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ストイックダイエット2(仮)

標準体重超初心者が日々思うこと・・・

新記事の無いブログ

2008-11-26 23:34:18 | 戯言
お久しぶりです、たけみです。
新しい記事の無いブログへ毎日のようにご来訪くださる皆様、本当に、ありがとうございます。
あーんど、このまま消えてゆく危険を感じた今日この頃でございます。
なんと言うか、ブログ運営もダイエットに似ているかもしれないですね。
掲示板の方へはチラッと出没ってのをしておりましたが、ブログは手をつけられなかったんです。
いろんな事考えると記事が書けなくて苦悩しております。

でもこちらのお客様で、私の事を目標にしてくださっている方がいるらしいのです。
掲示板の参加者の方が、ヤフーダイエットダイアリで私の名前を見つけたと教えてくださいました。
本当、嬉しく思います。
多くの皆様に、改めて感謝です、ありがとう!

さて、ここからはダイエット関連のお話でも徒然に。
同じような記事が昔にあったらごめんなさいって事で。

私が目標の55kgに達したのが2008年7月末、一年数か月で43kgの重さが消えたわけだ。
そんな私を見て、人は「何キロ痩せたの?」と聞きたがる。
「20kg以上だよ~」とサバを読む。
「うわーすごいっ!」と驚く人あり「もっとでしょ?」と思ってるだろうなって顔をする人もあり。

そして「で、今何キロ?」とも聞いてくる。
足し算したら元々の体重が出る、人はそれを知りたいわけだ。
それなら「いったい何キロだったの?」と初めから聞けばいいものを、それはしない。
何故ならば、本当に太った人に体重を聞く事は、してはいけないことだと広く認識されているからだと思う。
だから、とんでもない数字であろう事はわかっているけれど、現に肥満している人にはとても聞けない。
だから、痩せた人には聞いてみたい。
そして、自分より劣っていた事を確認したいのだ。

私が掲示板を作ったとき、考えていたのは、自分と同じような三桁クラスの人と一緒に痩せたいって事だった。
三桁には三桁なりの気持ちがある、似通った体重ならではの通じるものがあるからだ。
それに、三桁の私には、あと5kgって人と会話する事が出来なかった。
その輪には入れたとしても、集団で明らかに一番劣っている自分をさらす事は、辛かったからだと思う。

肥満者は、標準サイズの人より格下の生き物である。
これは誰が定義したわけではない、こんな事を大きな声でいう人はいないし、言ってはいけないって思っている。
でも、本当は、誰もが「あそこまで太るってのは、ちょっとヤバイ」みたいに思っている。
そして管理能力のなさを感じるのであろう。

もちろんそれは、標準サイズの人がそう思うのも事実だが、実を言うと、太った人のほうがさらに何倍も肥満を卑下していると思う。
何故って、標準サイズの人にとっては、どんなに頑張っても肥満は他人事でしかない。
でも、肥満者自身は毎日見続けなければいけない事実なのだ。
日々その身体を持て余す、そしてそれが嫌で、また食へ逃げる、食べると太るの繰り返し。

よく、太った人は太っていても平気だと思われているが、平気なのは、やや太った人までなのだと思う。
ややを超えて本格的に太ってしまうと、平気ではなくなる、嫌なのだ。
嫌な事を続けている自分をさらに嫌になり、嫌な事から逃げるために、食べてしまう。
何故そこで食へ関心を集中するのか考えてみよう。

好きな異性がいるとしよう。
気になる相手から、好きだなって人になって、仲良くなって、告白して。
その先にあるモノは何かと言うと、お付き合いできる期待ってのだ。
でも、相手が自分を好まなければ願いは叶わない。
振られても好きでいる、それもいい。
だが「付きまとわれると迷惑」なんて事まで言われたら、もう最低だ。
それでも、感情をコントロールして、忘れてゆくしかないのだと思う。
どんなに好きになっても願いが叶わないなら、もう人は好きにならない、そう思う人もいる。

そもそも人を好きになる事に理由はないけれど、好きな相手とともに過ごす事で期待するのは楽しい時間だろう。
楽しい嬉しい、相手が人間ならうまく行かなくて期待はずれな事もある。
でも、食べ物相手なら、どうなる?

絶対に裏切られる事はない。
確実に、ともに過ごす時間に幸福を味わえるのだ。
こんな理由だけで食へ気持ちが向くかどうかは、定かではないけれど、決して自分を裏切らない可愛い愛人がいれば、愛して止まない、愛しくてたまらない、そんなものではなかろうか。
そして・・・、愛人に夢中になってしまっている自分を、心のどこかで「ダメな奴」だと思っている。

やや肥満の人は、太っている事は、案外平気だ、自分よりも上がいるから。
だから痩せたいと言いながら痩せる気なんてない、って訳じゃないけれど、私から見ると痩せるよりも今の暮らしが好きそうに見える。
でも、超肥満の人は、本当は平気じゃない、平気の振りをして生きるしか道がないと思い込んでしまっているだけなのだ。
道はある、険しくても、道があるんだよ。
だから、歩けばゴールには必ず着く。

以前、100kg級からのダイエットってテレビ番組を見たときに、130kgくらいから減量をしている被験者が言っていた言葉が忘れられない。

「食べ物だけが、私を慰めてくれる」

私も同じ気持ちだった、食べ物だけが、私を愛してくれている、そんな感覚だった。
まずは、そこから抜け出すこと、それが第一歩。

その気

2008-11-12 10:32:24 | 戯言
皆さん、おはようございます。
ご無沙汰続きですが、皆さんはお元気でいらっしゃいますか?
私は婦人科のホルモン治療が何しろ辛くて、ヘロヘロしております。
薬ってのは、本来「毒」なんだよなぁと強く思う今日この頃です。

ところで、今日のキーワードは「その気」って言葉で、思う事徒然に書いてみましょう。

「その気になれば、痩せる事なんか簡単」
この言葉に何を感じるか、人により様々だと思いますが、皆さんはどうでしょう。
「そりゃそうだ、その気になれば楽々痩せるよ、簡単な事」って思うのも事実。
そして同時に「その逆もまた真理なり」とも思うのである。

体重を減らす事に大きなウエイトを置いたダイエットへの観念からすると、痩せる事は大変な事だ。
私のように、三桁の体重から痩せるのは、本当に大変。
どれほどの労力を費やして、その重みと闘ったか解らない。

と書くと、痩せるのが簡単って説には行き着かないし、私がこの減量期間で物凄く大変な思いをしてって話になってしまう。
でも、実際、大変だけれども「する事自体は簡単」なので、うまく言葉で表現出来ないんだよなぁって思う。
しいていうならば、減らす分量が多くて、それだけ時間がかかると思うと大変ではある。
でも、する事自体は、食べ過ぎない食べた分以上に動く、それだけだから、簡単なのだ。

三桁クラスに限らず、痩せようと思う人が、ダイエットを始めて、ある程度体重が落ちた時に思う事。
痩せて嬉しい、快適な環境を手に入れて嬉しい、痩せたねって褒められて嬉しい。
痩せるという事は、太った人にとって嬉しいに満ち溢れている。
減った体重は、自分への評価へつながり、鏡の中の自分は別人のようで思わずにんまり、そんな経験誰でもあると思う。
そして、その減らした事実が気の緩みへ繋がる、それも多くの人が思い当たると思う。

私自身何度もリバウンドしてきたから解るのだけれど、主観で満足を得ると、人はダイエットをやめてしまうのだと思う。
ここで言うダイエットは、痩せる行動、体重を減らす行動。
食事を制限したり、運動を頑張ったりする、それが「痩せるための行動」ならば、必要なくなったら、しなくなって当然だからだ。

主観ってのは、人それぞれに違う。
62kgになって慌ててダイエットをしようとする人が58kgで「痩せた~♪」って喜ぶのもアリ。
79kgの体重を見て、80kgの大台を突破してしまうと青くなった人が69.8kgで大満足になるのもアリ。

かつて104kgの体重を見たときに目玉が飛び出た私が、72kgで「私はもう痩せる必要が無い」と思った。
それと同時に思ったのは、これだけ頑張れたんだし、ちょっと太ってもいつでも痩せられるよって事。
まさに「痩せるのは簡単」と思ったのだ。
一旦痩せた人間は、その実績をもって、痩せた事実を「簡単」と判断しているだけに、その自信は相当のものだと思う。

前置きが長くなったが「その逆もまた真理なり」について。

「その気になれば、痩せるのは簡単」
そう思った多くの人が、また「その気」になるには、もう一度太る必要があるのだ。
リバウンドするのは、何故なのか、今までもいろいろな側面から考えてきたのだけれど、最近思う。
痩せて楽しい、褒められて嬉しい、頑張ってる自分をみて充実した時間が持てる、そんな事実を感じるだけに・・・

また、楽しみたくて、もう一度太る

これが真実だったら、私自身は非常に恐ろしい。
でも、痩せるのは簡単だと思えばこそ、その方程式は成り立つのだ。

ここでもう一つ恐ろしい事実をお知らせしよう。
その気になれば痩せるのは簡単と思う時、人は、その気ではない。
そしてその気でなければ、その人は太り続ける。
何故ならば、その気じゃない時は、食べ過ぎて運動もしない人間だからだ。

太らない生活をする、それが習慣化するまでどのくらいかかるか解らない。
だからこうして、時折は自らを戒めなければ、私はまた太る道を歩く素質を持っていると思っている。
自分が太った身体を作った実績を忘れてはならない。

ここから、現在の本音。
私が三桁になれたわけを考える。
大量の食物を詰め込めるように日々努力を重ね胃を鍛えていた。
カロリーの高い食品を大量摂取する事で、効率よく脂肪を蓄える事を優先して食べ物を選んでいた。
それより何よりも、太る事を途中で止められなかったのは、何故なのか。
そして、何度か挑戦した減量を、結果として途中で止めてしまったのは何故なのか。

誰でも、自分の体重に満足を得ていい、それが何キロだろうと、自分がこれでいいと思えばそれでいい。
それでも、かつての私と同じように、一定分痩せた人が途中で去ってゆくのを見ると思う。

その気になるのは、痩せるより大変な事なんだよ。

三桁たけみが痩せたワケ

2008-10-27 02:28:10 | 戯言
皆さん、こんばんは、真夜中に起きていると、お肌ぼろぼろです。
お気をつけくださいませね(にっこり)

ところで最近になって、減量のみの成果ではあるけれど「三桁たけみ」が痩せたワケを考えてみた。
何故今そんな事を考えているのかと言うと、それは、物凄く自分勝手な事なのだけれど、成功した自分を認識する事による快楽を求めているのだと思う。

ふっふっふ

難しい言葉を使うのは反則だな。
要するに、自己満足してうっとりしたい、って事になる。
それは、楽しい事を思い出すと人は嬉しくなれるから、なのである。

私は、かねてから、非常に理解しがたいと思っていた事がある。
それは、ダイエットに成功した人々が、何故、自分のダイエットの話しをしたがるのだろうかって事。

私は、三桁だった、非常に肥満していた。
見た目に太っているから、時々親切な人が「痩せた方がいいよ」と助言をくれる。
もっと親切な人が「こんなダイエット方法がいいらしいよ」とダイエット本や健康のためになるってグッズをプレゼントしてくれた事もある。
高額な置き換え食&補正下着で自分が若干(5kgくらい)痩せたので、あんたも始めなさいよって言い出す人もいた、それってマルチの勧誘ですからってノリだった。

ありがたい事だけれど、痩せる気の無い私には、ただの迷惑だった。
痩せた人の話は、自慢に聞こえて、聞く気にもならなかったし、上で書いたように、正直「自慢すんなよ、みっともない」と思ったりした。
まあ、それはやっかみ、痩せた人が羨ましくてたまらなかったのだから仕方ない。
そして、こんな事考えてたんだよって話すのは、なかなか恥ずかしい。

そんな私なので、自分が減量をした事は、あまり話したくない。
太った人が「ウザイよ」って思う話しをしたところで、肥満者を減らす事は出来ないと思う。
ただ、この「ウザイ」と「羨ましい」、ダイエット成功に密接に関わっている。
他人の成功は「ウザイ」けれども「羨ましい」のは、自分が成功したならば「嬉しい」のを皆ちゃんと知っているからなのだ。
そして、まんまと「成功」すると、誰かに聞いて欲しくてたまらないから、やっぱり

「私は〇〇で、〇〇kg痩せました!」

みたいな発信をしてしまう。
うん、だって自慢って楽しいんだよね。
誰だって、他人から褒められるのは、楽しいから成果を訴えたいのだ。

さて、ここで話しを戻そう。
三桁たけみが、減量のみではあるが、痩せる事が出来たワケ。
ここでダイエット成功としないのは、リバウンドに関する懸念を払拭するまでには時間が必要だからである。
ちなみに、リバウンドする気など全く無い。

さて、私が痩せたワケは、我慢して辛い減量の日々に耐えたから?

ちっちっち

違うんだな、これが。
いや、厳密には、正解でもあるのかもしれないが、大筋ではあっていても異なる部分を持っている。
それは、禁止食品を守る事、食事を1200kcalで制限する事、その他痩せるために決めた事柄を励行できたのは、我慢でも辛い事でもなかったからだ。
もちろん、減量当初から「我慢は辛くない!」なんて思ってもいなかったし、日々頑張れと自分を鼓舞してゆく事で続けて行けると信じていた。

ただ、途中からやたらと自信満々になってきた。
私が痩せないはずはないって感じるようになった。
それは、今こうして振り返ると、我慢が我慢ではなくなってきて、どんどん楽しくなっていったから。
それが何故なのかを検証すると、脳内快楽物質の存在へたどり着く。

子供は褒めて育てなさい

よく言われる言葉だ。
ダイエットでも、もちろん、褒める事で痩せさせる事が可能なのかもしれない。
褒められると嬉しいから人は頑張る、のもあるけれど、それだけではない。
嬉しいとか楽しいと感じると脳内快楽物質が働き、太る要素を作らなくなってゆくとしたら、痩せるしか無いって事になる。
この辺り、脳内ホルモンの細かな説明はあえてしない。
興味があるなら検索してみるといい、そのくらいの手間を惜しむようじゃ、肥満脳のままだからね。

ここで、一つの問題が起こる。
人から褒められると嬉しいと言っても、褒められる要素がなければ誰も褒めない。
そして、褒められない日々の行いは肥満している人の多くが自覚済み、さらに非常に悔いていて、それこそ毎日落胆している。

「今日は食べ過ぎちゃったけど、楽しかったからヨシとします」

この台詞を聞くと、以前の私は「そんな甘い事言ってるから痩せないんだよ」と思っていた。
でも、よくよく考えてみると、ちょっと見解が変る。
「ヨシとします」と言う人ほど、本当は「全然よくない!」と気にしているのではないだろうか。
「食べちゃダメなのに食べちゃった、ああ、私は意思が弱いから痩せられない」と思い、反省を繰り返すほどに、食べちゃった自分を嫌悪してストレスを溜めているのではないか。
褒められない自分がいるから、辛くなるし我慢は出来ないと思うのだ。

私は、禁止を守る事で、毎日自分を自分で褒めまくっていたのかもしれない。
今日もよく頑張った!私だってやれば出来る!
この繰り返しが、脳内で「喜び物質」を拡散、さらに快楽が深まるから禁止などストレスでもなんでもない。

うまくいかないダイエットにイライラしているあなた。
痩せられない自分を、ちょっと忘れて、自分のいいところを探してみてください。
他人が褒めてくれるのを期待するとかって難しいし、何より褒められても照れるから、こっそり自分で自分を褒めてみましょう。
そして日々に褒め要素を自分で作るってどう?
ダイエットの成功は、案外、小さな事でも、褒められる自分を持つ事なのかもしれない。

私のブログは厳しい事をずっと書いてきたし、もちろん、今でも心底厳しい方が痩せるって思ってる。
ただ、どんなアドバイスだろうと、自分で選ばないと人って聞かない。
そして継続しなかったら、「ダイエット始めました」は「冷やし中華始めました」と同じ。

自慢話は嫌われるし、なんかちょっとウザイ。
でも、自慢話しをする時ってのは、皆なんだか妙に嬉しそう、それも事実。
鼻持ちならないと思われても、匿名世界ならOKでしょ。
こっそりブログで自慢しながら痩せて行くのもいいかもよ。
そう思って読むと、このブログ、私は努力してます自慢ブログか。

ではお休みなさいませ~。

大きいサイズの服が高くても売れるわけ

2008-09-29 16:50:06 | 戯言
ダイエットをしている人は、いろんな体重の人がいる。
160センチ、これは私の身長。
98kgの時に、痩せる事に決めた。

でも、まあ、一般的には、身長160センチなら59kgくらいで「大台に乗ってしまう!」って慌てて痩せようとする、そんな人が多いのだろうと思う。
そんな一般的なサイズのダイエッター、もしくはダイエットの必要を感じない標準体型での人生を歩いている方にとって、とても不思議に思う事がある。
それは、大きなサイズの服バーゲン売り場で超破格値とは言いがたいけれどちょっぴりは安い来期の服を探す人を眺めた時に思わず口から出そうになる言葉。

ちょ、ちょっと、来年の夏の服買うって。
来年もその大きなサイズ着るの?
みんな、全然痩せる気無いじゃん!!

他人様にいうようなことじゃないからもちろん言わないけれど、先日バーゲン物色中の太目の方を見ながら思った。
バーゲン会場では大きなサイズでも、デザイン性が高い可愛い洋服が花盛り。
デパートのものだから、質はまずまずいい感じ、何より定価が高いから、割り引かれた金額の服は魅力的。
まあ、それでもスーパーやそこらで買うよりもはるかに高いのだけれど、確かにお得感はある。

でも、来年の夏も同じ大きさでいる予定がなければ、ただのゴミになるわけで、痩せる気があるなら買わないでしょ、と思う。
だけれど、それは違う。
私自身が超肥満体での暮らしが長かったから、よく解る。
来年は痩せているかもしれないけれど、痩せていないかもしれない。
つまり、痩せている自信は無いから、痩せていない事態にも備えておかなければならないのだ。
さほどお得ではなくても、自分のサイズにあった服を買っておこうと思うのは、危機管理であり有事への備えとでも言えばいいだろうか。
もし痩せて着なくなるような場合は誰かにあげればいい、そんな事すら思いながら、大きなサイズバーゲンで少し安くなった高い服を買う。

肥満者にとって、洋服を購入する事は非日常。
何故ならば、いつでもどこでも手に入るものではないから。

自分の例を説明すると、98kgの頃サイズは5Lか6Lだった。
そんな私が旅行へ行くとしよう。
2泊3日の旅支度、どの程度になるか想像できますか?
3日間毎日着替える気も無いのに、3日分の服を揃える。
下着なんか、倍量、パンツは6枚ってことになる。
どうしてそんなに?!って思うだろうが、5Lのパンツはコンビニエンスストアで売ってない。
もしも汚してしまったら、替えを用意する事が出来ない。
だから、使う予定がなくても、必ず用意してもって歩く。
そして結局着もしないまま、服も下着も、帰ってきたらタンスへ戻すのだ。

それと同じ事を、肥満者はバーゲン会場で無意識に思っている。
大きいサイズの服はいつでも買えるわけではない厳然たる事実がある。
今この時に買っておかなければ、もう一度買おうと思ったときには出会えない、手に入らない、と思う。
だから、多少高くても、将来の備えのために、今買っておく。

太った人が痩せてゆく時、それまで着ていた洋服が緩くなる。
これは嬉しい変化なのだけれど、とても不思議な事が起きる。
痩せた自分には不要になる大きな服、それを捨てられない人は多い。
着なくなった服なのに、捨てられないのは、それらの値段が結構高かったからってのもある。
お値段が張った流行おくれのブランドスーツを捨てるかどうか迷う、なんだかもったいないと思う。
それと同じだといえば、普通サイズの人でもご理解いただけよう。
ただし、肥満から痩せた場合、大きなサイズでもう絶対に着ないはずなのだけれど、心のどこかではまた使うかもしれないと感じているのかもしれない。

本当に痩せる気があるなら、緩くなった服はどんどん捨てて欲しい。
標準サイズは、いつでもどこでも手に入れる事が出来るから、いつか使うためにとか、先回りして持っている必要はまったくない。
安価に日常的に購入機会が得られる、それが普通サイズなのだ。

こうして痩せると、何故高い金額で買うのだろうって不思議に思う人の気持ちも解るようになる。
でも私は、自分にあったサイズを見つけられたときに妙に嬉しくなってどうしても買ってしまう太った人の気持ちも解る。
私の場合は、洋服に限らず、買い物へ行く事自体が、一苦労の身体だった。
ちょっと歩けば息が切れたし、膝も腰も痛くて休憩しながらでないとウロウロも出来なかった。

そんな身体だから、出かけた先での一期一会は、逃せないって思ってしまうんだよね。
それは服でも、食べ物一つでも同じ事。
手に入るときに手に入れなければ次はいつだか解らないと思ってしまうのだ。
これは、次に自分が出かける気になれる日がいつだか解らないって意味でもある。
そのくらい、デブは出不精。

超肥満、肥満から痩せようと思う皆さん。
この夏に着た半袖全部捨ててみませんか。
来年の夏は、絶対に着るはずのない服を、持ってる必要なんて、無いんですから。
それとも、来年の夏も、その服を・・・着るのですか?

際限

2008-09-25 23:44:13 | 戯言
際限

言葉の意味は、物事の最後のところ、際(きわ)、限り。
あわせて際限、なんのひねりも無いけれど、ここで終了って部分の事。
使用する場合は、「際限が無い」と何々に関しての打ち消し、否定的な文言として使われることが多い。
「きりが無い」って言葉の場合も、実は漢字に直すと「限が無い」って事になる(らしい)

際限なく食べる。

三桁の身体を作った私は、食べる事だけでなく、実は非常に「際限を知らない性格」だった。
何事も取り掛かるとまっしぐらに突き進み、きりなく追求してしまうのだ。

それは過去を紐解くとよく解る。
痩せるためにエステに通う、金に糸目はつけない、際限なし。
ギャンブルにはまる、延々と丸一日スロットマシンを打ち続けられる、際限なし。
腹が減れば食べる、これはもちろん、鍛え上げた胃袋を満杯にしなければならない、際限なんて無い。
そして、痩せるために、スポーツクラブで運動をする、来る日も来る日も毎日何時間も運動する、そして、その分以上に食べ、吐き出す。
私は、どんな事も際限を知らなかった。
どこまでもどこまでも、満足をする事が出来なかったのだと思う。

今回の減量(ダイエット)を始めて一年半近く経つけれど、自分を振り返ると、この期間も、その前の期間も、実は私は私でしかない事に気付いた。
身体が痩せた、体重が減った、これは変化ではあるけれど、痩せたから別の人間となって生まれ変わったわけではない。
もちろん、今までの自分とは違う選択を習慣付ける事により、性格に変化はあると思う。
とてつもなくネガティブだった思考からは、概ね開放され、物事を前向きに考える癖がついたのは、本当に良かったと思う。

だけれど、私は、私。
身体は痩せても、見た目が変っても、素材の質を多少磨く意欲が出ても、私は私。
こうして努力して目標に達して、私としての向上がある事実を得た事が大きな収穫であり、今の私には、それで充分なのだ。

もっと解りやすく言うと、私は長い事「認められない自分」を抱えて生きてきた。
鏡を見れば醜悪な姿がそこにある。
見たくない、見られたくない、消えてしまいたい、三段論法はまっしぐらに下へ向かっていた。

でも今は違う。
鏡の中にいる自分を、きちんと見る事が出来る。
笑う事も出来る、そして、納得して認める事も出来るようになった。
変ろうとして変った自分がいて、他人にどう思われるかをびくびくと考えるのではなくて、自分自身が自分にOKを出せるようになった。

もし、これ以上を求めたなら、何が起きるのか。
今までと同じように、際限なくなるだろう。
それが解っているからこそ、私は際限を作った。
禁止事項にも終わりがあり、痩せるために必要な行動は、太らないための生活習慣を身につける過程であり、訓練期間が終われば、そこが際。

欲が出てくると、もっと痩せたくなる。
もちろん、それも事実。
自分を見ると確かにまだ減らせる余分がある、現在の身体は決して痩せているわけではない。
でも、どこまでを求めたらいいのかが解らぬままに、数字だけを追うのはいい事ではない、それは避けるべきだと感じている。

欲望には果てが無い。
美しくなる事にも同じ事が言える。
もっと、もっと、もっと。
きれいな人ほど自分を磨く、それはもっと上を目指すから。
それは悪い事ではない、向上心が無い人生よりもはるかにいい事だと思う。

それでも思う。
どこまで進んでも自分を認められないならば、それは際限を超えている。
平均が全ていいわけではないけれど、両端は、どちらも異端だという事を忘れてはならないと思う。
特に、端からスタートした人は、どこかで極端な事をしてしまう。
その方法は、運動であっても食事のコントロールであっても、どちらも同じ。
食事制限をするよりも運動で痩せるほうがいい事と思う人が多いけれど、どんな方法でも、過ぎたるは及ばざるが如し。

際限は、作っておいたほうがいい。
もし、目標前にその際が来たのなら、そこが身体の発したセーフティーネットなのかもしれない。
数多くの人が目標前にダイエットを断念する理由の一つとして、ありえると思う。
もちろん、その際が標準体重よりもはるかに高いなら、もうちょっと頑張ろうと思って欲しいのだけれど、気持ちのバランスが崩れるようなダイエットはして欲しくない。

私は、みなさんに健康になって欲しい。
その上で元気にきれいになって欲しいと思うのです。

意志の強さ

2008-09-18 11:27:11 | 戯言
ダイエットをしていて、ある程度痩せた事が見えるようになると、言われる事。
「凄いね、本当に意志が強いね」って言葉がある。
これは「意志が強いから痩せられる」って事なのだろうけれど、そうなると「意思が弱いと痩せられない」のだろうか。

私は「痩せるための行動」を続ける事だけが意志の強さでは無いと思う。
どんな行動でも、非常に強い意思でそれを選んでいるからこそ、結果が出るのではなかろうか。

すなわち、超肥満の身体を作った行動。
美味しい物を食べる、食べたい量だけ食べる、好きなときに食べる、太った身体を気にせず食べる。
どう考えても、この行動を選び続ければ、太るのだと解っていても、食べる。
まさに、意志の強さの賜物だと、今の私は思う。
何故、そう思うのかと言うと、太る行動を見詰め、それに疑問を持てるようになったから。

太った身体が嫌だと思うのならば、太った身体を作る日常を何故嫌だと思わないのか。

私は太った身体をどうにかする過程で、太る暮らし自体に嫌気がさした。
今の暮らしを保ちながら身体だけ痩せようと思っていたわけじゃなくて、食べた事しか思い出せないような、自分の生活そのものが、もう嫌だった。
悲しくなったと言ってもいい。
食べる事だけが楽しい人生が、心底寂しく虚しく馬鹿馬鹿しく感じたのだ。
だから、嫌な事から遠ざかるのは、ある意味自然だと思いませんか。

意思の弱い人間なんて、実はいない。
意志の強さで、食べる、食べるのをやめる。
それらを選ぶ割合が多少違うだけで、選ぶ事に関して人は非常に強い意思を持って行動している。

「私は意思が弱くてどうしても食べちゃう」

そんな事を言う人は、自らが非常に強い意思で食べる事を「選んでいる」事実を知るべきだ。
迷うならばどちらも選ぶ事が出来るはずなのだから。

ただし、選ぶ間もなく食べてしまう場合がある、無意識の飲食が日常化している人。
私もかつてそうだった。
何も考えずに食べる、気付くと手に食べ物があり、いつも何かを食べていた。
もう、こうなると意思の及ぶ隙間はない。
習慣となった行動は、事実を知ったうえで変えなければ、決して変らない。

私は意思が強い。
その強い意思は、際限なく太る行動にも発揮され、痩せる事にも威力を発揮した。

何をやっても痩せないと思うあなた。
あなたもとても意志が強いのだ。
どんなダイエット方法も成功しないと思い込む、それだけの意志の強さで痩せない自分を保っているのだから。

ダイエット方法アドバイスの難しさ

2008-09-17 01:51:59 | 戯言
皆さん、こんばんは。
今日は、お客様にいただいたコメントから、感じたお話を。

ダイエットのアドバイスは難しい。

これは、私も非常に強く感じるのだが、本当に、ほんとーーに、ダイエットのアドバイスは難しいなんてもんじゃないと思う。
何がそんなに話しをややこしくするのかと言うと、感情が絡む話だからってのが一番。
何しろ、劣等感が挟まる話だけに、人に言われるのはいい気分ではないのだ。
それと思うに、答えがひとつでは無いから、誰も正解を伝えられないわけで、そのあたりが混乱を招くのかもしれない。

ここで、例え話しを一つ。
東京在住の私が大阪へ行こうと思う。
移動の手段は新幹線や飛行機、高速バス、いろいろある。
その中から選ぶ時に、値段が一番重要で、安い方がいいって人もいる。
逆に、値段は関係なく短時間で到着したいって人もいる。
どちらも、正解で、どちらも悪いわけじゃない。
だから、大阪へ行く時の方法として、あれこれ検討できる。

でも「私夜行の高速バスで行くよ」と話した時に、自分は飛行機がいいと思う人が、「夜行のバスで行くなんて面倒だし時間の無駄だよ」といえば、あんまり面白くない気がしませんか。
誰だって、否定されるのは気分がいい物じゃない、私はそう思う。
だから、いろいろな移動手段があるって話はしても、自分が選んだ方法が正解なわけじゃないって事は、覚えておかないといけないんだろうと思う。
正解はいっぱいあって、選ぶのは、個人の自由なのだ。

ただし、人って、自分が選んだものが一番だって思いは変らない。
だから飛行機がいい人は飛行機で気分よく旅をすればいい。
交通費で節約をしたら、その分お土産をたくさん買うのも、いい旅行だと思う。

私は私のやり方で減量をすすめてきて、今回の方法が一番だったと思っている。
何故ならば、私の性格に適していたから、結果を出せた。
だから、自分以外の人にも、ちょっとだけでも我慢したら痩せるって事を知って欲しかった。
でも長い時間かけて、同じ方法が適さない人もいる事を知った。
自分の方法は自分には一番だけれど、それが正解じゃないって事を、解るようになった。
だからこそ、ダイエットのアドバイスが非常に難しいとさらに強く感じるようになったのだ。
結局、ひと言で言うと

人は、自分のやりたいようにやる生き物

だから、誰が何を言おうと、その気がなければ単なるお節介なのだと思う。
それでも、今その気が無い人でも、私の発した邪魔な言葉が心の隅にでも引っかかってくれると嬉しい。

かつての私のように、食べる事だけが生きがいで、我慢なんて絶対無理だって思っている人がいる。
我慢が無理だと思うなら、我慢する事は絶対に出来ない。
だって、初めから答えが出ているわけだから。
それを覆す事は、する気が無いから、誰もしない、出来ない。

あなたにとって無理じゃない事はなんなのか、探して欲しい。
全部無理、絶対に何も出来ない、それが答えだたったら、あなたは今が底。
底ならば這い上がればいい。
下が無いなら上があるのみ。

痩せるためのアドバイスは、難しい。
アドバイスで人を変える事なんか、そうそう出来ない、簡単じゃない。
でも、自分が変る事で伝えられる事があった。

今、私は楽しい。
それが答えだと思う。

基礎代謝の知識

2008-09-12 08:39:33 | 戯言
皆さん、おはようございます。
今日の東京は、いいお天気です、でもちょっと暑くなる様な。
このところ涼しかったから、残暑が堪えるそんな一日になりますね。

皆さんからいただいたメール&コメントのお返事、少々お時間ください。
今朝はどうしても書きたくなった話しを書きます。

基礎代謝

みなさんが、この文字を見て真っ先に思うのはなんだろう。
あなたが成人女性なら、基礎代謝の平均が1200kcalで、食事のカロリーを管理するならばそれを基準にして、また、筋力を上げる事で基礎代謝アップを図ろう、などなど、いろいろ思い浮かぶだろう。

私も基礎代謝って物に関して、数値の変動は筋力の影響があると思っていた。
思っていたってのは過去形。
つまり、今は違う事を知ったのだ。

いや、厳密に言うと、筋力がなくなればきっと代謝は落ちる、これは正解。
でも、それは運動の代謝で基礎代謝ではないらしい。

なに、なに?何が言いたいの?

そう思われるだろう、私も上手に書けないのがもどかしいのだが、とにかく早く言いたくて、この記事を書き始めた。

基礎代謝は生きるために必要なカロリー

そう言うと、みな納得すると思う。
寝転がったままでも、とにかく息をして心臓が動いて血流があって、つまり単に生きている、それだけでも使うエネルギー。

ん?って事は、筋力って関係なくない?
そうなんです、もちろん血液を運ぶための筋力は必要で、その筋肉が動くためのエネルギーは当たり前に必要なのだけれど。

運動して、鍛える事で基礎代謝を増やして、太らない身体を作る
それがいちばん「いい」ダイエット

そう思ってませんか?
私もその意見には頷けるし、運動の大切さも解るから、納得って思ってた。
だからこそ、自分が三桁から、54kgまで痩せて、基礎代謝が下がった事が、なんだかとても悲しかったのだ。
1500~1600kcal程度あった基礎代謝、それがいまは1300kcalに満たない日がある、家庭用体重計の数値ではあっても、それが減ってゆくのが非常に悲しく感じた。

でも、知ったのです、肥満体から痩せると、基礎代謝は確実に「下がって当然」だってこと。
なぜなら、基礎代謝は、運動能力に関連する筋力の影響よりも、体表面積に比例するのです。

皆さん、体表面積が多い人ほど基礎代謝が高いって知ってましたか?
私は恥ずかしながら本当に知らなかったんです。
自分の基礎代謝が高かったのは、太った身体を支えるために筋力が備わっているからだと信じていました。
もちろん、それも理由の一つではあるけれど、その程度の筋力の代謝よりも、もっともっと大きな影響が面積だったなんて、そんな事、全く知らなかったんですよ!

つまり、基礎代謝は、体温を保つために使う熱量なわけだから、外気と接する面積が大きければ大きいほど、体温を上げるためにカロリーが必要、そういうわけなのだ。
だから、痩せたら基礎代謝が下がってゆく、当たり前の事じゃないか!
ここで体温ってキーワードが出たから、ついでにもう一つ。

体重が平均値で、身長も平均値で、その場合、基礎代謝は平均が理想。
もし、特別に運動選手のような鍛え方もしないのに人よりも基礎代謝が多いなら、もしかすると体脂肪の細胞の数が多いからそれだけ体温を保つために熱が必要で基礎代謝が高いだけなのかもしれない。
だから、基礎代謝が高いから私は太っていないって勘違いはしちゃいけないんだと思う。
これは、私の現状に近い、体重は落ちても体脂肪の数は減っていないわけで、それらが必要とするエネルギーがあるから平均よりも多少高い数値を出しているだけなのだ。

また逆に、基礎代謝が平均より低い人は、体温が低いはず。
思い当たる人、多いのではないだろうか。
体温が低いという事は、熱を発せられない身体、熱を生成できないって事なのだ。

きちんとまとめた記事として書いていないのが、なんだか悔しいのだけれど、体表面積の影響を知らなかった事実だけでも公表しておこうと思った。
私だけが無知だったなら、それで笑い話だけれど、私と同じように、体重が減って基礎代謝が下がって、筋肉が減ってしまったとがっかりしている人がいたら、そんな心配は必要ないんだと知らせたい。

下がった分は、面積の影響
平均的な基礎代謝の数値があれば、それでいい
運動する事によって日常の消費カロリーが増えるのは、基礎代謝増ではなくて、運動による代謝増

ああ、時間切れ。
とりあえず、行ってきます、今日も頑張ります!


道のりが遠く感じて、くじけそうなあなたへ

2008-09-10 10:05:07 | 戯言

道のりが遠く感じて、くじけそうなあなたへ

あなたの体重は、現在何キロですか?

こんなぶしつけな質問をする人は、現実の世界ではあまりいない。
いや、体重なんてもんは、聞かずとも見た目でわかる情報だから、労力を使い聞く必然など無いのだ。
でも、この場所はネットの中。
テキストと僅かな映像記録の世界では、私はあなたの事を何も知らない。
だから、聞かせて欲しい、あなたは、何キロですか?
そして、今答えた体重を、何キロに変えたいんですか?

去年の5月、私は98kgだった。
ダイエットをすると決めただけで、その方法も方向性も正直定まっていなかったし、何より、非常に無知だった。
食べなきゃ痩せるんだから食べなければいい、まずそう思っていた。
でも、それが長続きしないのもわかっていた。
生きて行くためには食べなければならない生物としての欲求があるのも事実。
そして、人よりも多く食べる事が生きがいだった自分に、食べる事をやめるなんてのは無理だった。
食べない事を科せば、食べたい気持ちに負け、深い罪悪の中で飲食をするだろう。
そして「罪のもと」を吐き出すことで体重を減らし、心のバランスをとろうとする事がわかっていた。

なんだ、摂食障害の話しか、それは病気だから自分には関係ないよ

そう思わないで欲しい。
もし、あなたが三桁クラスになっていた(現在その体重)ならば、摂食障害は決して他人事、人の話しではないからだ。
三桁の暮らしから本気で抜け出そうと思った時。
私は自分が何故ここまで太ったかを考えた。
食べ過ぎだから太ったのは、当たり前の話。
ならば、何故そこまで食べ過ぎたのだろうか、食べ過ぎずにいられなかったのは何故か、そして食べ過ぎ気にづかなかったのは、何故なのだろう。
身体がどんどん重くなろうとも、動くのに苦労し、命に危機を感じようとも、痩せようと思う事すら出来なかったのは何故なのだろうか。

自己管理が出来ないから太るんだよ、馬鹿馬鹿しい

標準体型の人は、そう思う。
それは、肥満者が、人間ならば当たり前に出来るはずの事を怠っていると思えるからだ。
もちろんそれも事実ではある、私もそうだったように、多くの肥満者は自らに優しく甘えぬるま湯の中にいるのを選んでいるからこそ、太る。
でも、本当に誰もが当たり前に出来る事ならば、何故人間二人分の重さになるまで放っておいてしまえるのだろう。
何かが狂っている、どこかが、普通とは違うのではないか。
普通とは違うから普通じゃない身体を形成できるのではないだろうか。


こんなに太ったのは、普通じゃないから
いくら食べても一向に満足しなかったのは普通じゃなかったのか
そもそも、いくらでも食べられてしまうのは、普通じゃないんだ
そうか、私の食べている「普通の量」は、Mサイズの人から見たら「異常」なんだ

私は、今回初めて、自分が人とは違う事を認知した。
平易に言い換えれば「私は普通じゃないんだ」と納得した上で、減量に取り組んだのだ。


自分は人よりも少しばかり食いしん坊で、ちょっとおデブさんの度が過ぎただけなんだよね

そう思っていたら、私は標準体重を手に入れる事は出来なかっただろう。
自分が「普通じゃないからこそ普通になるんだ」と強く求めたのだ。
そして、普通になると決めた私の減量は、普通に対して全くの無知だったから、知らなければならない事が、本当に多かった。
だから、いろいろと調べ、悩み、そして進む道を探したのだと思う。


あなたは、何キロですか?

もし、あなたが私と同じような体重から痩せようとして、道のりが遠くて、くじけそうならば、考えて欲しい事がある。
何故、痩せると決めたのか。
いま、やる気になれなくなったのは何故なのか。

遠く感じる道のりが、時間ならば、こう思って欲しい。
一年先に目標達成があるとしよう。
あなたは「これからまだ一年も頑張らなくちゃならないのか」そう思うのだろう。
ならば、逆の道を見るといい。

一年前の自分、そして、一年前の自分から今日までの自分。
時間は、長かったですか?
果てなく遠いところに、一年前はあって、その場所の自分は思い出せないほどでしたか?

きっと違うでしょう。
一年前の自分は、すぐそこにいて、特別遠いわけじゃない。
ただ、今とは違う自分の顔をしていたはずです。
なぜならば、一年前の自分は、痩せようと思っていたわけじゃないはず。

遠く感じる道のりが、減らさなければならない体重ならば、こう思って欲しい。
100kgから10kg引き算すると、90kgになる。
でも、たった10kg減っただけで、まだまだ肥満体、世間的に見たらデブなんだよ!
そんな風に、そう思ってはいけない。

もちろん、客観的に、90kgは肥満で減量すべき体重ではある。
けれど、90kgが快適で人生OK、私はこの体重で好きなだけ食べて太ったままでいいと思う人の90kgと、これではいけないと100kgから減量をしてたどり着いた90kgは全くの別物なのだ。

意味わかんない

そう言わないで欲しい。
実感したいと思うなら、減った分量の米を持ってみるといい。
その重みを減らしたからこそ得たものの大きさを知るだろう。
そして、それだけの体重を減らした「方法」も、あなたは必ず知っているのだ。
同じ肥満であろうとも、安住の地の体重90kgと単なる通過点の90kgとの違いは大きい。

ただし、減った体重を喜ぶのは、元々の体重を意識し続ける事にもなる。
だから必要な事は、今の体重からどうやって減らしてゆくのかの検証であり、減った体重の確認作業に没頭する事ではないと思う。

あなたにも、最初に痩せようとやる気になった切っ掛けがあるはず。
もし、何となく痩せなければと思っただけで始めたならば、今日、今、決めるといい。
何故自分が痩せなければならないのか、痩せて何をしたいのか。
強く求める事があれば、人は負けない。

くじけそうな時ほど、自分がどうなりたいのかを、もっと考えて欲しい。
出来ない事をウジウジと悩むより、今の自分が出来る事を続け、少しずつ出来る事を増やし、そして「自分は必ず痩せる」と思えばいいのだ。

やる気は不思議な生き物のような気がする。
心の中にいるはずなのに、隠れてしまう時がある。
でも、誰の心の中にも、絶対住んでいる、これは間違いない。
今までは、少しばかりサボるのが好きだっただけで、やる気は必ず生き生きと動き出す日が来る。

それは、今日だよ、きっと。

愚痴記事

2008-09-05 18:18:49 | 戯言
みなさん、こんばんは。
今日は非常に個人的な愚痴記事を。

今朝、いつもの出勤前の事。
夕べのうちに布団の中で温めていた話しを、ガーっと一気に書き綴った私。
時間にして小一時間、いつも一本原稿あげるのに、短くても30分、長いとやはり一時間くらいはかかるのだ。
つまり、今朝の記事は熱く語った長めの記事だったということ。

出来上がり、プレビューをしっかり読み返して、誤字脱字チェック。
時間は8時36分、もうギリギリだったけれど、うまく出来た記事に非常に満足。
で、投稿ボタンをぽちっと押したら、gooIDログインエラーって・・・・・。

何度このエラーで記事をボツにしただろう。
そのたびに、コピーとっておかなくちゃって思うけれど、どうも勢いでそのまま押してしまった力作の時に、エラーするんだよなぁ。

号泣っ。

ま、こういうこともあるさ、と思いつつも、やっぱり涙もの。
学習しましょう、自分。

というわけで、今朝書こうと思った記事は

1・痩せたい、痩せよう、痩せる、ダイエットスリーステップ
2・道のりが遠く感じてくじけそうなあなたへ
3・今思う事は今の体重の思考

の3本でした!
目次で内容が見える気もするが、いろいろ書いたのだよ。
とにもかくにも、頑張った分だけ、あなたは変れるのだ!って話でした。
だから、諦めたりしないで、頑張ろうぜ~。

私も、めげずに頑張ります。
あ、危ない危ない、またそのままぽちっと押すとこだった、しっかりコピーとってから投稿しよう。

嬉しい

2008-07-19 00:14:22 | 戯言
今日は嬉しいことがたくさんあった。

まず、仕事が半日勤務だったこと、これは嬉しい!
9月に旅行へ行く予定のバイトちゃんが働く時間を増やしたいから、ちょっと私の勤務時間を譲った形。
最近寝不足で疲れ気味だったし、助かった。

それから、リンクのブログをいくつか増やした。
新しいリンク先の方ともこれからたくさん交流して行きたい、そう思う。
本当は、ブログのお友達とは、もっと仲良くしたい。
でも、なかなかコメントも残せなくて不義理ばかりしている。
それでも、ここを訪れてくれることが嬉しいし、変わりなく連絡をくれることが嬉しい。

そして、私が去年作ったYahooのトピックから、減量目標達成の参加者が出た。
1年と16日で、22.7kgの減量。
これまでの日々を思うと、私も自分の事のように嬉しい。
努力は必ず結果に繋がるって事を、証明してくれためめさんに感謝。

それから、ダイエットの事は一切知らないネット友達から暑中見舞いが届いた。
「秋あたりに会いたいね~」って。
彼女と最後にあった頃は、見事に三桁だった。
絶対驚くだろうと思うと、なんか楽しい。

あ、55.1kgまで減った体重は、きちんと食べてしっかり56kgになった。
まだまだ、終わらないよ。

では、おやすみなさい

自分を好きになれない、そんなあなたへ

2008-07-16 00:03:30 | 戯言
皆さん、こんばんは。
夕べの夜更かし、その前の夜更かし、その前の前の前の・・・ってくらい変な時間にアレコレ書いている私ですが、その内容が真夜中ゆえ実に思うことをそのまま書いていて、ご覧になる方にも、それがストレートに伝わるようです。

今日、メールが届きました。
全く同じではありませんが、同じ言葉が書いてあるメールが3通です。
メールを出してくださった方には、また改めてお返事を書きますが、同じように苦しい胸のうちを抱えて夜を過ごす、そんな方がいるかもしれない、そう思ったので、この記事を書きます。


「私は私が嫌い、好きになれない」

私も、自分が嫌いだった。
全く、好きになれなかったし、自分の存在価値を見出せないままに、生きていることに深い罪悪感を持っていた。
その気持ちが、本当にきれいさっぱり過去形になったのかと言うと、そうでもない。
時々、やっぱり虚しさを覚えたり、言葉に出来ない苛立ちを感じたりする。

体重が三桁だから、自分を嫌いだったのかというと、それは半分が「YES」で残りの半分は「NO」だ。
でも、三桁の頃は、太っているからこそ嫌な事だらけって思っていた。
まあ、太ってしまったから、嫌なことが増えて、さらに自分を嫌いになってゆく。
そんな増幅効果があって、人生大嫌い、早く死にたい、そんな事ばかり考えていたのだろう。

人はただ生きているだけでは物足りなくて、欲しいものがある。
人それぞれ思うことは違うかもしれないが、私が欲しかったのは、私を必要としてくれる誰かだった。
自分嫌いの自分だけれど、本当は自分を好きで、心のそこではやはり自分を愛しみたい。
だけれど、それがあまり叶わないままにこれまで生きてきて、望みが得られないからこそ、不満が高まって行ったんだと思う。

満たない気持ち、それを満たすために、私は食べていた。
でも、その満たない根本からは何故だか目を背けてた。
だから、誰に対しての不満なのか、何に対しての不満なのか、その不満は何故発生するのか、そして不満を取り除くためには何をするべきなのか、そういうことを考えた事はなかったのだ。

私は、痩せたくて、痩せなければならなくて、痩せ始めた。
でも、今は思う。
痩せるのは、一つの結果であって、本当にしなければならなかったのは、太る循環から抜け出すこと。
見た目や体重を変える、軽くなる、それは大事だけれど、変えようと思ったのは、中身。
リバウンドしないためにってのはもちろんだけれど、物理的に体重が増加する事象のみならず、その増加を放置、いや推進させてしまう心理状況を作り出してしまう自分自身を「変えたい、変えなければ」と思った。

太った原因なんて別にどうでもよくて、とにかく痩せなくちゃ、体重減らさなくちゃ、ってだけでも痩せられる。
でも不満を感じる原因をきちんと考えなければ、痩せたあと何かいい事があるわけでもなくて、また不満から食べるって事に進むと思う。
私が「少しだけなら食べてもいい」を許さないのは、少しだけでも食べることで不満やストレスを解消する習慣をずっと続けることになると思うから。
ストレス解消食いで、太らないような食べ物を選んだとしても、それは嫌なことから逃れるためにしている「無意識の習慣」なのだ。
結果として体重が増えなければいいってわけじゃないと思う。


話しがそれてしまったけれど、自分を好きになれないあなたも、本当は自分を好きになりたいはず。
だから、まず始めて欲しいのは、自分自身に期待すること。
過去に、どれだけ情けない自分がいても、別に何も構うことはない。
私だって、どれほど猛烈に食べてばっかりで、どうしようもなかったか解らない。
だから、あなたが痩せられないことを情けないとか、どうしてそこまで太ったんだとか、そんな風に責める気は一切ない。
どれだけダメダメな人生だって、それは「過去」なのだから、そんなの、もう「今」じゃない。
今までの事を「振り返る」事はしても、悔やんで悩まないで欲しい。
どれほど昔を悩んだところで、もう変える事は出来ないのだから、悩む時間と労力を明日のために使おう。

明日、明後日、一週間後、一ヵ月後の自分に「期待」しよう。
一ヵ月後、私は今日より痩せている、そう言い続けて来た。
自分への期待、そして、それに応えるのも自分自身。
頑張る自分を自分が「必要としている」事に気づいたら、やらなくちゃいけないことを頑張ろうと思えた。

Yahooの掲示板にトピックを作ったとき、しばらくは誰も来なかった。
一人で日々の記録を綴る、5日後に初めてコメントがついた。

「このトピは、君の日記だねwおkおkww
 とにかく・・・がんばーーーーwww」

この書き込みは、多分ちょっとしたからかいだったのだけれど、私の発信を誰かが見ているって実感を得られて嬉しかった。

私は、自分が大嫌いだった。
でも、今は少し好きになってる。
ただ、変ろうと思って変った部分はあっても、スタートしたときの私の延長線上に今がある。

掲示板で初めてついたコメントの返信に、私はこう書いた。

「私の日記のようでも、ROMして何かを感じてくれる人がいればそれでいいです。
 いつか目標に到達できる様に、千里の道も一歩ずつです。」



自分を好きになれない、そんなあなたへ。
今日と明日は別の一日。

明日も頑張ります!

本音

2008-07-15 02:01:22 | 戯言
今日は、皆さんにお礼を言おうと思います。

皆さん、このブログを読んでくださってありがとうございます。
そして、応援してくださって、ありがとうございます。
日々感謝その気持ちは忘れておりません。


私の体重は、まだ目標前。
それでもここまで歩いてきて、振り返るといろんな事を考える。
あの時、その時、ああ、いろいろあったなぁって感慨深いこと山盛り。

私が、何故痩せたのか、皆さんはお解りでしょうか?
ストイックだったから、禁止食品を守ったから、まあ、それもある。
でも、一番の理由は、痩せるしかなかったから。
これは単なる思い込みではない、私には、その選択しかなかった。

選べるものがアレコレあるなら、人はその中から気に入るものを選ぶ。
私もずっとそうだった。
ちょっとは痩せなくちゃって頑張って、体重が減ったら「もういいや」を選んだ。
ある程度体重が落ちたら、それで充分だよと思う自分がいて、痩せる選択を却下して、もとの生活を取り戻す選択をしていたからだ。

でも今回のように、選ぶものが一つしかなければ、一つを選び続けるしかない。
私はもう、痩せるしかなかったから、痩せるための選択を続けてこれた。

体重が減らなくてイライラする時。
「減らないなら食べてしまえ」
そんな選択肢も持っていなかったから、減らないストレスを解消するために食べることを選ばなかった。

空腹でたまらなくて泣いた夜。
「少しくらいならいいんだよ、ちょっとだけ食べよう」
そんな選択肢も、もちろん持ち合わせていなかった。
だからそんな夜は、書き手が一向に痩せないダイエットブログを閲覧していた。
何故って、痩せない人と同じ行動をとらなければ、痩せられるからだ。

そして、挫折しそうな辛い時。
「もうこれでやめよう、もう嫌だ!」
そう思った事は何度もある。
だけれど、もうこれで痩せないでもいい、嫌な事はしない、そんな選択肢も持っていなかった。
だから私は成し遂げることをしたくて続けたんじゃなくて、挫折することも選べなかったのだ。
だから、痩せたんだと思う。

そして、もう一つ、大事なこと。
この一年、私は、たくさんの方に応援してもらった。
今まで生きてきて、これほど「大事にされた」事はない。
頑張って、応援してるよ、そう言われるたびに、パワーをもらえた。
そして、その言葉が、より一層「痩せるしかない」環境を作った。
だって、みんなの期待に応えたかったから、絶対に、諦められない。
と同時に、これで放り投げたら、恥さらし、そんな重圧は本当に強烈。

この環境を与えてくれた皆さんに、心より感謝。
でも、選択肢を他に持たないことは、決して人には勧めない。
あんな事しなくても、痩せられる、それで正解。

でも、私はこれで良かった。
それが、皆さんへのお礼の言葉です。
ありがとう。



別にモデルさんみたいになりたいわけじゃない、スポーツクラブのイントラさんみたいなボディーになりたいわけでもない、普通でいい。
でも、今まで出来なかったことを普通にしようと思える環境を、手放したくはない。
長いこと人生を費やしてきた体重との格闘は、もうしたくないし、しないよ。

って言うか、夜更かししすぎだろ!

ドカ食いの定義

2008-07-01 08:31:15 | 戯言
夕べ遅くに、コメントのお返事を書きながら、ふと疑問に思った。
ブーツさんが夜中にドカ食いしてしまったってコメントを下さったのでその返事で

「ドカ食いはどのくらい食べてしまったんですか?」

とお聞きした。
私自身が思うドカ食いと、ブーツさんが思うドカ食いの量ってのが、同じかどうか解らないなぁって感じての質問だ。

ダイエットを考える前は、このドカ食いという概念自体が私にはなかった。
こう書くと皆さん不思議に思われるかもしれないが、自分が食べている量が「至って普通」だと思っていたし、少し食べ過ぎてもそれは「ちょっと大食い」って感覚であって、通常の人間の食欲の範囲内だと思っていたからだ。
今思い起こすと、三桁の身体を作り上げるだけの食事の量は、確かにいちどきでも多いし、回数も多いからこその太りっぷりだったわけだけれど、自分がおかしいなんて思いもしなかったのだ。

だから、食欲を抑えているからこそ抑圧された食欲が暴発してドカ食い衝動が起きるという概念その物が、自分とは遠い位置にあったんだと思う。
常に食べているから、ドカ食いする必要も無いわけだ。
ただし、その普通だと思っていた食事量が、一般的な人のドカ食いと思う量に相当していたのかもしれないなぁと漠然と思ったりした。

ここで皆さんにお聞きしようと思う。
ドカ食いって、どんな内容がドカ食いだと思いますか?

1・ドカ食い一回の量
2・食べるものの内容
3・自分の場合のドカ食いが起きるわけ

こういうことを、いろいろ考えるのは、ダイエットのためにも大切だと思う。
そして、自分の定義と他人の定義の差を見たり、またドカ食いしてしまう理由が見えると予防法も見えてくるかもしれないと思うのだ。

三桁たけみの考えるドカ食い
1・一回の量
例えばおにぎりやパンなら3個も食べたら絶対多いからドカ食い。
デリバリーのピザのMサイズを一人で食べきったりするのも昔はよくしていたけれど立派なドカ食いだなぁ。
あとは袋に入ったお菓子を全部食べるとか、バイキングレストランでもう一口も入らないってくらい食べるのもやっぱりドカ食い。
それからカロリーが2000kcalを超えるくらいを食べてしまうのもそうだと思う。
これは飲んだ時などで「ダラダラと何となく」でもドカ食いに入る気がする。

2・食べるものの内容
絶対買ってきたものだね。
お惣菜とかファーストフードなどのすぐ食べられるものであったり、外食だったり、とにかく自分の手がかかってないですぐ口に入れられるもののはず。
手軽に食べられるものでなければ、なかなかたくさん食べられないものだと思う。
自分の過去を振り返ると解るけれど、とことん面倒くさがりだったから、食べるものもすぐ食べられるものが一番好きだった。
って言うか、食べたい気持ちが強くていつも待ちきれないから、それが必要だったんだと思う。
だから外食でもファーストフードでも、すこし待たされるとすぐイライラしていた気がする。

3・ドカ食いが起きるわけ
かつての私が食べていた量は全てドカ食いラインを突破していたと思うので、日常がドカ食いライフだった。
でも、今は別にたくさん食べなければならないってわけでもない、少々食べ過ぎるとしても、胃がはちきれそうになることはない。
もしこの先私がドカ食いをしてしまう機会が訪れるとしたら、それは、お酒を飲んだ時だろうと思う。
アルコールは理性をなくして感情で突っ走らせる効果があるから、何かが変るとしたらその時。
ただし、いつも我慢しているからお酒で我慢できなくなるってのではなくて、お酒で気が大きくなるって感じだと思う。
まあ、実際飲んでみないことには全く解らない。
禁酒生活も長いから飲めなくなってるかもしれないし、また飲めばすごく飲めるのかもしれない、どっちだろう。



この場所のコメント欄で語ってもいいと思う方は、是非書き込んでみてください。
みんなが思うドカ食いと、自分のしてしまうドカ食い、違いを知ることで知識を深めてゆければいいなと思います。
この記事に関しては個別のお返事はしませんのでご了承ください。


みんなが気にする伸びた皮の話

2008-06-26 23:25:19 | 戯言
今夜は、たくさんの皆さんに質問をいただく、伸びた皮の話。
一年で約40kg、それだけ体重が減ったら皮が伸びてしまうのではないか?
どんな状態なのですか?
伸びない方法は何か考えられていますか?
そんな質問をかなりの頻度でいただくのでその都度返信していたけれど、今回記事にしてみようと思う。

基本的に、皮は太った中身の分だけ伸びている。
だから、中身が減れば緩んでくるのだ。
その度合いは人それぞれで、新陳代謝の活発な年齢ならば、気になら無い程度だったりするが、年齢とともに伸び具合もひどくなり、また戻らないという人もいる。

もし皮の事を気にするならば、緩ませない方法はただ一つ。
痩せるスピードを遅くするしか無いと私は考えている。

運動をして痩せても、どれだけ引き締めるために努力しても、そんなもんは追いつかない。
それは、運動すれば代謝が上がり体重も落ちる、すなわち痩せてしまう、中身が減るのが皮の代謝よりも早い。
これは、超高度肥満になった身体の定めなのだ。
やや肥満程度の太り方とは、わけが違う、それは致し方ないのだと私は思う。

実際に、旦那は運動をメインに減量をして90kgオーバーから18kg程度半年ほどで痩せた。
腹回りは、屈強な腹筋の上に軟らかな皮が乗っていた。
もちろんそれでも、一切運動をしないで痩せるよりも運動をしながらのほうが先々に身体のラインがきれいになるメリットはあると思われる。
が、それを選ぶかどうかは人それぞれ。
何故ならば、太った身体での運動習慣化は、食生活を変えるよりも難しいと思うからだ。

皮を緩ませずに痩せる方法は二ヶ月で1~2kgくらいしか痩せないで数年かけて体重を落とす事。
ただし、数年間、長い時間かかっても皮が伸びないかどうかはやってみないことにはわからない。

三桁クラスから痩せる人が、この皮の事が気になってよく聞いてくる。
また、実際痩せたら皮が緩んで痩せても悲しくて辛い、そんな話をされたりしたこともある。

私は皮膚を緩ませないケアを考えるよりも、早く痩せることを選んだ。
実際、確かに軟らかな皮膚で緩んだなとは思う、これは事実。
それだけ太っていたのだから、当然なのだ。
だから、気にしない。
というよりも、気にならなくなった。

数ヶ月前、まだ60kg台でやや肥満から抜け出られなかった頃は、この皮膚の事も気になっていた。
特に、運動しないことを非難され、運動しないから身体が緩むんだと罵られていた時期は非常に不愉快だった。
でも、今私は、三桁に太った身体で過ごしていたころよりもはるかに快適だ。
皮膚が少々タルタルしていたところで、何を気に病む必要があるのだろうか。

痩せる前から緩みそうな皮膚の事を気にして行動できない。
太った身体を痩せさせることが出来たのに、今度は緩んだ皮膚を嘆く。
結局自分の嫌な部分ばかり見ている人生って事に変わりない。

そんなの、もったいない。

長いこと肥満して、身体が重たいってだけでどれだけストレス満載だったのか解った。
軽くなったら、物事の見方が変るのも解った。
これは、自力で変えてきたんだと、自分で思う。

なりたい自分になるために、努力する。
その過程で、様々なことに対処してゆけばいい。
本気で痩せようと思うなら、初めからすべて条件そろえてスタートする「ダイエットスターターズキット」に頼ってはいけない。
他人が考えたプログラムは、痩せなくなった時、気持ちが続かなくなった時に、必ず他人のせいにしてしまう。

ダイエット方法が悪いから痩せられない、こんなに苦しい。

本当はそうじゃない。
どんなダイエット方法でも、楽をしたがる自分がいるから苦しいのだ。
減らない体重、停滞した憂鬱な期間。
どんなダイエットでも同じ。
悪いのはダイエット方法ではなくて、苦しさに負けて放り投げようとする弱った心なのだから。



軟らかくなった腹の皮をつかみながら、旦那が「ぶよぶよー」とからかってくる。
だから私はこう言うのだ。

「ぶよぶよが気に入らないなら、またデブになったほうがいいの?」

そんな気、さらさらないけどね。