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フランク永井の功績
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ソウルからヨボセヨ フランク永井の功績
先ごろ亡くなったフランク永井には韓国との間に興味深い思い出がある。彼は戦後の韓国で初めて日本語を歌った最初の日本の歌手だからだ。時は日韓国交正常化から3年後の1968年、場所は釜山。まだ反日感情が強く残っていたといわれた時代だが、公演は感動的(?)なものだった。
日本で人気絶頂のフランクは韓国でもよく知られていた。公演は韓国の新聞社主催で、彼は正式の公演許可で訪韓した。しかし日本語の歌は禁止されていたため終始、英語の歌を歌った。ジャズ出身だったからおかしくはない。
ソウル、大●と回り釜山公演となった。ところが英語の歌しかやらないので観客が怒り出し、大騒ぎとなった。「高い入場料を払って英語の歌を聞きにきたのじゃないぞ。日本の歌をやれ! やらないなら金返せ!」というのだ。
困った主催者が現場で決断し「有楽町で逢いましょう」を日本語でやったところ拍手喝采(かつさい)、ヤンヤの大歓声となった。しかし観客は1曲では納得せず「君恋し」や「夜霧の第二国道」などヒット曲4曲を日本語で歌うはめになり、公演は大盛況のうちに終わった。結局、当局のおとがめもなかったという。
この話は釜山の日本総領事館勤務でフランクを案内し現場にいた町田貢さんから聞いた。反日といっても韓国人には当時からそんな雰囲気はあったのだ。町田さんともどもソウルでフランク永井の冥福を祈った。合掌。(黒田勝弘)
●=丘の右におおざと
黒田さんは いつも こうした 味のある ことを 書いてくれます
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