栗原氏の館は栗原宿の北側、大翁寺とその周辺が伝承地とされています。一帯は西向きの緩傾斜地で、栗原宿の南側を日川が東から西へ流れています。
〇大翁寺本堂の武田菱
大翁寺は曹洞宗の寺院で「甲斐国志」によると、寛永8年(1631)栗原信盛死後、家が断絶したため館跡に大翁寺が創建されたそうです。
栗原氏は武田氏支族で、甲斐守護武田信成の子武続を祖とする、有力国人領主です。
〇大翁寺北辺から東側を望む
周辺はぶどう畑、すももなど果樹園が広がっています。
写真の後側に墓地があり、土塁が残っていましたが、撮り忘れちゃいました(T_T)
大翁寺の東側の木の辺りにも土塁が残っていました。
〇館の鎮守 弁財天
大翁寺の南西にあり、北東の妙善寺境内にあった荒神堂と共に、館の鎮守と伝えられています。
日本城郭大系(第8巻長野・山梨)に掲載されている分間図(地籍図)を確認すると館の隅にあたり、周辺より一段高い位置にありました。土塁の跡、あるいは矢倉台があったのでしょうか・・・ (・_・?)
〇弁財天前の堀跡
堀の痕跡がありました。
〇大翁寺東側に残る土塁
大翁寺北辺から撮影した写真、木の辺りの土塁です。
道がクランクに折れ曲がっている場所に残っていました。
この土塁、道路と並行ではなく、すこ~し曲がって残っているようにも見えます・・・(._.)
城郭大系掲載の分間図にも、道路と直角ではなく西から東に向かって斜めに描かれています。
日本城郭大系では近接する海島寺・妙善寺・大法寺もそれぞれ一町四方の地割を推定し、館の範囲内と推定しています。
その他に中村の養安寺、東後屋敷の武田金吾屋敷も栗原氏の屋敷だったようです。
次回へ続きます・・・(^^;
※少し前にGoogleマップの仕様が変わってしまい、kmlデータが取り込めなくなってしまいました(T_T)
とりあえず、マップのみ掲載しておきます。
思った以上に大きいうえに遺構も残っていましたね
丹念に調べると新しい発見もありそうな気がします
栗原氏の力の大きさの一端に触れいろいろ調べてみたくなりました
先日は救出作戦ありがとうございました!
栗原氏について、資料集めに奔走してしまいました(汗)
秋山敬さんの論文が参考になりました
近くの養安寺など、機会があればもう一度行ってみたいです(笑)
次回は考察(妄想)編を予定してます(笑)
甲斐国は今が酷暑の時期、熱中症には何卒お気をつけ下さい。
栗原には、過日松姫ルートで挙げた海島寺がございますね。何か松姫関連のお話があればいいなと思っております。
いつもコメント頂き、ありがとうございます!
この日はししんさんにご案内して頂きました
先日購入した「武田家再興のものがたり」の中に海島寺の事が書いてあり、ちょっとビックリでした(汗)
諸事情ありなかなか遠征出来ないのですが、再訪したいと思っています
関東地方も梅雨が明け、これから夏本番ですね
どうぞお体ご自愛下さいませ