本居宣長:日本の「元号」わが国古来の神道にそぐわない まことに残念

なるほど 国学とは こういうこと なんですね

橋爪大三郎の「社会学の窓から」

平成の終わりに考える…日本の「元号」とはなんだったのか

明治政府が「元号」にこだわったワケ

そもそも西暦とはどんな暦?

キリスト教の西暦に対抗する日本の感情

皇紀とは、神武天皇の即位を元年とする、日本独自の年号である。日本書紀に神武天皇は、甲寅の年に即位したと書いてある。江戸時代の学者渋川春海は、これを手がかりに、日本書紀のあちこちの記述をつなぎ合わせ、即位は紀元前六六○年にあたるはずだ、と推計した。明治政府はこれをそのまま採用して、皇紀を布告したのである。

自分の国独自の、年号を持ちたい。キリスト教の西暦に対抗する、ナショナリズムの心情が表れている。

皇紀は最初、明治の年号のかげに隠れて目立たなかったが、やがて陸海軍が、皇軍(天皇の軍隊)であると称し、皇紀を強調し始めた。たとえばゼロ戦は、皇紀二六○○年(昭和一五年)開発の戦闘機、という意味である(末尾のゼロをとっている)。皇紀二六○○年は、国中で盛大に祝われた。

神道国家だった日本が、神道独自の暦があったほうがいいと考えたのは、理解できる。だが、西暦(太陽暦)に乗っかって、元年だけを六六○年昔にずらすのでは、中途半端である。イスラム暦と比べてみるとよい。

イスラム暦は、ムハンマドがマッカからマディナに移った聖遷(ヒジュラ)を元年とする。西暦六二二年にあたる。しかし、イスラム暦は陰暦で、しかも閏月を挟まないので、一年はおよそ三五四日になる。

空を観察して、新月のあとの糸三日月が目撃されたら、新しい月の始まり。それを一二回繰り返すと、一年。このやり方だと、新年が夏になったり冬になったり、太陽暦とずれてしまうが、気にしない。イスラム暦は、キリスト教の暦から、わざとずれているのである。まことに一貫したやり方だと言えよう。

他と比較せずに

国学の元締めである本居宣長も、暦に興味をもっていた。宣長は、人為的な中国の暦に批判的で、神武天皇の即位が甲寅の年だという日本書紀の記事も中国流で信用できず、渋川春海の説も採れないとしていた。宣長は「真暦考」を著し、日本の暦よりオランダの太陽暦のほうがまだしも合理的だ、としている。

「真暦」は、天照大神が天地をうみなしたとき、自然にそなわった一年の循環で、中国の暦が到来するまえに、日本の人びとが従っていた暦だという。イスラム教徒がヒジュラ暦で、キリスト教の西暦に対抗したように、中国の暦に対抗しようとしている。

日本の伝統を究めた学者・本居宣長なら、平成最後の年を、どう言うだろうか。

一世一元は、明や清で始まった中国のやり方で、それをわが国も採用するとは実に嘆かわしい。漢意(からごころ)にとらわれていて情けない。

そもそも元号それ自体が、中国のやり方で、まことによろしくない。元号を法制化するなど、正しいやり方でない。

皇紀は、漢意で書かれた日本書紀を漢意で読み込み、西暦を真似た暦で、わが国のやり方とはほど遠い。

靖国神社を建てたり、宮中に賢所をこしらえ皇室祭祀をしたりするのは、わが国古来の神道にそぐわない。まことに残念だ。

こんなふうに言うに違いない。

要するに、元号も、一世一元も、明治の弱小な日本がプライドを保とうとした、作られた伝統だ。いまの日本は、明治よりずっと強いし、安定している。

おどおどと、自分の思う「日本らしさ」にしがみつくよりも、世界の人びとに理解できる日本のよいところを、見つけてアピールしていくことにしたらどうだろう。

 

 

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