お久しぶりです、たけみです。
新しい記事の無いブログへ毎日のようにご来訪くださる皆様、本当に、ありがとうございます。
あーんど、このまま消えてゆく危険を感じた今日この頃でございます。
なんと言うか、ブログ運営もダイエットに似ているかもしれないですね。
掲示板の方へはチラッと出没ってのをしておりましたが、ブログは手をつけられなかったんです。
いろんな事考えると記事が書けなくて苦悩しております。
でもこちらのお客様で、私の事を目標にしてくださっている方がいるらしいのです。
掲示板の参加者の方が、ヤフーダイエットダイアリで私の名前を見つけたと教えてくださいました。
本当、嬉しく思います。
多くの皆様に、改めて感謝です、ありがとう!
さて、ここからはダイエット関連のお話でも徒然に。
同じような記事が昔にあったらごめんなさいって事で。
私が目標の55kgに達したのが2008年7月末、一年数か月で43kgの重さが消えたわけだ。
そんな私を見て、人は「何キロ痩せたの?」と聞きたがる。
「20kg以上だよ~」とサバを読む。
「うわーすごいっ!」と驚く人あり「もっとでしょ?」と思ってるだろうなって顔をする人もあり。
そして「で、今何キロ?」とも聞いてくる。
足し算したら元々の体重が出る、人はそれを知りたいわけだ。
それなら「いったい何キロだったの?」と初めから聞けばいいものを、それはしない。
何故ならば、本当に太った人に体重を聞く事は、してはいけないことだと広く認識されているからだと思う。
だから、とんでもない数字であろう事はわかっているけれど、現に肥満している人にはとても聞けない。
だから、痩せた人には聞いてみたい。
そして、自分より劣っていた事を確認したいのだ。
私が掲示板を作ったとき、考えていたのは、自分と同じような三桁クラスの人と一緒に痩せたいって事だった。
三桁には三桁なりの気持ちがある、似通った体重ならではの通じるものがあるからだ。
それに、三桁の私には、あと5kgって人と会話する事が出来なかった。
その輪には入れたとしても、集団で明らかに一番劣っている自分をさらす事は、辛かったからだと思う。
肥満者は、標準サイズの人より格下の生き物である。
これは誰が定義したわけではない、こんな事を大きな声でいう人はいないし、言ってはいけないって思っている。
でも、本当は、誰もが「あそこまで太るってのは、ちょっとヤバイ」みたいに思っている。
そして管理能力のなさを感じるのであろう。
もちろんそれは、標準サイズの人がそう思うのも事実だが、実を言うと、太った人のほうがさらに何倍も肥満を卑下していると思う。
何故って、標準サイズの人にとっては、どんなに頑張っても肥満は他人事でしかない。
でも、肥満者自身は毎日見続けなければいけない事実なのだ。
日々その身体を持て余す、そしてそれが嫌で、また食へ逃げる、食べると太るの繰り返し。
よく、太った人は太っていても平気だと思われているが、平気なのは、やや太った人までなのだと思う。
ややを超えて本格的に太ってしまうと、平気ではなくなる、嫌なのだ。
嫌な事を続けている自分をさらに嫌になり、嫌な事から逃げるために、食べてしまう。
何故そこで食へ関心を集中するのか考えてみよう。
好きな異性がいるとしよう。
気になる相手から、好きだなって人になって、仲良くなって、告白して。
その先にあるモノは何かと言うと、お付き合いできる期待ってのだ。
でも、相手が自分を好まなければ願いは叶わない。
振られても好きでいる、それもいい。
だが「付きまとわれると迷惑」なんて事まで言われたら、もう最低だ。
それでも、感情をコントロールして、忘れてゆくしかないのだと思う。
どんなに好きになっても願いが叶わないなら、もう人は好きにならない、そう思う人もいる。
そもそも人を好きになる事に理由はないけれど、好きな相手とともに過ごす事で期待するのは楽しい時間だろう。
楽しい嬉しい、相手が人間ならうまく行かなくて期待はずれな事もある。
でも、食べ物相手なら、どうなる?
絶対に裏切られる事はない。
確実に、ともに過ごす時間に幸福を味わえるのだ。
こんな理由だけで食へ気持ちが向くかどうかは、定かではないけれど、決して自分を裏切らない可愛い愛人がいれば、愛して止まない、愛しくてたまらない、そんなものではなかろうか。
そして・・・、愛人に夢中になってしまっている自分を、心のどこかで「ダメな奴」だと思っている。
やや肥満の人は、太っている事は、案外平気だ、自分よりも上がいるから。
だから痩せたいと言いながら痩せる気なんてない、って訳じゃないけれど、私から見ると痩せるよりも今の暮らしが好きそうに見える。
でも、超肥満の人は、本当は平気じゃない、平気の振りをして生きるしか道がないと思い込んでしまっているだけなのだ。
道はある、険しくても、道があるんだよ。
だから、歩けばゴールには必ず着く。
以前、100kg級からのダイエットってテレビ番組を見たときに、130kgくらいから減量をしている被験者が言っていた言葉が忘れられない。
「食べ物だけが、私を慰めてくれる」
私も同じ気持ちだった、食べ物だけが、私を愛してくれている、そんな感覚だった。
まずは、そこから抜け出すこと、それが第一歩。
新しい記事の無いブログへ毎日のようにご来訪くださる皆様、本当に、ありがとうございます。
あーんど、このまま消えてゆく危険を感じた今日この頃でございます。
なんと言うか、ブログ運営もダイエットに似ているかもしれないですね。
掲示板の方へはチラッと出没ってのをしておりましたが、ブログは手をつけられなかったんです。
いろんな事考えると記事が書けなくて苦悩しております。
でもこちらのお客様で、私の事を目標にしてくださっている方がいるらしいのです。
掲示板の参加者の方が、ヤフーダイエットダイアリで私の名前を見つけたと教えてくださいました。
本当、嬉しく思います。
多くの皆様に、改めて感謝です、ありがとう!
さて、ここからはダイエット関連のお話でも徒然に。
同じような記事が昔にあったらごめんなさいって事で。
私が目標の55kgに達したのが2008年7月末、一年数か月で43kgの重さが消えたわけだ。
そんな私を見て、人は「何キロ痩せたの?」と聞きたがる。
「20kg以上だよ~」とサバを読む。
「うわーすごいっ!」と驚く人あり「もっとでしょ?」と思ってるだろうなって顔をする人もあり。
そして「で、今何キロ?」とも聞いてくる。
足し算したら元々の体重が出る、人はそれを知りたいわけだ。
それなら「いったい何キロだったの?」と初めから聞けばいいものを、それはしない。
何故ならば、本当に太った人に体重を聞く事は、してはいけないことだと広く認識されているからだと思う。
だから、とんでもない数字であろう事はわかっているけれど、現に肥満している人にはとても聞けない。
だから、痩せた人には聞いてみたい。
そして、自分より劣っていた事を確認したいのだ。
私が掲示板を作ったとき、考えていたのは、自分と同じような三桁クラスの人と一緒に痩せたいって事だった。
三桁には三桁なりの気持ちがある、似通った体重ならではの通じるものがあるからだ。
それに、三桁の私には、あと5kgって人と会話する事が出来なかった。
その輪には入れたとしても、集団で明らかに一番劣っている自分をさらす事は、辛かったからだと思う。
肥満者は、標準サイズの人より格下の生き物である。
これは誰が定義したわけではない、こんな事を大きな声でいう人はいないし、言ってはいけないって思っている。
でも、本当は、誰もが「あそこまで太るってのは、ちょっとヤバイ」みたいに思っている。
そして管理能力のなさを感じるのであろう。
もちろんそれは、標準サイズの人がそう思うのも事実だが、実を言うと、太った人のほうがさらに何倍も肥満を卑下していると思う。
何故って、標準サイズの人にとっては、どんなに頑張っても肥満は他人事でしかない。
でも、肥満者自身は毎日見続けなければいけない事実なのだ。
日々その身体を持て余す、そしてそれが嫌で、また食へ逃げる、食べると太るの繰り返し。
よく、太った人は太っていても平気だと思われているが、平気なのは、やや太った人までなのだと思う。
ややを超えて本格的に太ってしまうと、平気ではなくなる、嫌なのだ。
嫌な事を続けている自分をさらに嫌になり、嫌な事から逃げるために、食べてしまう。
何故そこで食へ関心を集中するのか考えてみよう。
好きな異性がいるとしよう。
気になる相手から、好きだなって人になって、仲良くなって、告白して。
その先にあるモノは何かと言うと、お付き合いできる期待ってのだ。
でも、相手が自分を好まなければ願いは叶わない。
振られても好きでいる、それもいい。
だが「付きまとわれると迷惑」なんて事まで言われたら、もう最低だ。
それでも、感情をコントロールして、忘れてゆくしかないのだと思う。
どんなに好きになっても願いが叶わないなら、もう人は好きにならない、そう思う人もいる。
そもそも人を好きになる事に理由はないけれど、好きな相手とともに過ごす事で期待するのは楽しい時間だろう。
楽しい嬉しい、相手が人間ならうまく行かなくて期待はずれな事もある。
でも、食べ物相手なら、どうなる?
絶対に裏切られる事はない。
確実に、ともに過ごす時間に幸福を味わえるのだ。
こんな理由だけで食へ気持ちが向くかどうかは、定かではないけれど、決して自分を裏切らない可愛い愛人がいれば、愛して止まない、愛しくてたまらない、そんなものではなかろうか。
そして・・・、愛人に夢中になってしまっている自分を、心のどこかで「ダメな奴」だと思っている。
やや肥満の人は、太っている事は、案外平気だ、自分よりも上がいるから。
だから痩せたいと言いながら痩せる気なんてない、って訳じゃないけれど、私から見ると痩せるよりも今の暮らしが好きそうに見える。
でも、超肥満の人は、本当は平気じゃない、平気の振りをして生きるしか道がないと思い込んでしまっているだけなのだ。
道はある、険しくても、道があるんだよ。
だから、歩けばゴールには必ず着く。
以前、100kg級からのダイエットってテレビ番組を見たときに、130kgくらいから減量をしている被験者が言っていた言葉が忘れられない。
「食べ物だけが、私を慰めてくれる」
私も同じ気持ちだった、食べ物だけが、私を愛してくれている、そんな感覚だった。
まずは、そこから抜け出すこと、それが第一歩。