なりたい世界の合わない世界を持つ人としつこくしつこく居心地がよくなるまで合わせていけばその世界でいることに心地よさが生まれてきて、いつの間にかその世界のひとになる。
逃げちゃいけない。逃げちゃいけないってたくさんの人がいいますよね。アニメ・ドラマ・映画いろんな人が言ってます。逃げてもいいっていうことを言う人もいます。どっちも正しいですね。あとはそのベストなタイミングなのかも。逃げたら弱気になってそこに魔が付け込んでくるパターンもあるし、
逃げた方がいいぐらい追い詰められているパターンもある。逃げちゃいけないパターンは敵陣にあって最後の力を振り絞って負けると分かっていても、最後の勇気を見せるべく立ち向かうのが男・・・とか、根性論ですね。その反対に今打ち込めば勝ち戦にはなると分かっても引かねばならないこともある。
逃げるというのは命の火をながらわせるだけでなく、いったん引いて作戦を練り直す役割があります。逃げるが勝ちという言葉もあるように逃げ自体悪いわけじゃない。長期の逃げの中で絞りきってしまう場合も多いです。しかし、そこで虎視眈々と作戦を練り続け絶対に勝ってみせるという心の内を持ち続ける
そして、いざ出陣!の「いまでしょ!」のときが来たら、すると決めたら!矢よりも早く動く。
待てば海路の日和あり、今、我々にはチャンスがやってきた!この機会を絶対に逃してはならない。我らの後ろには100万の軍勢の力がある。勝つ理由こそあれ、皆の想いもまた一つ。いまこそ!討ち果たすときがきた!というように指揮力(モチベーション)を高めていたのだろうと思う。
例えば親になって子供が負けそうになっているとき、あなただったらどんな風に声をかけるでしょうか?本当は自分が負けそうなのに、子供が同じ立場で苦しんでいるという場合にはきっとサポートしてあげることでしょう。負けているものを勝たせようとしているとき、勇気が全身から湧いてくる。
親の心になってっ というのがキーポイントです。 大いなる心になって思考する。すべてを許すとか、貧しいながらも楽しむというような宗教的観念が正しいわけじゃないとは思う。大きな心になると何が変わるのか、自分の心の状態はどのように変わっていくのか。実際になってみないとわからない。
私の考え方もひとりの魂的思考観念ですから、参考にすることができます。どんな人の思考観念も参考になります。そのたったひとつの思考を覗くことで視点が広がっていくこともあると思います。私のような考えの人の思考をどのように受け取ってもらってもかまわないが、ひとつの参考材料にはなるはず。
小説のようにひとつの人生を見せるということ、それを知るということはその人の視点になってみることもできるということだ。正しい間違いではなく、別の視点でみる枠が形成される。自分だけではないものを取り入れることは「おもしろい」ことです。自分にはなかった世界が開けるかもしれないからだ。
味方は大切にするでしょう。けれど、敵も愛せるように努力しましょうね。努力ってすきじゃないけど、精神的な努力は好きだな。【自動】