橋本紡「猫泥棒と木曜日のキッチン」はちょっとだけ泣けた

橋本紡「猫泥棒と木曜日のキッチン」を読んだ。
この作家の作品を読むのは初めてである。

この小説は、親に捨てられた子どもと、その子どもが猫を盗む話である。

「あとがき」にも書かれているが、カンヌ映画祭で柳楽くんが最優秀男優賞を受賞した「誰も知らない」という映画と、育児放棄というテーマだという点で似た話である。

ただ、こちらは、主人公が女子高校生で、「友人以上恋人未満」みたいな男友達がいて、もう少し青春小説らしくなっている。

感想を率直に言うと、登場人物、特に主人公以外の人の描き方が表面的すぎる感じがした。
小説としての分量も少なめだから、あまり書き込む余裕がなかったのかもしれない。

ただ、子猫のかわいそうな最期には思わず涙が出てしまった。

急いで付け加えておくならば、猫を盗んだから死んだんじゃない。
むしろ、子猫が死んだから、猫を盗むことになる話である。
詳しくは、読んでください。
2時間もあれば十分読める分量だから。

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イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』を読んだ

イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』を読んでみた。

ちょっと毛色の変わった本である。
もちろん「私」にしては、という意味で。

これは、「絶対計算」の威力を説明した本である。
「絶対計算」とはなに?という質問が次に来るのは当然です。
全部読んだのだから、当然それについて簡にして要を得た説明ができなくてはならない。

ちゃんと他人に説明ができるようになっていなければ、その本を理解したことにはならないよ、というのは、常日頃学生諸君に申し上げているところ。

しかしながら、残念なことに、この本の内容を要領よく説明することはできない。
膨大なデータを統計学的に分析して、一見無関係な事柄の間に相関関係を見出すことらしいというところまでは、なんとかわかる。
それだけならば、数学や統計学の話なのだが、問題は、その「絶対計算」というが現実社会のあれこれに適用できるところにあるらしい。

どのような政策をとればもっともうまくいくかを、政策実施の前に当てる。
医者がいなくても、決まった手順で病状を調べると、いわばマニュアルだけで、どんな病気にかかっているかわかってしまう(しかも、調査してみると、人間の医者の診断よりも正しい場合が多い)。
どういう客に何をどのように売れば、商品がたくさん売れるか、予測できる。

そんな例が次から次へと出てくる。

すごいね。
これを使えば、現実社会の難問がどんどん解決しそうだ。

素人として思いつく欠点は、膨大なデータがないと機能しないというところか。
少なくとも、古典文学作品の分析にはなかなか使えそうにない。
残念。

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「イニシエーション・ラブ」を読む

乾くるみ「イニシエーション・ラブ」を読んだ。
しばらく前の朝日新聞の読書欄で、同書の文庫本がロングセラーになっていることを知り、読んでみた次第。

ミステリなので、中身に触れにくいのだが、ちょっと書き残しておきたいことがあるので、ネタバレすれすれまで書きます。

要注意。

急いで付け加えておくならば、「ミステリ」と言っても殺人事件が起きたりするわけではない。
犯罪事件が起きるわけではないと言っても、北村薫などの「日常のミステリ」とも違う。
それでは、どういうミステリかというと、うーん、まさにそこがネタバレすれすれですね。

読んだ感触からすると、高木彬光「帝国の死角」に似ている。
こう書くと、「帝国の死角」を読んだ人は、ほとんどすべてわかってしまうだろう。
ただ、近頃「帝国の死角」を読んでいる人というのはあまり聞かないから、まあ良いだろう。

いわゆるまじめそうな理科系の大学生の視点から見た恋愛小説というのが、小説の枠組み。
最初から最後までその枠組みは変わらない。
と言ってしまうと、微妙に嘘が交じる。
いや、嘘が交じるのではなく、嘘ではないのだが、本当は、それではちょっと足りない所が出てくる。
ここが「すれすれ」ですね。

自慢ではないが(私は自慢するときは「自慢ではないが」と常に書く)、途中で(大体3分の1あたりで怪しいと思い、半分過ぎた所で確信)大筋の「からくり」は読めました。
ただし、伏線をきちっと見抜いて、論理的に「分かった」わけではない。

読んでて、語り手(視点主)とその恋人に対して、どうしても感情移入でできないのですね。
こういうことはあまりあることではないから、すぐに「帝国の死角」を読んだときと同じだと気づいた。
そうなれば、あとは簡単。
そういう目で読み進めてゆくと、あちらこちらにその「痕跡」が見える。
筋を追っていても、そういう部分に来ると、まるで黄色いマーカーが塗ってあるように、ページの中でその部分が浮かんでくる。

なぜそんなことになるか、分析すればいろいろ言えるのだろうが、まあ、それはやめておこう。
たぶん、伏線を張りながら、それを隠さなければいけないところに問題があるのでしょう。

小説そのものは、誰もそんなに不幸になる話ではなく、たぶん、とりあえずはそれぞれ満足する形で終わる話なのだが、読む者、というよりも、私には後味が悪かった。
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冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』は伝奇小説の王道を行く

冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』の第1巻を読んだ。
全3巻だから、中途半端なところで感想を書くことになってしまっている。
しばらく、このブログを休んでいたので、ともかく今書きたいことをメモ代わりに書いておく。

『マルドゥック・ヴェロシティ』というのは、『マルドゥック・スクランブル』(全3巻)に続く作品である。

ただし、話としては、『マルドゥック・スクランブル』で描かれる物語以前の話である。
つまり、スターウォーズシリーズで、まずルークとレイア姫の3部作があり、その後に、アナキン(→ダースベイダー)3部作が作られたのと同じ形である。

物語のあり方が同じであるだけではなく、内容もよく似ている。
『マルドゥック・スクランブル』で最強の敵役であった男の、そのような「男」になってしまうまでの物語が『マルドゥック・ヴェロシティ』だから、まるでダースベイダー物語と同じなのである。

まあ、誰でも、読み始めてすぐに、というよりも裏表紙のあらすじを見てすぐに、「これは、ダースベイダー物語だ」と思うはずである。

それと同時に、ボクが思ったのは、「これは、山田風太郎の『甲賀忍法帖』か「くノ一忍法帖」だ」ということ。
つまり、特殊な能力(身体的に)を有した者が、一対一でバトルをおこなうというパターンの話ということ。
もっとも、最初に書いたように、まだ第一巻しか読んでいないから、第二巻以降では話が変わってくるかもしれないのだが。

スターウォーズと山田風太郎だから、これはもう、伝奇物語の王道ですね。
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大倉崇裕『福家警部補の挨拶』は本歌に似すぎ

大倉崇裕『福家警部補の挨拶』を読んだ。

倒述ミステリの短編連作集である。

倒述ミステリと言えば、TV番組の「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」シリーズが有名。

「これは、まさに、コロンボシリーズだな」

と思いながら読んで、

「テイストがいささかあのシリーズに似すぎている。
だとすると、特徴を出すためには探偵のキャラを作るしか特徴を出すのはむずかしいな。
それにしては、この福家警部補というのは、いささかキャラの立ち方が弱い」

などといった感想を持って読み終わったのだが、解説(小山正)を読んで、納得。

コロンボシリーズに似ているのは当然。
まさに、それの影響の下にというか、それの本歌取りとして書かれたものらしい。

解説の「本歌取り」という表現には、その方面を研究している者としては、いささか抵抗があるが、まあ、言いたいことはわかる。

倒述ミステリというのは、どうしてもこういったテイストにならざるを得ないのかな。
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荻原浩『ママの狙撃銃』が読み切れない

荻原浩『ママの狙撃銃』を読み始めたが、挫折。

荻原浩の作品は、以前も『さようならバースデイ』を読み始めながら、挫折した。

なぜ読み切れないのか、よくわからない。

荻原浩の小説作法が下手だという訳ではないと思う。
すごくうまいとも思わないが。
『ママの狙撃銃』でも、最初の日常生活の場面など、いささか「ふつう」を作りすぎの感がある。
しかし、読む気が失せるほどのことではない。

文章も、耐えられないというようなものではない。
という言い方は語弊があるな。
文章も立派なものである。
文章が肌に合わなくて、読めないという作家の小説もあるから、それとは比較にならないほど、文章は良い。

にもかかわらず、途中で読む気が失せる。

『ママの狙撃銃』などは、どうしてもS・ハンターのシリーズ(『極大射程』などですね)を思い出すが、あれらと比べるとやはりつまらない。
それと比べるから、読めないのかもしれない。

そう言えば、『さよならバースデイ』は、瀬名秀明の『BRAIN VALLEY』を連想させるから、あれと比べてしまったのかな?

ともあれ、読み切れなかった。
残念。
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森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』はオモチロイ

森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を読んだ。

楽しめました。
実におもしろかった。
ヒロインの口癖を借りるならば「オモチロイ」小説であった。

言うならば、京都を舞台とした大学生ファンタジーである。

数日前に、同じ作者の『きつねのはなし』の感想を書いたが、あれが「暗黒」ならば、これは「光」の小説。

自意識過剰のへなちょこ男子学生が、元気で純真な(「天然」と言う方が適切か)後輩の女子学生に恋をして、さんざんな目に遭うというのが、大筋の話。

これは、男子学生ならば、98%くらいの人が経験したことである。
もちろん、小説に書かれているようなことが実際に起きるはずがないから、気持ちとしては、ということ。

古書市や学園祭が舞台というのも、共感できるところ。

話の小道具もおもしろいし、何より語り口がうまい。

森見登美彦というのは、才能のある作家である。

というのは、前回も断言したところであるが、改めて断言しておく。
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森見登美彦『きつねのはなし』は怖おもしろい

森見登美彦『きつねのはなし』を読んだ。

森見登美彦というのは、才能のある作家である。
「である」と断言してしまうのは、我ながら「怪しい」のだが、今は勢いでこう言っておきたい。

京都を舞台としたホラー短編小説集である。
芳蓮堂という骨董屋がすべての話に関わってくるから、連作短編集と言っていいのだろうが、登場人物などが直接的に各話に共通するわけではない。

「きつねのはなし」「果実の中の龍」「魔」「水神」の四話から成る。
中では、書名にもなっている「きつねのはなし」が一番か。
小説の出来としてはともかく、話の気味悪さでは、これが群を抜いている。
奇妙に細長い座敷や、赤いお椀のスープの舌触りなど、細かな所で、読んでいる者の感覚を絶妙に厭らしく突いてくる。
こういう場面の描写を読んでいると、訳もなく不安になって、背中の辺りがざわざわとしてくる。

「果実の中の龍」は、「きつねのはなし」と微妙につながりが深くて、これだけ読んでいたら、入れ子構造スタイルの小説集かと思ってしまった。
ネタバレにつながりかねないので、詳しいことは書かないが。
これは、読んでいる最中はこれと言って気味が悪いということはないのだが、読み終わってから、そくそくと気味悪さが首筋辺りを騒がせる。

ホラー小説というのは、あまり読んだことがないから、そうしたジャンル小説としてどのように評価されるのかは、わからないが、この短編集は、小説としてはすごく良くできている。
文体や視点も工夫されている。
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東野圭吾『使命と魂のリミット』は泣けるけれど

東野圭吾『使命と魂のリミット』を読んだ。

泣ける話である。

大学病院が舞台。
カリスマ心臓外科医と女性研修医との葛藤が一つの柱。
病院テロがもう一つの柱。
その二つの話がない交ぜられていって、クライマックスに。

このように書くと、パニック小説みたいにも見えるのだが、実際はそれよりずっと人間くさい話。

泣ける場面もあって、後半では2回ほど目頭が熱くなりかけた。
ただ、全体に予定調和の世界という感じはぬぐえない。

東野圭吾なら、もっとひねった話が書けそうなのだが。

それと、カリスマ外科医が研修医に、姓ではなく名前で呼びかける場面、ちょっと違和感あり。
あの場面は、冷静に姓で呼びかけるところではなかろうか。

東野圭吾のことだから、うまいことはまちがいないけれど。
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松宮宏「こいわらい」は変てこでおもしろい

松宮宏「こいわらい」を読んだ。

現代の剣豪小説といった趣である。
京都を舞台に、旧家(ただし、破産している)女子大生が「こいわらい」という秘剣を使う話。
といえば、まちがいではないのだが、そう説明して想像するような話ではない。

荒唐無稽なのだが、現代の京都を舞台にしているから、それなりに現実的。

小説としては、はっきり言って「下手」。

ただ、訳のわからないおもしろさがある。
「鴨川ホルモー」という、やはり京都を舞台にした、変なおもしろさのある小説があったが、変さでは、それに通ずるところもあるような。
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