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生む生まないは女の自由?

女性は子供を生む機械 発言に対する 一斉批難
朝の テレビで 民主党の K女史 
生む生まないは女の自由なのに・・・・
とか 言った様に 思う
(私の 記憶は あてにならないので 違っていたら ごめんなさい)
本当に そう言っていたとすると これは 問題です
やや 長いですが お読みください ↓

教育基本法について  曾野 綾子

・・・ 子供だけではありません。社会は多くの嘘を、決して正視しようとはしませんでした。その幾つかの例 をあげましょう。「人の人間の命は地球よりも重い」と言う言葉は非常にもてはやされましたが、それ は全く事実に反したものです。私たちは誰もが、1人の死者も出さないようにあらゆる部門で努力してい ます。しかし9人の命を救うために1人の命を犠牲にしなければならない状況がしばしば起こることはよ くあるのです。ですから1人の命は9人より軽いと見るのが正確でしょう。だからと言って、人間の生死 を数で割り切れるものではありません。私が生涯携わって来た文学もまさにその点を衝くことを使命とし てきました。
 一方そう言っておきながら、一部の女性たちは「生む生まないは女の自由よ」と言い、その言葉もかな りもてはやされました。それは避妊を認めよということだけではなく、中絶の自由をも認めよということ でありました。もし「1人の人間の命は地球より重い」なら胎児の命も同じでしょう。妊娠22週目位ま でならさまざまな理由をつけて中絶も合法的にできる、というのは、欲しくない子供の命を中絶するの は、時期さえ誤らなければ殺人にならない ということです。その期間をほんの20週間ほど過ぎて出産 し、殺して遺体をコインロッカーに放置すると、殺人に問われる。犯罪者になる。どうしてそうなのか、 ハイティーンにも、私にも理解できない問題です。たいていの胎児の生命は、6、7週まで育って中絶し なければ、90パーセントまではすくすくと育ち、確実に一つの人生を味わうことが可能なのですから。

 ここには論理の矛盾が、公然と放置されています。私をも含め何千万という人がこの論理を見聞きしま したが、おかしいとも非人道そのものだとも言わず、それを是正する運動を起こさなかったのは、恐ろし いことです。

 何であろうと筋を通さねば、教育などできるわけはありません。生命を絶てば、それは殺人だというこ とは明瞭です。しかし私は中絶しなければならなくなった人を非難しているのではありません。小説家で すから、むしろ子供をあきらめねばならなかった多くの人たちのそれぞれの理由を想像し、深く共感し、 共に悲しみ、結婚はできなくても一人の女性が子供を生んで育てることのできる制度と人間的な状況とを 作らねばならない、としみじみ思いました。しかしそれと「女の自由」を楯に、中絶するのは何でもない こと、むしろ進歩的な発想だというのは違います。理由は簡単です。性行為なしに子供は生まれないので すから。(マリアがイエスを処女懐胎した、という話以外には……)

 むしろ人間は、誰でもたやすく殺人を犯す可能性を持つのだ、ということを自覚することが人間になる ことでしょう。合法的な中絶という制度を作って、自分はあくまで平和的で進歩的な人間であり、決して 人を殺す側には廻らないのだ、と簡単に思えることの虚偽性の方がはるかに恐ろしい結果を生む と思います・・・・

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