心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

ウクライナ問題について思う!-2

2014-06-03 20:57:40 | ウクライナの歴史と悲劇

 

不幸なことに

ウクライナでは

今も戦闘が続いています。

 

単純には地理的に

親ロシア派、親米欧派。

 

あるいは経済上は

西の農業中心地域に対して

東の重化学工業地帯。

 

政治的には

西の暫定政権派に対して

東の分離派(独立派、連邦主義派、自治派など)。

 

東の親ロシア派(前大統領派)に対して

西の欧米民主主義派などと

 

様々な分け方をしています。

 

 

また歴史的には

西の伝統的なウクライナ民族主義に対して

東のロシア民族主義派・ロシア言語派、

というような分け方もあるようです。

http://blog.goo.ne.jp/eurasia-candy/e/67ff83d0558782912a82be6b17ad0434 

元々双方とも濃淡の差はありますが

スラブ系の民族

(日本の大和言葉と方言の沖縄弁位の差はあるでしょうか?)

ソ連邦時代はソビエト連邦の双璧といわれ

ウクライナの黒土地帯は

ソビエトの穀倉といわれ、

ソヴィエトの食を担っていました。

 

お互いに欠かせない国として

支え合ってきた時代もあります。

 

裏を返せば

共存共栄、お互いの融和を

図ろうと思えばいくらでも図れるにもかかわらず、

 

前述のように双方の違いを挙げれば

いくらでもありますし、

又、これを理由に国家を分断しようとすれば

口実はいくらでも上がってきます。

 

そしてそれを口実に

ウクライナに二者択一を迫った結果が

今回の暫定政権の成立であったといえます。

 

にもかかわらず、

よくよく考えてみると

 

原因は米欧とロシアの代理戦争などと

巷でささやかれているように、

ウクライナ国民が

熟慮して行動した結果と

なっていないのではないでしょうか。

 

 内容は二者択一論的で

嫌が上でもどちらか一方を

必ず選択することを性急に求めています。

 

キエフでの暴動とクーデターの結果

ヤヌコビッチ前大統領が役職を追われ

暫定政権が成立しました。

http://dendrodium.blog15.fc2.com/blog-entry-2264.html 

ところが

それでウクライナが

自由にやっていける状態には

なっていないことが問題になっています。

 

特にエネルギー問題です。

莫大なエネルギーをロシアに負っています。

また、

そのため多額の負債を持っています。

その為

高額の単価のガスをロシアから買っているのか?

と問えば

ウクライナは

通常の国際価格の1/4位の単価で

買っていたようです。

 http://www.asahi.com/articles/DA3S11154224.html

(前政権がヤヌコビッチであった理由がわかります。

また

暫定政権になって間もなく、

西ウクライナのエネルギーに関わる有力者が

不正行為でアメリカ政府から

逮捕状が出ていますが、

このあたりに理由があるのではないでしょうか?)

 

エネルギー問題だけ取れば国民の生活にとって

ロシア派と融和を図った方が良いようです。

 

あに計らわんや前政権が崩壊するや否や

同時に東側(ロシア民族の比重が比較的高いところ

もしくはロシア言語使用比率の高いところ)

で親ロシア派の蜂起が起こり、現在に至っています。

 

西側マスメディアでは

一部過激派、

もしくは

ロシアに雇われたテロ集団のように

扱われています。

 

しかし実際は戦いの方を

見ていると

検問所の構成仕方一つとっても

それほど単純ではないようです。

 

それが証拠に検問所は

全てキエフに向かっていますし、

西からの政府軍に向かっています。

 

背後は隙だらけのようです。

無数の住民支持がなければ

検問所などひとたまりもないのは

常識の部類です。

 

だから米欧などはロシアの後押しがあるとか

ロシアの圧力によるとか主張するのでしょうが?。

 

それも最近の経過を見れば

東の各州の住民投票や

その結果に基づく人民共和国宣言、

住民の説得による

一部の政府軍の寝返りなどが起きています。

 

こういう一連のことが

起こりやすい理由は

ほかにも原因があるようです。

 

東側は主にロシアと

結びついた重化学工業地帯だということも

その一つのようです。

 

経済的に東側の人々とロシアの経済と

密接に結びついています。

 

そこに生活を依拠している人々が

多数生活しています。

 

また、

これが西ウクライナ経済に重要な役割を

果たしていく

必要があることは論を待たないでしょう。

 

テロリストという決めつけがいかに軽率なものか

理解できるでしょう。

 

大事なことは

このように東西に分かれ

内戦状態になる前に

もっとっ徹底した論議

(短期では難しい。

熟成期間が求められるでしょう)

が行われていれば

こういうことにはならなかったということです。

 

キエフでの前政権時代に

政権の腐敗問題やEUとの契約の破棄などで

大規模な抗議行動が起きていた時期に、

そこまでは

どこの国でも普通に起きていることなのですが

「右翼セクター」なるものができ

暴力に拠るクーデターが起こり、

米欧の後押しなどにより政府の転覆が意外と

簡単に成功してから

ウクライナの状況は一変しました。

 

それは

ヤヌコビッチ政権の政権基盤を過小評価

もしくは無視した政権が出来上がり、

政治力学上

極端な両極のアンバランスな状態が

ウクライナという「統一国家」に

出来上がってしまったということです。

 

放置しておけば

部外者の支援があれば

泥沼の長期戦になる可能性があり、

支援がなければ

政府軍による

ジェノサイドが起こる可能性

多分にあるでしょう。

 

コソボでは

そのことを理由に独立させてしまいました。

 

***ユーゴスラビア連邦国家の一つにすぎなかったコソボは

NATO軍によって分離独立運動が起きたとき

「民族独立の大義名分」のもとに

力によって独立させられた。

 

 

ウクライナでは

統一国家を守るため

自治制や連邦制も

許さないということなのでしょうか?

 

クーデターを指揮したが為の

メンツというものでしょうか?

ロシアも現大統領を尊重すると述べています。

 

今求められているのは

ただちに停戦しお互いが交渉のテーブルに着くことが

ウクライナの真の統一国家再生への道といえるのは確かです。

 

産業の融和・共生(農業と工業)、

民族の融和共生と統一、

言語の融和と共存、

歴史的過去は恨みと対立ではなく

反省と教訓を生み出し、

未来に向かって

固い絆を作り上げる糧にしたいものです。

 

同じスラブ系の民族であれば

必ず実現できるはずです。

我が国にも戦国時代や明治維新を経験しました。

その経験と教訓を生み出し今があります。

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あの頃チャンネル(2013年07月... | トップ | 背振の山藤(佐賀県) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ウクライナの歴史と悲劇」カテゴリの最新記事