贋・明月記―紅旗征戎非吾事―

中世の歌人藤原定家の日記「明月記」に倣って、身辺の瑣事をぐだぐだと綴る。

買いためた本は死後どうなるか?

2006-02-28 21:18:13 | 国文学
今日は、昨秋急逝したM先生の御蔵書を頂戴してきた。
もちろん個人で頂戴したわけではない。
大学図書館に寄贈していただき、それを、運送業者が今日お宅から運び出すのに、立ち会いに行ったのである。

先生の専門は道教であった。
お年は五十前であったが、学界のこれからを担うはずの、いや、今現在においてもっとも脂ののった仕事をされている学者であった。

その先生の蔵書をごっそりすべていただいたのである。
まだきちっと数えてないので、総冊数は不明。
たぶん二千冊は超えているのではなかろうか。
ありがたいことである。

ただ、残念なのは、そのような貴重な多数の本を頂戴しながら、勤め先の大学図書館で、それらを「M文庫」というような形で特別扱いをできないことである。
しかし、それも図書館としては仕方がないのである。

近年、どこの図書館も、原則的には研究者の蔵書の寄贈を謝絶していると聞く。
いろいろ事情があるらしい。
整理の手間、蔵書内容の偏り、何よりも保管スペースの不足。
それらの事情により、受け入れる余裕がないらしい。
まあ、仕方ないことだろう。

今回のM先生の蔵書は、勤め先の大学図書館に欠けている分野の本が多数を占めているから、図書館としてはたいへんありがたいことであった。
また、幸い、比較的スペースにも恵まれているから、ありがたく頂戴することができた。

それでも、特別文庫というような扱いではなく、通常の寄贈図書と同じ扱いで、整理して番号をふって、他の図書と同じように配架することになっている。
もっとも、使用する側からすると、かえってその方が使い勝手が良いという面もある。
みんなが使いやすければ、M先生もそれを喜んでくださるだろう。

それにしても、自らのことを思うと、暗い気持ちになる。
これもきちんと数えたことがないからよくわからないのだが、たぶん現在の蔵書数は5~6000冊。
国文学の研究者としては、けっして多くはない。
もしかすると少ない部類かもしれない。
それでも、それだけの本がある。
若い頃は(まあ、今でも同じようなものだが)、一冊の本を買うのにずいぶん苦労した。
100円でも安く買える努力をした。

えーっと、国文学関係の本は、一般の本と比べて、桁違いに高価です。
研究書ならば、1万円以下で買える本は、めったにありません。
資料集(写真版)なら、3万円くらいが標準です。

そんな本を買うときに、100円を問題にして、手を尽くして安く買おうとしたのである。
院生の頃は、本を買ったがために、バイト代が入るまで食事代に事欠くこともあった。
そのような生活は、20数年前の国文学の院生にとっては、ふつうのことであった。

そんな苦労をして買いためた本だが、死んだら、行く先がないのだ。
しばらく前なら、古書店に売ってしまうという手があった。
これは、持ち主の気持ちを踏みにじる行為のように思われるかもしれないが、実はそうでもない。
結局、古書店に売られた本は誰か必要な人が買うことになるから、本は活用されることになる。
研究者なら、それはそれで納得のゆくことである(少なくとも、私はそう考える)。

ところが、近年は、専門書は古書店に売れないのである。
安く買いたたかれるのは仕方がない。
引き取ってくれないのである。
そんな話をよく聞く。

図書館に寄贈したくとも、これも、先ほど書いたような事情で、断られてしまう。

本当にどうなるのかなあ(泣)。