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中国「華中」の旅⑬~徐州『漢兵馬俑』・沛県『呂布射戟台』編

2007年08月16日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月16日(木)
続きで~す。
「邳州」から12:25「徐州汽車站」に着き、すぐ「タクシー」を拾って『漢兵馬俑博物館』を目指します。
「労働節」の旅行では「陝西省西安・秦俑博物館」に行って来ましたが(2007.5.3 ブログ参照)、この「漢兵馬俑」はどんななんだろう?
まぁ「秦兵馬俑」は「世界遺産」だし、とても有名です。
しかし…ここ「徐州」の「兵馬俑」を知ったのは、つい最近のことですからね…。

12:35『漢兵馬俑博物館』に着きました。

この近くには「楚王陵」もあります。
でも…聞いたことが無いね。

「入場料20元」で中に入ると「一号坑~三号坑」までありますが、やっぱ「秦俑博物館」と比べたらスケールが違いすぎるね。

これは「一号坑」です。

「兵馬俑」も小さくて、それほど精巧ではありません。

これは「二号坑」です。

「二号坑」は前半は上の写真のように埋もれてますが、後半は形が確認出来ます。

「北朝墓遺跡」…よく分かりませんけど。

これは「三号坑」です。
発掘しないんでしょうか?

続いて展示品がある部屋へ。
う~ん…ちゃちいな。

こりゃ、ただの「泥人形」だよ…

一番右のが「秦」の「兵馬俑」です。
まるで「本物」と「偽物」を見比べているよう。

「小人」の「前に習え」ですね…
うーん…やっぱ世界的に有名な「秦兵馬俑」と比べると「天地の差」です。
「漢」の時代の方が「秦」より後なんですが、これも「始皇帝」と「楚王」の「力の差」と言うべきなんでしょうか…。
入場料だって「秦俑博物館」は「90元」ですから。
13:15『漢兵馬俑博物館』を出ました。

当初の見込みでは、15時半出でしたからね…。
…となると、明日行く予定の「沛県」まで往復3時間としても、まだ行ける時間です
今日「沛県」まで行ってしまえれば、明日は「青州」に帰るだけですからね。
こうなれば「善は急げ」です。
すぐ「タクシー」を拾って「徐州汽車站」へ向かいます。
13:25「徐州汽車站」に着き、13:40「沛県」行きの「バス」が出ました。

15:00「沛県」に到着。
目指すは『呂布射戟台』だけじゃ~
事前調査では「汽車站」から歩けない距離でも無いらしいけど、雨も降って来たので「輪タク」を拾いました。
「オヤジ」に「(文化館内)呂布射戟台」のメモを見せ、「往復4元」で行ってもらう事に。

15:05「ここだ」と降ろされたのは『歌風台』という前漢の高祖「劉邦」に関する史跡です。
「いや、ここじゃなくて…」と思ったけど、もう近くまで来ているはずだし、往復にする必要も無かった(タクシーなども通る)ので「2元」だけ払って降りました。

俺が「ハント」しなければならないのは『歌風台』ではなく、「三国史跡」の『呂布射戟台』です
この「漢街」を通り抜け左に行けばいいんだったな…。
でも「文化館」てどれ?
分からず右方面にも行ってみたけど、「文化館」らしき建物は無い…。
「上海」以来の「傘」使用ですが、雨の水溜りのせいで足は泥水でビショビショですよ。
もう一度左方面に行ってみると…

12:25向かい側の通りに「沛県文化館」を発見。
「沛県南方電脳学校」…って、専門学校も入ってるのか
で、『呂布射戟台』ってどこ?

「射戟台」は中庭?の左脇にぽつんとあるだけでした。
中に「清」の時代に建てられた「石碑」があり、ここが「呂布」が「戟」を射たところです。
「袁術」が「劉備」のいる「沛県(当時の小沛)」を攻めてきたとき、「劉備」から「徐州」を奪っていた「呂布」が和解を勧めます。
しかし「袁術」の命を受けて進軍している「紀霊」軍は、そうやすやすと和解を受け入れるわけにはいきません。
そこで「呂布」は「150歩ほど離れているあの戟に一矢で射当てたら戦いをやめよ」と進言します。
「当たるわけない」と思っていた「紀霊」は承諾しましたが、「呂布」は見事に射当てることが出来ました。
その「呂布」の努力によって、「小沛」は戦禍を逃れることが出来た、ということで「呂布」を讃えてこの地に「射戟台」を再建したということなんです。

「射戟台」の説明と…



「亭」の中には、これら6つの絵がありましたが、消え掛けててよく分からん…
15:35「沛県文化館」から出ました。
一応ここ「徐州」の観光地図にも載ってるんですけど…

帰りは「輪タク」が捕まらず、歩いて「汽車站」まで帰りました。
また「漢街」を通り抜けます。

「沛県」は「劉邦」の出身地であり、この辺りは「沛県漢城景区」になっています。
16:00「沛県汽車站」に辿り着き、16:20「徐州」行きの「バス」が出ました。
17:35「徐州汽車站」に着きました。
そこで明日の7時台の「済南」行きの券を買っておきました。
もう腹も減ってるし、「ホテル」は「汽車站」から目と鼻の先です。
でも足は泥水でビショビショになったし、「沛県文化館」は迷ってしまったし、これで旅を終わらせるのは、どうも納得がいかない
よし最後は「華佗」で〆ましょうって事で「タクシー」の乗り、「中医院」を目指します。

17:55「中医院」に着きました。
「華佗」像でーす。
この旅でいくつ目の「華佗」像だ?
18:00「タクシー」を拾い、「徐州駅」に向かいます。
明日の「済南」行き「バス」は7時20分発です。
よって、これにて観光は終了でーす。
「タクシー」は「中医院」に来た時と同じ道を通って駅まで向かっていますが、「初乗り」を過ぎてからの料金が上がるのが速いぞ
メーターをよく見ると夜間が点灯してんじゃん 
駅に着いた時の金額は「11元」くらいだったかな?
でもさっき駅付近から「中医院」に行った時は「7.5元」だったし、明らかに「夜間割り増し」なので怒り爆発
「この夜間て何や今は夜か」「さっき同じ道を通って7.5元だったぞ」と多分言葉は半分くらいしか通じていないんだろうけど捲くし立てました。
この旅の前から「顎髭」は生やしていましたが、今2週間剃ってないので「三国武将」顔負けの風貌ですよ。
しかも日焼けして黒くなってるんでね。
そんな男に「どういうこっちゃ」と捲くし立てられた「運チャン」は「8元」にしてくれました。
旅の最後に面倒起こさせやがって。
ま…勝利したからいいけどさ。
18:15「タクシー」を降り、また「マック」を買って、18:35「ホテル」に帰りました。

今日は「沛県」まで行けたので、明日は「青州」に帰るだけです。
いやぁ…本当にお疲れ様でした。



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