西洋民主主義はペストによって生まれた

なるほど 面白い

トトメス5世

西洋民主主義はペストによって生まれた

ペストで人口が半分に減り労働者の地位が向上し、労働者の権利という概念が生まれた

民主化しないと生き残れなかった

欧米いわゆる西洋諸国は民主的で、ほかの国々は民主的ではないと言われている。
ではその民主主義はいつ、どのように誕生したかは諸説あって統一されていません。ある人は古代ギリシャで民主主義が生まれ、西洋諸国はその子孫だから民主的なのだと説明している。

だがギリシャ文明の子孫だったローマでは皇帝ネロのように、今日の北朝鮮のほうがマシなほど酷い時代もあった。西欧諸国がはっきりと民主主義を目指し始めるのは西暦1300年以降で、1600年代以降には他の世界と違った民主世界に進んでいた。
その頃に起きていたのがペストなどの大流行で、人口の過半数がなくなった国もあった。

例えて言えば今の日本で突然原因不明の病気が流行し、6500万人がなくなったとしたら、国が滅びるほどの大変動が起きるでしょう。
1300年代からユーラシア大陸各地で伝染病が大流行するが、原因はこの頃大陸を統一したモンゴル帝国だと言われている。帝国の版図は朝鮮からインド、欧州まで接していて、しかもモンゴル人は不潔だったため伝染病を撒き散らした。

ペストを欧州に運んできたのもモンゴル軍で、モンゴル軍との戦いよりもペストに破れた。さて人口が半分になった欧州はさぞ経済的に困窮したかと思いきや、生き残った人達は大金持ちになりました。

人口が減っても資産は減らないので、生き残った人は土地やお金や家畜などをより多く相続し、繁栄の時代を迎えます。
人口が半減した世界では機械が必要になり、ルネサンスから産業革命に至る

理念や理想で民主化は起きない
人口が少ないので機械化が始まり、少ない人数でより多く生産するために、社会活動の効率化が起こりました。
例えば今まで10人居た農場の労働者が5人しかいなくなり、地主は労働者に2倍の賃金を支払うようになりました。これが「労働市場」「雇用市場」の始まりで、労働者=市民の権利が強くなりました。
欧州諸国は地続きなので、労働者は気に入らなければ歩いて隣の国に移動し、より良い条件の農場で働きました王や地主は労働者自身に決定権を与えたり、労働条件を改善したり、労働者と条件を話し合う必要が生じました。
労働者の代表である議員で身分制議会をつくり、王や地主と交渉するようになったのは、こうした理由からでした。
このように労働者の不満を緩和しなければ、労働者が出て行ってしまうからであり、好きでやっていた訳ではない。

議会政治を始めてみたら今までの封建制度より遥かに経済が発展し、大航海時代からやがて産業革命が起きました。社会が効率化され経済が発展したので、より多くの需要が発生し、物欲を満たすために世界に飛び出しました。

西洋世界は巨大化した物欲を満たすために植民地をつくり略奪をはじめ、世界は暗黒時代に突入します。やがて植民地アメリカは移住した欧州人が自前の民主国家をつくり、欧州を超える経済成長を実現しました。このアメリカの民主主義も最初は労働者不足からであり、その理由はコロンブスらが北米原住民を滅ぼしたからでした。

南米では先住民を生かしておいて強制労働させたのに対し、北米では3000万人から5000万人の先住民を「利用価値なし」として滅ぼしました労働者が不足したのでアフリカから強制移住させ、それでも労働者が足りないので、ここで民主化が起こりました。
西欧諸国と同じく、労働条件が悪ければ労働者は歩いて隣りの農場に移動し、もっと良い条件で働きました。
西欧でも北米でも民主主義が始まったきっかけは極端な労働者不足であり、高尚な理念とかは関係ありません

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