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人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

10月23日(火)のつぶやき

2012-10-24 | ツイッターでつぶやき

目的を達するためにアクドイことをすることは良くないが、最初にある程度達成させるためには多少のアクドイことをしても私は良いと思うのだが。何かあまりにもこれはダメだ。あれはダメだと四角四面では良くないと思う。素晴らしい仲間に入るためにはどのような入り方をするのかひとそれぞれだ


宗教やスピリチュアルを実践しているからすべてが清らかでいいわけではない。悪も善も理解していることが大切だ。だから他人の意見は意見として聞くべきで、断定する人は人生をよくわかっていない。学ぶためには多少の悪を通らねば悪を理解できない。悪に染まるか否かは自分次第だが。


アコギな真似でお金を稼ぐことは悪なのか。資本主義社会の中で自由になるためには「富」を得なければならない。だからといって汚い事をして良いというわけではないが、選択はすべて自分の決断のみで、その責任は自分が負うのだから。人は他人のやり方を真似したり共感しながら成長するものなのだ。


他人のやり方を否定したり、真似することを否定するのはわかっていない人だ。自分のオリジナルで生きていくためには紆余曲折を経なければならないのだ。他人の真似をやってもいいのだ。賛成と反対の両方とも悪がいて善がいる。正しいことをしている人にも悪がいて善がいる。間違っている人にも


人間には悪がいて善がいる。ただそのひとつひとつの動きの中で全体から見れば統制が取れてしまうのが不思議だ。だから一人ひとり使命があるのだから、使命を見つけようとせずに自分の興味のあるところから攻めてゆけばいつか見つかるのではないかと思うし、他人が教えてくれるかもしれない。


この世で勘の鋭い人が次々と現れてくるでしょう。そしてそれらの人々は自分の勘を頼りに社会的アウトローとして時代を先頭で突っ走ることになるような気がしています。今までの概念が崩れようとしている。新たな時代の到来なのかも。なにか私の中でも過去に蓄積されているドラマが崩壊しそうです。


すこしずつ自由を感じ始めているようなきがするのです。それは心の発動です。自由を謳うことでつばさが広がるような心地ですな。それは人類の解放なのだろうか。



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