韓民族こそ歴史の加害者

書評『韓民族こそ歴史の加害者である』 宮崎正広

事大主義、裏切り、告げ口外交。酷薄な身内の勢力争い、残酷な処刑、そして壮大な裏切りの数々
なにも、これは戦後の韓国が日本に対してなしてきた「歴史の業績」ではない。太古の昔から、朝鮮半島は周辺諸国に、おなじことを繰り返してきた。数千年にわたって民族に染みこんだDNAなのである

東アジアの歴史の中で、周辺の国々を恒にトラブルと紛争に巻き込み、多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族なのである。時に自らが侵略者となった、他国に大きな被害を与えたのも半島国家の真実である

石平氏は、まず「白村江」の闘いの時代背景を克明に追求し、助けをもとめにきた百済は、二枚舌、三毎舌を駆使したあげくに、日本の高僧と、当時日本に人質 としてきていた豊章王子との縁戚関係を利用して、ついに中大兄皇子は王子を百済に送還するとともに多数の援軍を送った。しかし日本は敗北し、逃げ帰ってく るのだが、こともあろうに裏切ったのが、日本に援軍を求めてきた王子だった。

日本の時の執権、北条時宗は弱冠二十代の指導者だったが、フビライの遣いで日本にやってきた朝鮮人使者の口上を聞きながら、そこに大嘘、矛盾をたちまちにして捉えた。
時宗は、太宰府を中心に当時博多に多くいた南宋の逃亡者、亡命者から広く情報を集め、じつは元の皇帝の動きと、半島の反応、華南へ落ち延びた南宋の人々の認識の齟齬、情報の乖離を分析するインテリジャンスがあった。

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