チッソに責任なし

武田邦彦 
水俣病考 1 ーチッソに責任なし

金属水銀が・・・脳の障害を起こすことは、
水俣病が発症するまで、日本人は誰も知らなかった

チッソは新しい高性能の工場でアセトアルデヒドという重要原料を作り、戦争で敗れた日本に物資を供給しようとしていた・・・当時、金属触媒などを使用した新しい工業が次々と誕生してきた頃で、現在の知識から見ると危険と思われる物質が世界中で歓迎され、多く使用されていた。
 従って、まず、ここで「チッソが水銀を使用した工業プロセスを選択したことは正しかった」と結論したい。チッソが世界でもっとも優れた技術者集団であり、チッソの経営陣が真に社会的な貢献をしようとしていたとしても、水銀のプロセスを選択しただろうからである

人間の活動による廃棄物を大気、あるいは海などに放出した場合、それが環境を汚染したり、人体や生物に影響を及ぼすと考えられるようになったのは、いつ頃からであろうか?
・・・「いらないものはそこら辺に捨てる」という原則は変わらなかった。レイチェル・カーソンが1962年に出版した「沈黙の春」が特筆すべきものである理由は、この出版から後、人間は「いらないものを川に流してはいけない」ということを知ったのである。
これが今から40年前の事だったと考えると隔世の感がある。

 以上から判るように、チッソが工場ででる水銀を「垂れ流し」ていたのは当然である。当時、どの工場も廃棄物を垂れ流していたし、それを認めていたのは国民である。自分が認めていて認めたことをしている人を非難するのはフェアーではない。さらに、水銀が毒物と知って垂れ流していても、それでも非難できない。むしろ、当時は「毒物だから工場内で処理ができないから、廃液として垂れ流すのだ。」というケースが多かったからである
・・・人間が使用する物質そのものの量が少なく、自然はそれを浄化する能力があった。
 従って、チッソが水銀を使ったこと、それを水俣湾に流したこと、そして「垂れ流した」こと、はいずれもチッソの責任ではない。

特に当時、戦争に負けて少しでも材料が欲しかった。チッソの工場で作られた原料を用いてプラスチックができ、それで医療用のカテーテルやパイプが作られていた。そのカテーテルで命が救われた人は多い。その時代、その時代にはある目的があって製品が製造される。すでにその恩恵を受け、さらに違うものが開発された後に、恩を忘れて論じるのは将来の改善にはならないご都合主義である。

・・「チッソには結果責任はない」ことを証明したい。というよりチッソに結果責任を認めさせても、社会的な改善にならない 

チッソに関する裁判の判断は・・・あまりにばかげた判決だからだ。「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる」行為について経済性を度外視して行動している人は、この日本に数えるほどもいないだろう。それでも四日市公害で非難され弱り切った企業に対しては、病人にむち打つがごとき判決も許されるのである。酷い!

自動車ばかりではない。この社会で「危険のあり得ることを知り得て」行動したり、生産、消費をしているのが常態である。社会の常態を採用して罰せられるのは不条理である。

裁判官は、「自分が使っているほとんどのものが、「危険と判っているもの」が「経済の範囲内で製造されていて」、そのお陰で生活をしている」という関係を理解出来ないらしい。裁判官は・・・
恵まれていて自分が生きていくのに必要なものが空から降ってくると錯覚しているのだろう。

人間はほぼ「知識がない」という状態にある。この水俣病もそうであって、「水銀だから危険だ」というのは今でも明確ではない
つまり、現在の学問はなにも判らない状態で利用できるという理由で使っている

水銀のプロセスを研究した人、工場を建設した人、廃棄物系を運転した人、認可した人、お金を貸した銀行・・・みんなチッソと一緒に無知で責任がある。つまり戦後のあの時期にチッソが水銀をつかった工場を運転し、廃液を流したのは国民的合意だったのである。

 水俣でなにも起らなかった操業20周年目の1951年に「危険と思われるから操業を停止すべきだ」という訴訟が起ったら、裁判所はどのように判断しただろうか?もちろん荒唐無稽な訴えとして「危険性もなく、被害もないから門前払い」という判断であることは明白である。
 事故が起らない前は門前払い、事故が起れば「判っていたじゃないか!」という理屈は時々、裁判では見られるが、罪のない人を罰して社会全体の安全に寄与するという思想である

真の敵は「活動家自身」であり、「国民や市民、裁判官」そのものであり、そして「私」である。事件が起るまでチッソのプロセスを支持し、その製品で利得を得、欠点が判ると「私は何も関係ない」という態度は誠実ではない。だから、現在でも新製品に対してその利得は得ていても、真剣にはその欠点を調べようとしない社会体制になったのである

マスコミも事件が起るまでは「新鋭工場」「チッソで栄える水俣」を報道していたのである。

水俣病の原因がチッソの水銀であると判ってきた1959年に、不知火海沿岸の漁民が排水の停止を求めてチッソに乱入した。その時、市民の方が「チッソの工場の排水を停止するな!」と市長に迫った。町の繁栄、漁民に対する差別的感情などが入り交じってこのような行動を市民がとる。「市民」という言葉には「正義の味方」という響きがあるが、それが「エセ正義」であることは多い

政府を中心とした国民も、またチッソが作り出す製品を使って生活をしてきたのだ。「我々もまた、悪かった。知らないとはいえ、済まないことをした。許認可権を持っている人間としては、知らないでは済まないし、また失敗も認めなければならないだろう。被害を受けた住民の方には皆さんの同意を得て、税金で十分な補償をしたい。」

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