話題提供します 真偽の詮索はご自分でという 無責任サイト
(旧 これは 見とこ知っとこ メモ)
あとはおまかせ
エルトゥールル号事件?
朝日新聞
120年前に沈没のトルコ軍艦調査開始 和歌山県沖
120年前に沈没のトルコ軍艦調査開始 和歌山県沖
2007年01月10日03時01分
約120年前に和歌山県串本町沖で沈没したオスマントルコ時代の木造軍艦「エルトゥールル号」の調査が9日、始まった。調査主体は米国の民間研究機関「海洋考古学研究所」で、専門家による本格的な調査は初めて。日本の計測機器メーカー社員も加わり、トルコとスペインを含む4カ国の約20人が、ソナーやダイバーの目視による調査を25日まで行う。遺品の引き揚げなどは数年後になる見込み。
エ号は1890年にオスマントルコの親善使節として日本を訪れたが、帰路で暴風雨に巻き込まれ、同町大島付近で座礁。500人以上の犠牲者を出した。
9日、大島の沖合約150メートルに本社カメラマンが潜ったところ、水深11メートルの岩の陰に茶褐色の鍋=写真=があった。円筒形で直径60センチ余り。付近の岩の下やすき間には、皿の破片と思われるものや、さびついた金属片なども落ちていた。 同研究所は引き揚げた遺品の一部を復元し、日本とトルコ両国での展示をめざす。
以上 全文引用 (都合のわるいことは密かに改変するそうですから)
産経新聞
トルコ友好の象徴 和歌山沖の沈没艦から遺品引き揚げへ
和歌山県串本町沖で明治23年(1890年)、沈没したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遺品引き揚げへ向け、トルコの民間機関「トルコ海底考古学研究所」が8日、海底調査を始めた。
沈没事故は乗組員587人が死亡したが、地元住民が命懸けで69人を救助。帰国がかない、日本とトルコの友好につながった。
同研究所のトゥファン・トゥランル所長は同日、町役場で記者会見。「沈没したときの悲劇の記憶と、助けた日本人の心をトルコへ持ち帰りたい」と話した。
・・・以下省略
ほかの新聞も 大半は 地元住民が命懸けで・・・は 書いているようです
朝日は よくよく 昔の日本人のいいことは 知らせないと いうのが 社の一貫した 方針のようです
この事件については 文字通り 5万も 関連記事あるんですね たまたま見たサイト いいですね ↓
エルトゥールル号事件
駐日トルコ大使
「当時日本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ,遭難現場付近の岬と地中海に面する トルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され,私も幼いころに学校で学んだ。
子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事だ。」
さらに 詳しくは ↓
日本・トルコの友好関係 に多数 紹介
そのなかに
日本・トルコ関係史に無知な朝日
こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊 に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215 人」という朗報が載った。
何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出 してくれたのである。 まさに間一髪であった。掲載された写真には無事脱出できた子 供たちを含む邦人家族の喜びの顔が写っている。
さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を 冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対 して朝日新聞の記事はこうである。
すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化している こと」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いてお しまいなのである。
自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには 歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知ら ないだけである。 無知だけならまだしも、金目当ての行為であったかのように書 くとは冒涜もはなはだしい。トルコは長いあいだ日本に対する親 愛の情を育ててきた国である。
朝日新聞=スジガネいりの反日新聞 昔も今も 変わらないんですね
約120年前に和歌山県串本町沖で沈没したオスマントルコ時代の木造軍艦「エルトゥールル号」の調査が9日、始まった。調査主体は米国の民間研究機関「海洋考古学研究所」で、専門家による本格的な調査は初めて。日本の計測機器メーカー社員も加わり、トルコとスペインを含む4カ国の約20人が、ソナーやダイバーの目視による調査を25日まで行う。遺品の引き揚げなどは数年後になる見込み。
エ号は1890年にオスマントルコの親善使節として日本を訪れたが、帰路で暴風雨に巻き込まれ、同町大島付近で座礁。500人以上の犠牲者を出した。
9日、大島の沖合約150メートルに本社カメラマンが潜ったところ、水深11メートルの岩の陰に茶褐色の鍋=写真=があった。円筒形で直径60センチ余り。付近の岩の下やすき間には、皿の破片と思われるものや、さびついた金属片なども落ちていた。 同研究所は引き揚げた遺品の一部を復元し、日本とトルコ両国での展示をめざす。
以上 全文引用 (都合のわるいことは密かに改変するそうですから)
産経新聞
トルコ友好の象徴 和歌山沖の沈没艦から遺品引き揚げへ
和歌山県串本町沖で明治23年(1890年)、沈没したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遺品引き揚げへ向け、トルコの民間機関「トルコ海底考古学研究所」が8日、海底調査を始めた。
沈没事故は乗組員587人が死亡したが、地元住民が命懸けで69人を救助。帰国がかない、日本とトルコの友好につながった。
同研究所のトゥファン・トゥランル所長は同日、町役場で記者会見。「沈没したときの悲劇の記憶と、助けた日本人の心をトルコへ持ち帰りたい」と話した。
・・・以下省略
ほかの新聞も 大半は 地元住民が命懸けで・・・は 書いているようです
朝日は よくよく 昔の日本人のいいことは 知らせないと いうのが 社の一貫した 方針のようです
この事件については 文字通り 5万も 関連記事あるんですね たまたま見たサイト いいですね ↓
エルトゥールル号事件
駐日トルコ大使
「当時日本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ,遭難現場付近の岬と地中海に面する トルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され,私も幼いころに学校で学んだ。
子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事だ。」
さらに 詳しくは ↓
日本・トルコの友好関係 に多数 紹介
そのなかに
日本・トルコ関係史に無知な朝日
こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊 に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215 人」という朗報が載った。
何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出 してくれたのである。 まさに間一髪であった。掲載された写真には無事脱出できた子 供たちを含む邦人家族の喜びの顔が写っている。
さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を 冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対 して朝日新聞の記事はこうである。
すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化している こと」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いてお しまいなのである。
自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには 歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知ら ないだけである。 無知だけならまだしも、金目当ての行為であったかのように書 くとは冒涜もはなはだしい。トルコは長いあいだ日本に対する親 愛の情を育ててきた国である。
朝日新聞=スジガネいりの反日新聞 昔も今も 変わらないんですね
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 強い!インド... | シナ 人権の... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |