お久しぶりです。
しばらくブログをお休みしている間に、ご心配をおかけしてしまったようですみません。
でも、たくさんの方に心配のメッセージを頂き、嬉しかったです。ありがとうございました。
約一ヶ月前に、稽繋流産という悲しい経験をしました。
でももう元気です。
今は、ただ一人の心の支えでいてくれた夫、両親、夫の家族、友達、そしてとても短い間だったけどお腹に宿ってくれた小さな命に感謝したい気持ちでいっぱい。
やっとしっかりと振り返れるようになったので、今の気持ちを記しておきたいと思います。
妊娠に気付いたのは7月の半ば。
しかし、幸せなマタニティーライフを送れたのも束の間、8/14の検診で雲行きが怪しいと言われ、その1週間後の検診ではもうムリだろうと言われました。
数日後の最終確認でダメだったら手術の予定を考えるはずでしたが、検診後急に出血がひどくなり、最終確認の8/25、そのまま手術を受けることになりました。
手術自体は全身麻酔であっという間に終わりました。
流産宣告を受けた日も、手術の日も、夫は会社を休んでそばにいてくれました。
本当の悲しみがやってきたのは、手術が終わって数日後でした。
体調が戻ってくるにつれて、今まで気持ち悪くて食べられなかったものが食べられるようになり、重いものを持つことも気にしなくてよくなりました。
そういうとき、自分が立っている地面が抜けていくような、どうしようもない喪失感に襲われました。
この頃は、「お腹の子供をなくした悲しみは、経験したことのない人にわかるわけがない」という気持ちが強く、誰とも話したくありませんでした。
誰かに救ってもらいたいのに誰にも会いたくない、、、本当に孤独で、このままずっとこの悲しみから抜け出せないんじゃないかと思いました。
唯一の支えである夫に期待と違う態度を取られると、寂しさと不満で情緒不安定になり、彼にもたくさん迷惑をかけてしまいました。。。
でも、最終的に行き着いたのは、「前を向くことができたのは、夫をはじめ、家族や友人、まわりの人たちのおかげなんだ」という気持ちでした。
そんな風に、気持ちに変化が表れたきっかけは、夫の「俺は生きているんだぞ」という言葉でした。
私が不安定で、夫婦の間さえもギクシャクしてしまっていたとき、「お前も友達も生きているんだ。生きている人たちを大事に考えないといけない」という意味のことを言われました。
そして、彼の辛そうな顔を見たとき、はっと我に帰りました。
私は「流産なんていう経験をして、悲しいのは当たり前、今は泣いていてもいいんだ。それで多少周りに迷惑をかけても許されるはず」と考えていたんだと思います。
でも、夫の言葉で、なくしてしまった子供を想うのと同じように、生きて私を支えてくれている人たちのことも大切に思わなきゃいけないんだって気付きました。
そして、自分から少しずつ心を開いてみると、どんなに周りが私を心配し気遣っていてくれたかにも気付くことができました。
頑なに心に壁を作っていた私はなんて馬鹿だったんだろうと思いました。
(まぁ、「仕事をして帰ってきて、家が暗いんじゃ疲れる」というようなことも言われ、少なからずショックを受けるという、少々荒療治ではありましたが・・・苦笑)
それと、もうひとつ大きかったのは、会いに来てくれた親友が連れていた赤ちゃんを「可愛い」と思えたことです。
この頃の私は、外で赤ちゃんや幸せそうなお母さんを見るのも辛く、家を出られないような状態でした。
だから、友達の子供の顔を見た時に、純粋に可愛いと思えなかったらどうしよう、親である友人に嫉妬してしまうんじゃないか・・・と怖かったんです。
でも、そんな私の気持ちになんて関係なく無邪気に笑いかけてくれた赤ちゃんの顔を見たら、もう「可愛い」という気持ち以外浮かばなくて、一気に気持ちが解けていきました。
悲しさや嫉妬なんかよりも、「私も早くこんな可愛い赤ちゃんを抱きたい」っていう思いでいっぱいになりました。
そして、自分のそういう気持ちを伝えたときに、泣き出してしまった友達。私の前に子供を連れてくるのにどんなに悩んだのかが伝わってきて、とても温かい気持ちになりました。
9/14、ご供養に行ってきました。
一番辛いときに、住職さんの温かい言葉を読んですごく慰められた「円満寺」というお寺です。
大阪にあるお寺だったのでちょっと迷いましたが、やっぱりここの住職さんにご供養してもらいたいし、ここでしっかりと気持ちを切り替えたいという思いがあったので、思い切って行ってきました。
泣くのはこれが最後と、思いっきり悲しみ、赤ちゃんの幸せを祈りました。
短い間しか一緒にいられなかったけど、赤ちゃんは本当にたくさんの幸せを教えてくれました。
お腹に命が宿ることがどんなに嬉しいことか、新しい命の存在がどんなに周囲を幸せにしてくれるのか、そして、周囲の優しさや温かさに囲まれた自分がどれだけ幸せだったのか。
また何より、生命が無事に生まれてくることの奇跡や命の尊さというものを教えてくれました。
失ったものは大きかったけど、決してそれだけではありませんでした。
今でも赤ちゃんを見ると、「あー、生まれていたらどんな子だったのかなぁ。会いたかったなー」とちょっと悲しくなることはあります。
でももう後ろ向きな悲しみではありません。
友人の子供は流産前よりずっと可愛く思えるようになったくらいだし、これまで以上に元気で前向きかもしれません
。
最後に、、、
ちょっとは成長した私たち夫婦のもとに、赤ちゃんが元気に帰ってきてくれるのを楽しみに待っています
。