goo blog サービス終了のお知らせ 

倉庫番の独り言

「コーノさんちの物置き」アネックス

サンフランシスコ便

2007-07-13 23:43:10 | ヒコーキ大好き
サンノゼの会社での朝の会議を中座してサンフランシスコに向かい、帰国の途に着いた。サンノゼとの往復はいつもANAのサンフランシスコ便を利用し、空港でレンタカーを借りて日常の用に充てている。ANAのサンフランシスコ便はボーイング777が飛んでいるが、昨年夏ごろからしばらくの間ファーストクラスを廃止していた。私が出張する時にはビジネスクラスを利用するのだが、予約を入れる時にできるだけ前の方の席を取るようにしている。ファーストクラスが廃止になっていた期間、機体の使い回しの都合でファーストクラスが装備された機材が回って来ることがある。そうするとビジネスクラスでも前から3、4列目までの席は座席だけはファーストクラスのものに座れるという期待であり、実際にそういう機会に出会ったこともある。勿論ファーストクラスになるのは座席だけであって、食事やその他のサービスはビジネスクラスである。今回、往路便でファーストクラスのある機材に乗ったが、予約の入っていた席が前から7番目くらいだったので「今回は外れ」と思っていた。

帰国便に乗り込むとやはりファーストクラスが装備されている。CA(キャビンアテンダント)に訊ねたところ、ファーストクラスが廃止されていたのは数ヶ月間のことで、また復活したのだそうだ。観光客もビジネス客も多いサンフランシスコ便のことであるから、はやりファーストクラスが無いと何かと不都合が起きたのであろう。

私が知っている某社の某重役はANA派であったのが、ファーストクラスが廃止になったのを理由にJALに切り替えたそうだが、またANAに戻ったのだろうか。

初めての国際線

2007-07-06 23:03:33 | ヒコーキ大好き
私が国際線のフライトに初めて搭乗したのは1976年9月27日、羽田発・アンカレッジ経由・ロンドン行きの日本航空JL421便だった。実はこのブログの4月26日に書いた「初体験」の伊丹から羽田へのフライトに次いで生涯二回目のフライトがこの国際線フライトだったのだ。使用機材はボーイング747である。まだ成田の新東京国際空港が開港する前で、国際線も羽田に発着していた。

当時は会社の海外出張でも部下・同僚が羽田に見送りに行く時代であったが、私のこのフライトは1年間の英国滞在への出発であったため、羽田には親戚、上司・同僚、旧友など多くの人たちが見送りに来て下さった。この人たちに別れを告げて緊張して機内へ。

機内は空いていて、エコノミークラスの3人掛けのシートに横になって寝る事が出来た。
しかしよく揺れた。今にして思えば大した揺れでは無かったのだろうけれど、国際線のジェット旅客機は飛行高度が高いので揺れることは無いと思い込んでいただけに、こんなに揺れながら飛ぶものなのかという意外な思いで乗っていた。不安は特に無かったが、心配なのは一週間後に一人でやって来ることになっていた家内の事だった。家内にとってはそれが飛行機に乗る初体験になる。出掛ける前に国際線は揺れないからと怖がる家内に言っていたので、この様な揺れであればさぞかし心細い思いを長い時間経験しなければならないだろうという事が気懸かりだった。

今は懐かしいアンカレッジでの給油。物珍しく余り大きくも無いターミナルビルのあちこちを歩き回り、土産物店を何度も覗いたのを思い出す。スコットランドの北からブリテン島上空に差し掛かり、左右の窓の下にエジンバラとグラスゴーの町の灯りが同時に見えたのが印象的であった。ロンドンに近づくにつれて地上は雲に覆われていた。しばらくすると機体を右に左に傾けて旋回しているのが判った。やがて機内アナウンスがあり、濃霧のためヒースロー空港が閉鎖されているとのこと。あと10分だか15分だか旋回して空港が再開されなければ目的地をパリに変更すると言う。初めての海外でいきなり到着地変更というので大いに当惑したものだ。

雲の上には同じ様に旋回している飛行機がいくつも窓から見えていた。やがてそれらの飛行機が一機、また一機と降下を始めて雲の中に消えて行った。そしてヒースローの閉鎖が解除されたので当機も間もなく着陸態勢に入るとのアナウンスがあった。そして間もなく私は高い雲に覆われながらも薄日が差す初秋の朝のヒースロー空港第3ターミナルに到着したのであった。

無免許酒気帯び操縦

2007-06-30 23:42:38 | ヒコーキ大好き
海外でのことであるし、もう時効かと勝手に判断してこの話をここで披露しても良いだろう。

2004年3月に米国西海岸のシリコンバレーに出張した時の出来事である。この出張中の土曜日に、前年に現地の会社にしばらく滞在して仕事をした折りに親しくなった米国人の自宅に食事に招かれた。自宅はサンフランシスコから東にコーストマウンテンズという丘陵地帯を越えた盆地にある。そこには彼の奥さんのお兄さんも来ていて、遅い昼食をワインを傾けながら楽しんだ。このお兄さんという人、ヨセミテ公園に近い方に住んでいて、この日は自家用機を駆ってやって来たのである。

食事の後、友人が義兄に「ミチ(米国では私はこう呼ばれている)はヒコーキが好きなので、あんたの飛行機に乗せてやってくれないか」と提案した。「お安い御用」という訳で友人夫婦、お兄さん、私の4人は彼の飛行機が置いてあるByronの飛行場に向かった。

ヒコーキはCessna 182 Skylaneというアメリカでは至ってポピュラーな単発プロペラ機である。離陸前の点検をつぶさに眺め、後部座席に友人夫妻、操縦士席にお兄さん、私は副操縦士席に座って離陸した。眼下に赤茶けた盆地が広がり、ディスカバリー・ベイの人工的なハーバーが北に、リヴァモアの市街が南に見える。

適当な高度で水平飛行に移った時、お兄さんが「あんた操縦してごらん」と言う。千載一遇のチャンスに断るテは無い。早速操縦桿を握ってみたが、何分にも地面から離れているので機体の傾きが全く感じられない。目前の計器盤にある傾斜計などを見つめて操縦桿で機体の姿勢を制御する。操縦桿の動きと機体の動きの感覚はマイクロソフトのフライトシミュレーターで経験を積んでいるのでそれほど違和感は無い。お兄さんの指示に従って旋回すると、当然の事ながら少し機首が下がって降下する。これを計器を見ながら補正したり、水平飛行に戻った時の機体の傾きも計器で修正していたら、「外を見ながら操縦しなさい」と言われた。水平方向の傾きは地平線で、前後の傾きは速度が増しているか落ちているかで判断するのだと言う。しかし速度が増すと言っても急降下をする訳では無いので、眼下で動く地上の光景は遠すぎて速度を判断するには余りにゆっくりと後ろに去っていく。

こんな感じでカリフォルニアの空を20分位飛び回った。離陸した時に地上は既に日が暮れつつあったので、上空ではまだ明るい感じであったがやがてとっぷりと日が暮れて、お兄さんに操縦桿を返して離陸したByronの飛行場に着陸した。

以下の写真は着陸後に撮ったものなので、背景は既に夜のしじまに包まれている。



私が思いがけない体験の余韻に良いながらこれらの写真を撮っている時、お兄さんは帰宅するフライトの準備のため、再び離陸前の点検を始めていた。

コンコルド体験 (その5) ニューヨーク到着

2007-06-16 23:28:37 | ヒコーキ大好き
コンコルドは順調な飛行を続け、ニューヨークのJ.F.ケネディ空港に到着。ボーディングブリッジを歩いてターミナルビルに入った所にヒースロー空港のコンコルドラウンジでコートハンガー懸けて預けたコートがそのままコートハンガーに懸けて置いてある。コートを取ってイミグレーションに向かう。他のフライトの旅客に混じってイミグレーションに向かう時に機内持込み手荷物に付けたコンコルドのタグが誇らしく感じたのを思い出す。

ターミナルに入った時に「コンコルドのお客さんはマンハッタンまでのヘリコプターサービスがあります」とのアナウンスがあり、早速申し込む。マンハッタン34丁目のイーストリバー沿いのヘリポートからホテルまでのリムジンを予約。乗り込んだのはシコルスキーの単発型のヘリ。狭い機内に10人程の旅客を詰め込んで出発。ドアの建て付けが悪く隙間風が機内に吹き込んでくる。

低高度の空中から見る既に日が暮れたマンハッタンの灯火はこれまた絶品。あっと言う間にマンハッタンに着いてリムジンに乗り込みホテルに向かった。

一生の思い出になるコンコルド搭乗はこうして終了した。

コンコルド体験 (その3) 離陸、加速

2007-06-05 23:58:43 | ヒコーキ大好き
搭乗の案内がありラウンジから機中の人となる。ボーイング747等に乗り慣れた乗客としてみるととにかく小さいヒコーキである。中央の通路の両側に2席ずつ、1列4席で25列、定員百人の小型機である。

シートも機体重量を軽くするために非常に簡素な構造で高級感は無い。前回も書いたが乗客はほぼ例外なくビジネスパーソンである。当時はまだ重くて持ち歩きには適さなかったラップトップ・コンピュータを膝の上で広げて仕事をしている人も何人か見受けられる。今では普通の情景だが、当時はまだ先進的な企業のトップだけの行動様式である。私の座席は最後尾から数列前の後ろよりの席であった。

ヒースロー空港の滑走路から西向きに離陸してそのまま西に向かう。イギリスの国土上空を飛んでいる間は普通のジェット旅客機と同じ様にマッハ0.9位の速度で飛んでいる。地上に衝撃波を及ばさないためだ。やがて両側の窓の下にバースとブリストルの街の明かりが見えてウェールズの南から大西洋に出る。ここで機内アナウンスがあって巡航速度のマッハ2に向けて加速する。滑走路を走って離陸する時と同じように体がシートの背もたれに押し付けられる様な加速度を感じながらグングンと加速していく。上空でこの様な加速度を感じることができるのは他のヒコーキでは経験できない。

キャビンの一番前の壁の右上に速度、高度、外気温度を示す表示器がある。丁度東海道新幹線が走り始めた頃、ビュッフェ車(そういえばビュッフェ車もいつの間にか無くなってしまった・・)の壁に速度表示が付いていたのと同じ感じである。その速度表示(マッハ表示)の数字がどんどん大きくなり、やがて巡航速度のマッハ2.0が表示される。高度も通常の旅客機よりもずっと高い。こうして搭乗機は一路大西洋を越えてニューヨークに向かって行った。

コンコルド体験 (その2) チェックインからラウンジ

2007-05-30 23:55:35 | ヒコーキ大好き
ヒースロー空港のBritish Airwaysのチェックイン・カウンターは他のどこの空港とも同じに、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスに分かれている。違うのはファーストクラスの左側、チェックイン・カウンターの左端に「コンコルド」というカウンターが一つあることだった。このカウンターで搭乗手続きを済ませると、専用のラウンジに案内される。

11月末の寒い時期だったので乗客は皆コートを着ていたが、ラウンジの中にコート掛けが置いてあり、ここにコートを掛ける。周囲の乗客を見回すとビジネスマンばかりである。家族連れや老夫婦の旅行者といったラウンジでお馴染みの乗客は見受けられない。

ニューヨークとロンドンの間はそれぞれの空港から朝と夜に出発するフライトが1日2便ずつ飛んでいる。朝のフライトでニューヨークからロンドンに飛んだ乗客はその日の仕事をロンドンかその周辺で終えて夜のフライトでヒースローを発ち、夕方にはニューヨークに着くことができる。コンコルドはこういったビジネス客向けのフライトである。

搭乗案内が流れ、コート掛けのコートと取りに行ったら、このまま飛行機に積んでニューヨークで渡すと言われ、最少の手荷物で機内に入ることになった。


コンコルド体験 (その1) 序章

2007-05-23 23:18:39 | ヒコーキ大好き
このところ「ヒコーキ大好き」のカテゴリーでは最近搭乗したフライトについてのリアルタイムの記事が続いたので、きょうは過去の栄光に戻ろう。

1988年11月28日、私は英国航空BA003便に乗ってロンドンのヒースロー空港からニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に飛んだ。使用機材はコンコルドである。




福岡便

2007-05-16 23:37:42 | ヒコーキ大好き
午後1時半ころに羽田を発つフライトで福岡に来た。今回の出張をアレンジし同行してくれた同僚の都合で、今回は日本航空である。使用機材はボーイング777-200、JA8978である。国内線なので右側の窓際に陣取って外を見ながらのフライト。

うす曇の羽田空港34L滑走路から南向きに離陸。真南から20度東向きの方向である。房総半島の富津岬を下に見ながら大きく右に旋回し、横浜市の上空から多摩川に沿って北西に向かう。相模原周辺のゴルフ場が沢山見える。右手遠くに狭山湖、その手前に横田基地が見えてきたところで今度は左に旋回して、右下に中央自動車道を見ながら西に向かう。八王子料金所と小仏トンネルの間で6月に開通する圏央道とのジャンクションが山間に文様を描いている。大月上空を過ぎたあたりから雲の中に入って下界は見えなくなり、残念ながら長坂のセカンドハウスや八ヶ岳を見下ろすことは出来なかった。航路図によると甲府盆地の南寄りを通って甲斐駒ケ岳の上空あたりを西に抜けていった筈である。

次に下界が見えたのは着陸が近づいた玄界灘の上空から。志賀島、海の中道を右下に見て博多湾を過ぎ、福岡市のビル群をかすめる様に福岡空港に着陸。福岡空港は初めてであり、市街地からの近さに驚いた。

パリから東京へ

2007-05-14 19:51:01 | ヒコーキ大好き
全日空のパリ便はボーイング747-400が就航している。全日空では国際線の機材を燃費の良いボーイング777に置き換えており欧州線ではパリ便とロンドン便を残すばかりである。このロンドン便も6月にはトリプルセブンに置き換わるという。

パリ便はツアー客が多いので当分の間はエコノミークラスが沢山取れる747が飛び続ける様だ。アメリカ便で度々利用する777と比べるとやはり機内の空間が広く閉塞感が少ない。

成田からミュンヘンへの往路のフライトの機内販売でエアバスA380のモデルを買った。この大型機に乗れるのはいつになるだろうか。


ニュルンベルクからパリへ

2007-05-11 23:27:31 | ヒコーキ大好き
午前中の仕事を終えて午後のフライトでパリへ移動した。ニュルンベルク空港は小規模の地方空港でチェックインからゲートまでの距離も手続きもスイスイと進む。

搭乗したのは「ルフトハンザ・リージョナル」のボンバルディアCRJ-200。日本航空のフリート紹介によると「世界初の50人乗り」の近距離用旅客機である。胴体の後部の左右に1発ずつのエンジンを搭載したリアジェットで、昔のカラヴェルを思わせる。

初めて搭乗する機材である。ターミナルのゲートからバスで離れた所に駐機している飛行機に向かい、ドアの内側に装着されたタラップを上って機内へ。座席は2Aで、左右各2列の座席配置。ビジネスクラスは座席はエコノミーと同じアレンジで、片側2列に一人で座らせるところでエコノミークラスとの差を付けている。

ターミナルの正面に左右に伸びる滑走路の右端から滑走を始め、ターミナルの前では既に離陸しているという軽快な離陸であった。パリのシャルル・ド・ゴール空港に近づいて高度を下げるに従って揺れが発生したが、揺れ方がいかにも小型機であって久しぶりにこういった揺れを経験した。

CDGターミナル1からエールフランスが運行するバスでガレ・モンパルンスに向かう。

パリの市街地に入って最初に見かけた犬は信号待ちをするバスの前の横断歩道を年配の男性の持つリードに繋がれて渡って行ったウェスティであった。おそらくオス犬のかなりの老犬で、毛並みは多少汚れていたが表情や歩き方は大変に可愛かった。