領袖とは、存在感が違う。

 そんな二階氏も、安倍政権時代は、「一強」と呼ばれた安倍晋三・前首相に“へりくだって”みせていた。

 幹事長になると安倍氏の「総裁3選」をいち早くぶち上げ、党内の異論を封じ込めて党則を強引に改正して、「絶対の支持」を表明した。さらに安倍氏が退陣表明する前は「総裁4選」まで口にしていた。

 しかし、菅首相とは力関係が逆転した。自民党ベテラン議員が語る。

「二階さんにとって安倍さんは自分を幹事長にしてくれた恩人。安倍内閣は最大派閥の細田派、麻生派、岸田派の主流3派にしっかり支えられていたから政権基盤が盤石で、二階さんが逆らえばすぐ吹き飛ばされてしまうくらい力の差があった。

 しかし、現在の菅首相にとって二階さんは総理にしてくれた恩人。自前の派閥を持たない菅さんは党内基盤が弱く、二階派の支えがなければ政権維持が危うくなる。力関係からいっても菅さんは後見人の二階さんに逆らえない」

 だから二階氏は安倍前首相を宴席に呼びつけたことはないが、菅首相には“ちょっと顔を出さないか”と言えるのである。

◆文/武冨薫(ジャーナリスト)

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