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「愛子様」女系天皇論者に問う5つのこと
倉山満
「愛子様」女系天皇論者に問う5つのこと
悪夢を想像してほしい。 二○××年、皇室の後継者が絶えるのが確実となった。世界の覇権はアメリカと中国が争い、すべての他の国は両国のご機嫌を取らざるをえなかった。小国日本も例外ではない。こうした状況の中、日本政府と国民の多数は××内親王の婿に中国共産党幹部の子息を迎えることとした。やがて婿殿は天皇に即位し、皇位はその子孫に代々受け継がれていった。
なお、他に後継者候補がいたにもかかわらず、その男子は退けられ、あえて中国共産党の幹部の子息を迎えたのだった。(小著『天皇がいるから日本は一番幸せな国なのです』より)
さて、これを防ぐ方法は、あるのか。仮に政府が言い出し、国民の多数が支持し、国会が決定したとき、無い。ただし、一つだけ方法がある。先例を盾に、国会での可決を防ぐことだ。あるいは政府に再考を強要することだ。何より、国民が「これまでの伝統を守るべきである」と団結すれば、皇室は守れる。先例こそ皇室を守る最強の武器なのである
蘇我入鹿、弓削道鏡、藤原基経、平清盛、足利義満、徳川秀忠……我が国の長い歴史では、皇室の伝統を歪めようとした者、あまつさえ乗っ取りを仕掛けた者もいる。だが、そのすべてが阻止された。一つには現実の力によって防いだ。もう一つには、いかなる権力者も先例の壁を乗り越えられなかったからである。
皇室を凌駕する権力者など数多いた。むしろ、暗殺された蘇我入鹿のように物理的に排除された者の方が少ない。皇室の奥義は、先例を盾にして、絶対に踏み込めない領域を守ることだ。その領域とは、世俗の男を皇室に入れないことだ。
歴史上、北畠親房のように准皇族になった人物は何人もいるし、豊臣秀吉のように歴代関白は「殿下」と呼ばれた。だが、世俗の男には一人として皇族になった者はいないし、誰一人「陛下」と呼ばれた者はいない。先例が無いので許されなかった。准皇族と本物の皇族、殿下と陛下の間には、絶対に超えられない壁がある。先例の壁である。皇室における先例とは掟のことなのだ。
皇室とは、先例が吉、新儀は不吉とする世界である。ただし、その後に定着して先例となる事例もある。たとえば民間人皇后だ。奈良時代に藤原光明子を新儀として、その後の光明皇后の振る舞いがあまりにも立派だったので、先例として定着した。だが、長屋王の変によって血塗られた新儀だった。新儀は無理やり行うものではない。
「女系論」を自称する人々は、皇室の伝統を破壊する単なる「雑系論」でしかないと理解しているだろうか
もしそれが許されるなら、弓削道鏡は称徳天皇と結婚して、その子を天皇にすればよかった。そんな横紙破りが許されるなら、藤原氏は何のために摂関政治などという迂遠な方法を何百年も続けたのか。平清盛や徳川秀忠とて、娘を天皇の嫁に送り込む以上の方法は採れなかった。繰り返すが、皇室には先例という掟があるからだ。
足利義満は皇位簒奪に肉薄した人物である。その証拠に、死後に「法皇」の尊号を贈られている。生前、30年かけて先例の隙間を突き、既成事実を積み上げ、あと一歩まで肉薄したところで急死した。武力、財力、知力を兼ね備え、空前の超権力を手にしていた義満さえ、先例の壁を突き崩すのは至難であり、最終的に挫折したのである。
もし「皇族の女子と結婚して、その子を天皇にしてよい」などが許されるなら、義満に限らず、歴代権力者は誰もがやっていただろう。しかし、掟があるので許されなかった。 ところが、その絶対に守らなければならない掟を、いとも簡単に捨て去ろうとする者がいる。平気で「先例などド~でもいい」などと言ってのける者がいる。その人たちの主張は俗に「女系論」と呼ばれる。だが実は、中身は違う。
不敬を承知であえて名前を出す。愛子様(敬宮殿下)が、女帝となり、平民の男と結婚され、その子息が天皇になるとする。その場合、後継者が女子でなければ「女系」にならないのだが、それを「女系論」を自称する人たちは理解しているのだろうか。男子でも女子でも良いとするのは「雑系」にすぎない。
皇室はこれまで一度の例外もなく男系継承を続けてきた。原則として男系男子、例外として女帝を認めてきた。この先例を変えて、今後は原則として女系女子、例外として女系男子による皇位継承にしなければ、皇室の伝統を破壊する単なる「雑系」でしかない。いわゆる「女系論」は女系でもなんでもないのだ。
この人たちは自称する名前からして間違っているのだが、当然ながら中身も間違っている。主張が論理的ではない。
しばしば、「自称女系論者」は、「男系の伝統に固執するのは、悠仁親王殿下に御負担がかかりすぎる。そもそも、奥方になってくれる女性が現れるのか。出産のプレッシャーがすさまじくなる」と主張する。ならば、「愛子天皇」が実現しても同じではないか。むしろ、「愛子天皇」ならば、天皇の御公務をしながら、出産のプレッシャーと戦わねばならない。いわゆる「女帝論」「女系論」で最も迷惑するのは、敬宮殿下に他ならないではないか。
そんなに出産のプレッシャーが嫌なら、血縁による皇位継承などやめてしまって、赤の他人と養子縁組をするしかないではないか? よって、俗流の「女系論」の理屈は論理破綻しているのである。
女系と称する雑系など、単に皇室の伝統を破壊する強弁にすぎない。本来ならば「先例が無い」の一言で終了なのだが、よくわかっていないらしい。
では、五つ問う。
第一に、外国人の君主、ハーフの君主を受け入れても構わないのか?
第二に、平民の君主を受け入れても構わないのか?
第三に、女帝に結婚の自由を認めて良いのか?
第四に、一時の多数決で何をやっても良いのか?
第五に、以上四つを先例以外の何で否定するのか?
最近、イギリス王室で不祥事が起きた。我々も他山の石とすべきであろう。
倉山満
憲政史研究家 ’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』など著書多数。最新著書に『13歳からの「くにまもり」』
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