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高杉晋作は下関で芸者をあげて一夜に千両使った

宮崎正弘
(読者の声2)・・・

(宮崎正弘のコメント)高杉晋作は毀誉褒貶はげしい人ですが、すくなくとも尊皇の志がありました。菅直人さんは市民運動出身の左翼ですが、国歌・君が代を「歌いたくない」と言った人で、天皇在位二十年式典でも壇上で寝ていた(だから「ルーピー」〔鳩山〕から「スリーピー」(菅)とからかわれるのですが)、そういう意味からしてもおこがましいと思います。
 ところで。
 畏友・中村彰彦氏が奇兵隊と高杉晋作に関して下記のような面白いエピソードを披露しています〔『週刊現代』7月17/24日号の岩見隆夫氏との対談で〕。
 第一に幕末長州の軍隊は「奇兵隊」ばかりではなく『鴻城隊』「遊撃隊」など非正規軍があった。『長州諸隊』というが、そのなかで、「一番たちの悪いのが奇兵隊だった
 第二に農民、町民を平等に採用したという教科書の記述は不正確であり、町人には町人の合い印をつけて差別していた。隊員の給与は中間搾取されていた。長州の『金権体質』は、ここから始まった
 第三に長州藩は密貿易でさかえ表面36万石に対して実質100万石前後あり、軍資金が豊か。物資をどこへ動かすかを知っておりリアリストが輩出したのも当然。密貿易の金庫からカネを引き出して高杉は下関で芸者をあげて一夜に千両使ったことも数回に及ぶ。らんちき騒ぎの豪快さは桂小五郎にも共通する。京都で会津が嫌われたのはカネの使い方がみみっちいからだったとか。
 第四に長州人は酷薄なタイプが多い(そう、菅も)。
 第五に戊申から函館五稜郭へ攻め上るまでに奇兵隊は増殖し続け最後は2529人にふくれあがっていた。山口政庁は全員を食わせられないので馘首すると、半分が逃げ出し、なんと山口城に銃を向けて反撃、使った弾薬は日に七万発。五稜郭総攻撃と同じ。結局、藩へ反抗した者らは斬首89,切腹9人を含めて221名が処罰をされている。逃げ出した中には瀬戸内海の無人島へ逃避行し、明治初期まで銃を振りかざしての海賊行為を重ねた。
 とまあ、こういう真実も知っておくべきでしょうねぇ。誰か『奇兵隊始末記』も書くべきでは? 浅田次郎さん、やるかなぁ。
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