去る25日にACTI京北の視察研修で、奈良の明日香村へと向かった。京北でも体験型観光を活かそうと色々な試みがなされているが、同じ頃に取組を始められた明日香村は一歩先んじておられるそうだ。
一行13名がマイクロバスでまず明日香村商工会へと向かい、担当の下田さんからその活動の説明を受けた後、実際のプログラムとしてスタートしておられる「柿の葉すし作り体験」の会場、直ぐお隣の桜井市の高家にある「天空の郷」へと向かった。
体験の後、交流の時間があり、商工会のT君が鯖を運ぶ人のモデルを演じてくれた。菅笠を被り背負子を背負った姿は鯖街道で見る鯖を運ぶ人の姿そのものである。まあこれは当たり前の話で珍しくもなんでもないのだが。
今まであまり気にしていなかったが、柿の葉すし、には色々な鮭や鮎など色々な魚が使われるが、圧倒的に使われるのはやはり鯖であり、奈良の五條を中心とした柿の葉すし文化圏はやはり鯖ずし文化圏と言えるだろう。鯖はどこから運んでこられたのかと、当日のすし作りの大前先生に質問した。答は熊野灘で獲れた鯖だとの答え。ではルートはやはり五條から新宮へと最長の路線バスが走る十津川街道ですかと聞くと、いや、上北山村から大台近く、川上村を通るルートだとの返事だった。帰宅して地図ソフトで距離を測ってみた。すると、なんと尾鷲~五條間も小浜~京都間も、直線で測った距離は両方とも約55kmだった。若狭から京都へは、京は遠ても18里と言われ実際の距離は70km強であったろうし、尾鷲から吉野へのルートは若丹国境尾根よりは険しい大峰山脈の峠を越さねばならず遙かに厳しく、また実際に歩く距離も長かっであろうことは想像に難くない。当然日数も多く掛かったであろうし、鯖に塩する量も多く、締める醋の量も違いがあり、そうなると鯖の棒ずしの様なスタイルはとれなかったのかもしれない。多くある柿の葉を活かすという古人の知恵は素晴らしいと思うし、自分たちの獲った海産物をあの険しい峠道を越え、長距離を歩いて運んだ人達の逞しさに思いを馳せないではおられない。
ヨーロッパの物流を今担っているForwadersはそのルーツを辿るとアルプス越えの物流を担って発展したと聞く。日本各地でも鰤街道など色々な物流を担った人がいるが、そこから今日の運送会社へと発展したものはないのだろうか。日本の街道を考える一つの視点かもしれない。
さて、鯖はあちこちで沢山獲れたので、日本各地に鯖を使った食文化があったのではと思うし、あちこちで鯖ずしを伝統食としているのではないかと思うが、山陰地方や近畿地方で多くその食文化が残っている様だ。
岡山では鯖寿司文化圏とサワラ文化圏が分かれているという。岡山の山間地方でも美味しい鯖ずしが食べられそうで楽しみだ。
http://d.hatena.ne.jp/jun_320/20120213/1329108066
湖北でも伝統食鯖ずしを売り物にするお店も多いと聞くし、長浜では郷土食焼鯖そうめんを売り出すキャンペーンにも熱心で、焼鯖そうめんが食べられるお店マップなども発行されている。
http://www.nagahamashi.org/pdf/yakisaba2011.pdf
我が師匠、高浜の舘太さんは、今はあちこちで鯖ずしは作られるけど、山間部のものの方が美味いと言われる。これが食文化の伝統力なのかしら。
さてさて、当日は、「柿の葉すし山の辺」のご夫婦に指導して頂いて;
・既に炊きあがった御飯に酢を混ぜ、
・それを冷ます間に既に酢でしめてあった鯖を薄く切る、
・押し型にいれて形を整える、
・それを塩漬けされ保存してあった柿の葉に包む、
という作業を体験した。
我が作品の写真を載せておこう。
柿の葉で包む前。右が使った押し型。他の押し寿司にも応用できる。
柿の葉ずしの完成で~す。右の皿にのったのは昼食用。
どうですか、なかなかのものでしょう(^_*) 当日は25個つくり、5個を三輪そーめんでのにゅうめんと一緒に昼食として頂いた。翌日職場にお土産として同僚にも食べて貰ったが評判はよかった。でも材料は全てプロに下拵えをして貰っていた訳で、美味いのは当たり前か。
会場の「天空の郷」の立地は素晴らしい。西には、畝傍からかの二上山方面、北を望めば奈良盆地方面、条件が良ければ遙か城陽市あたりまで見通せるという。そして眼下にはなだらかな棚田が。当日は小雨で霞んでいたのが残念だったが、これはもう一回おいでというサインだったのかも知れない。秋限定で作られる、紅葉した彩り豊かな柿の葉に包まれたすしを頂きながら、あの大きな囲炉裏を囲んで、海と山の交流や伝統食などについての話を肴に一献傾け、あの高台からの素晴らしい眺望を愛でたら、、さぞ至福の時を過ごせることだろう。
参考のリンクは;
柿の葉すし作り体験
http://gazoo.com/mura/blog/ExperienceDetailDynamic.aspx?muraID=asuka5&ExperienceID=422
「柿の葉すし 山の辺」さんのHP
http://www.kakinohasushi.net/
特筆すべきは、秋になると赤や黄色に色付いた葉っぱで包まれたのを入れられるそうな。これはまさに手作りの商品だ。箱を開けられたお客は、あっと驚かれるという。これぞ大量生産の大手メーカーには真似の出来ないこと。お客様が感動された声を聞かれることこそ物作りの醍醐味だろう。
余談です。あちこちネットを除いていたら、3月8日は「鯖すしの日」の日だそうな。
日本記念日協会のページ
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
当日の午後は石舞台古墳や醤油蔵、竹炭、岡寺などを廻って案内を頂いた。奈良県立大学の学生さんもガイド実習として参加してくれた。たどたどしかったが、清々しい気持ちにさせられた。私は明日香へと何回足を運んだろう。所謂明日香の里だけでなく、周囲の山の道も歩いたし、かなり歩いた方だと思う。しかし今回は、石造物や史跡や神社仏閣を訪ねたりハイキングするのとは違った印象をもつことが出来た。明日香村商工会の下田さん、体験型観光やブランド商品作りなど、取り組みを一つ一つ形に仕上げられている。我々も何時までも勉強から次のステップに進まないと、というのが我が感想の一日だった。冒頭、明日香村は一歩先を、と書いたが、これは二歩も三歩も先を走られている。
京北町には「朴葉すし」がありますが、評判はどうですか。同じ京北町でも地域制があるのでしょうか。私の子供の頃は全く知りませんでした。鮨と言えば、やはり鯖すしや稲荷すしに巻きすしが定番でした。朴葉すしなどは、むしろ贅沢品だったのでしょうか・・・。
鯖すしは、それこそ全国的に作られていると思いますが、私の狭い経験からでは、境港の鯖すしは中々のものでした。値段も中々のもので、我々にはそんなに頻繁に買えるものではありません。
それより、京都市内で売られている鯖すしは、どれもさらに相当な値段です。もう少し何とかしてほしい、と切に願う次第です。
それにしましても、折角のシンポジウムで例の若狭のT氏が、〝鯖みたいな安モンを、わざわざ京まで運ぶはずがない〟と言ったあの暴言は、今でも許すことは出来ません。私には失言とは思えません。mfujinoさんは単なる失言だろうと言われましたが、資産家の本音がつい出たのではないですか。
mfujinoさん達の今回の体験を生かして、京北町にも新しい食文化や地域を活性化させる新しい物が、何か誕生することを願っております。
いつでしたか、もう30年ばかり前に縁があって、川上村へ出向いたことがあります。山里の佇まいは、北山の里と変わらない静かな所でした。吉野川の源流ですか。上桂川と同じ様な清流では、鮎がよく獲れると聞きましたが・・・。
3月8日は「鯖すしの日」とか。是非とも心ゆくまで戴きますか。ところで余談ながら、ご紹介の「日本記念日」を覗きましたら、2月29日は「にんにくの日」とありました。これは直ぐに分かりますが、もう一つ「夫婦離婚の日」でもあるとか。1年で離婚の件数が最も多いとされる3月の前日で、4年に1度巡ってくる閏年の2月29日。
この日を夫婦の絆や結婚・離婚の本質や夫婦関係などの在り方を、改めて考える日とか。2と29で「2人に、福(29)あれ」との意味もあるそうです。何だか、のほほんと温かくなる様な・・・。
明日香川富雄佐保川泊瀬川あれど大和は海に注がず(大塚布見子)
柿の葉寿司も見事な出来ですね。そのまま、明日香の案内所あたりに持っていって売ることもできますよ。ところで、酒蔵(脇本酒造)は行かれませんでしたか(笑)。
「もう一回おいで」のサイン、日にちが合えばお供いたしたく、宜しくお願い申し上げます。
facebookで鯖の熟れ鮨を忘れていない?って指摘されましたが、美山では熟れ鮨の文化がありますが、京北にはないのは興味がありますね。へしこやなれ鮨、鯖の棒寿司、浜焼きといろいろ加工されていたんですね。
一時若狭では棄てる程鯖が獲れ、浜がトロ箱であふれかえっていたそうですね。従って数を数えるのも大ざっぱで、そこから「鯖を読む」とい言葉が出てきたと聞きます。
そうですか、境港でも美味しい鯖寿司がありましたか。あちこち行脚したいものです。
今日は夫婦離婚の日なんですか。面白く読ませて貰いました。
最後の歌、大和は海に注がず、と歌われていますがどういう意味なのでしょうね。湖に注ぐ場合を除いて、私は日本で海に注がない川の例を知らないのですが。また湖から溢れた水はやがて海にへと向かいますし。奈良盆地の川は大体大和川となりますね。単に大和は海に面していないということなのでしょうか?
あの、55kmはあくまで地図に直線を引いた距離でして、街道の距離ではありません。上にもそのことは触れたつもりです。尾鷲からどこを通ったのか具体的なルートを知りたい気持ちもありますが、、
果無山脈を越えるルートというのはどうだったのでしょう?魚はこのルートで運ばれたでしょうか?干物にしたりへしこなどに加工されてないとだめだったのではないでしょうか?よく分かりません。
ただ「鰤」は、富山から信州へと野麦峠越えで、あの距離を運ばれたそうですね。しかも100kgを越える鰤を担いで。もう一つ面白い話を思い出しました。信州ではイカの刺身は塩イカをもどしたものだそうで、冷凍技術の発達した今でも福井でたっぷりと塩漬け加工がされ信州へと送られているそうです。信州へ行ったらイカの刺身を注文してみようと思っているのですが。
天空の郷ですけれど、昔談山神社から安倍文殊さんへと新春ハイキングで歩いたことがあります。談山神社からの葛城盆地の眺めもなかなかのものです。明日香が面白いのは、あそこの遺跡などが当時の国際情勢と密接に結びついていることですね。
それはそうと何で「明日香村」であって「飛鳥村」とちゃうねん?って分かります?
〝注ぐ〟はこの場合、川は沢山あるのに土地は海に〝接していない〟との意味ではないでしょうか。
それと、割り込んで申し訳ありませんが、〝明日香〟と〝飛鳥〟の違いは何なのでしょう?
和歌の時代は〝明日香〟だったのでしょうが、近代短歌でも双方が使われています。平假名で表現している場合もありますが・・・。
*雨男といはれし昔おほむかし明日香の空にあらはれし虹(竹山 広)
*東京より来し少女らをともなひて萩たなびく飛鳥古国(ふるぐに)を行く(前川佐美雄)
*ゑにしありし岡のみ寺の坂くだるあすかの里は朝時雨して(前川佐美雄)
律令制下では、結構細かい命令が出されていて、例えば婦人の髪型なども命令として出されたようです。そういった中に、今後地名は2文字の好字を選んで表記せよというのもあり、「明日香」は枕詞から「飛鳥」と表記されるようになったということだったのでは。
ウー、信州のイカの刺身、塩味で何かうまそうですね。小生も必ず注文します。
昔、例の日本一長い路線バス、五条~新宮間に乗った時、バスが国道を離れて、どんどんと横道に入っていきました。思いきり奥にある集落に新聞を届けるためでした。今は、その集落に人がいるかどうかも不明ですが。鯖を背にした人たちも、そんな感じで奥へ奥へと歩いていったのでは。こういった人たちは、どこを定宿にしていたのだろうかと興味が湧いてきました。
しかし大阪平野を流れる大和川はまさに大和を流れる川の水を集めた川なんですね。富雄川、秋篠川は佐保川に合流し、初瀬川、飛鳥川などなどの水が生駒山地の南の端、王寺あたりへ集まって大阪方面へと注いでいますね。大阪夏の陣での徳川の大軍の流れがここを通って、、なんて想像をするのも楽しいものです。
平城京を流れる川の水量は多くなくこれとこの都の盛衰を語る人もいます。そういった面で平安京は水も豊富、周囲の山にも守られた都であったようですね。
飛鳥の asuka、インドにも asuka があり、かの地上絵の naska、alaska、、などの地名を挙げて飛鳥文明が云々という話を読んだことがあります。安曇川や安曇野との関連で民族を語られたりしますし、身近な例では、天童山を我々は「でんどうざん」と呼んでいますが、これもこだわりだすと色々な勉強をしないと話に参加出来ない様です。
余談になりますが、谷を「たん」と読むことについて、松江でもそうだと松江出身の学校の先生が言っておられました。日本海沿岸から丹波の山間部へ、、、ロマンがありますね(^_*) 地名は大きな歴史遺産であり大切にしたいものです。
信州で食される塩漬けにされたイカを刺身にする話、これはテレビで見た岳ですが、何故か記憶に残っています。塩は殆どぬかれるのではないでしょうか?この番組で面白かったのは、塩漬けの加工をしている福井のおっちゃんに、福井でもこれを食べるんですか?って聞くと、こんなもん食べるかいなと答えていたことです。浜では獲れたて上手い刺身が食えるでしょう。しかし、山間部の人は塩のお陰で手に入ったものを味わうべく知恵を働かせたのですね。塩鯖を酢でしめたり、柿の葉で包んだりと、まさに知恵ですね。これになれ鮨のことなどを考えると楽しいものがあります。
柿の葉寿司 きれいに作れてますね。 おいしそう。 京都駅の弁当売り場で日持ちがするのでよく買いました。 mfujinoさんが鯖もこんなにきれいに切ったのですか? 料理がお出来になるのですか? 何となく感じるmfujinoさんは、料理などなさらないのではないかしら、と思っておりましたが。。。
今年の冬は寒さが厳しく、いつになったら暖かくなるのかしらと思いつつ、庭の雑草を目を凝らしてみておりましたら、フキノトウが顔を出しておりました。 うれしいですね、早速てんぷらにしてほろ苦い春の味を楽しみました。 「山菜を取ってすぐに食べる」というような講座はどうでしょう。
かって山の友と山に登るのではなく、適当に歩いてバーベキューをして、その辺りにある野草を食べようという企画をしたことがあります。 てんぷらにするとなんでも食せるので、とても楽しかったですよ。 ただ、その時「これいける」と食べてからどこで採ったものかと聞いて驚いたことがありましたが。 天ぷらにしてくれた人たちは食べようとしませんでした。
この鯖は勿論私が切ったものです(エヘン)半身で25枚程度切るのが標準の厚さと教えられたのですが、私は18枚しか切れませんでした(*_*)一枚つまみ食いをして「鯖の足らない人は?」、私「は~い、8枚下さい」と先生から貰いました
料理は偶~にしますよ~、でも冬の寒い日などはもうその気もおこりません。ただ最近の出勤日にはね、手弁当を持参する様にはなりました。辛~い麻婆豆腐が好きなのですがどの店も辛くないので、自分で作る事もありますよ~。
蕗の薹ですか。私はあまり食べませんが、、 講座の話がでましたが、西鯖街道歩きの時に山で野草を採って持ち帰りゼミで天ぷらにして食べたことはあります。ダッチオーブン講座もいいかなとも考えています。この3月にはピザ釜を作ろうという講座もあり、1週間後にはその釜でピザを焼こうという講座もあります。
我が大阪時代の遊び仲間では、午前中はハイキング、お昼に川原で鍋を囲むというのをよくやりました。小さな鍋や材料は下拵えをして貰ってリュックの中に。酒類は電車を降りたところで見つけて、帰りに買うからと約束してそこで荷物を預かって貰ったり(^_')いろいろ工夫をしたり楽しい思い出です。笠置山の麓の川原での芋煮、室生寺から歩いたあとの大野寺で、曽爾高原の帰りの香落渓などでなどいろいろな所を思い出します。この企画は正月休みでの運動不足を解消しようと柳生街道街道を歩いた後おせちにも飽きたろうとうどんすきをし、それが好評でどんどんする様になりました。気のあった気の置けない者同士での屋外での食事は楽しいものですね。
あ、その野草はどこで採られたのかしら、といろいろ楽しく想像しながら読ませて貰いました。
こちらは先程帰宅したら4℃でした。昨日の昼間は16℃でしたので今夜は4℃でも少し寒さを感じました。暖かい日や寒い日が繰り返す様になりましたね。